順逆無一文

第60回『自動運転バイク』

 東京モーターショーにはお出かけになりましたでしょうか。バイク関連の展示は若干物足りなさがありましたが、それに引き換えクルマのブースでは久々に熱気が戻ってきていた、と感じたのは私だけでしょうか。
 
 そんな数々の注目モデルに囲まれた中でも、よく聞かれたキーワードが“自動運転車”。ちなみにショーの約1ヶ月前に京都で開催された“科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム”で、安倍首相が「東京オリンピック、パラリンピックまでに自動運転車を実用化、普及させる」と発表していたのをご存知でしょうか。これでもう自動運転車の普及への道のりが、既定の事実となったといえます。東京オリンピック、つまりは2020年には自動運転車が現実に街中を走っているというのですね。
 
 あとわずか5年。とても5年後に東京や大阪の街中を縦横無尽に自動運転車が走っているとは思えませんが、それでも高速道路の一部などでは実現している可能性は高いですね。とにかく、クルマの世界では確実に自動運転車へと雪崩をうっているのは事実でしょう。
 
 で、ここからが本題ですが、自動運転車の登場でバイクの寿命は、あと10年から15年程度になってしまったのではないでしょうか。さすがに2020年までで終焉を迎える、とは言いませんが、持って20年、といったところ。まさに自由の代名詞ともいえたバイクが姿を大きく変える可能性大です。
 
 ドライバーが寝てても目的地につける、事故をほとんどゼロに減らすことができる、輸送というケースなどでは人間が乗っていなくても運行できる、それらが自動運転車のウリです。個人の移動の利便性や安全性を極限まで追求してきて、行き着いたところが自動運転車なのです。昔の人は先見性があったのですね、今まさしく名前のとおりの「自動車」にたどり着こうとしているわけですから。で、周りのクルマがどんどん自動運転車に切り替わっていくのに、バイクだけが馬耳東風、唯我独尊、孤高の存在ってわけにはいきません。
 
 それでなくても、今ですら“強引なすり抜け”だ、“無謀な追い越し”だ、と目の敵にされつつあるバイクが、自動運転車の奔流の中で、今のままで生きながらえられると思えますか。
 
 クルマを中心に考えれば、自動運転に対する障害物の最たるものが歩行者、ということになるでしょう。自分勝手で気まぐれ、そして特に日本の歩行者は権利意識の固まり、道路の王様ですからね。ですが、どんなに頑張っても人間の移動速度はタカが知れています。それに相手が自動運転車だと分かれば、わざと前をゆっくり横切ったり、立ち止まったり、と意地悪もしないでしょう(いや当初はそんなイタズラが流行るか?)。そして次なる障害物は自転車。移動速度がある程度速く、勝手気まま、予測不可能は歩行者と一緒。速度が速い分、歩行者以上に厄介な存在ですが、絶対数の少なさが救いですかね。現状のままでは、自動運転車にとって市街地での一番の悩みのタネになるのではないでしょうか。
 
 そして、バイク。自転車と大きく違うのは、法律面では、道路交通の基本と規則などを教習させられる免許の取得が最低条件で、メカニズム的にもクルマと同様、道路運送車両法で構造、メカニズムの基本要件は細かい所まできっちり規定されていることがあげられる。残る問題は乗る人間の資質。ここは、歩行者でも自転車でも最後の問題点として残ることになる。乗る人間が勝手気ままなライディングをしてしまえば自動運転車の障害となってしまう。そこでバイクも自動運転車と同様、自動で走るようにしてしまえばいいという発想に。
 
 そのためには、バイクのバイクたる所以とも言える“2輪”がネックとなる。2輪のままでは、存在自体が不安定で危険な存在になってしまう。ではどうする? ライダーが操作しなくても倒れないように車体の左右に補助輪をつける…、いやいっそのことタイヤを4つにしてしまう…、ついでのこと衝突時の安全性を考えてキャビンもつけさせてしまえ…。なんのことはない、バイクも自動運転車の規格の中に取り込んでしまえばいい、というわけです。
 
 これが自動運転車が普及した時点での未来のバイクの姿ではないでしょうか。今のバイクは終焉を迎える、と書いた理由です。
 
 今年の東京モーターショーに登場した、ホンダさんの「NEOWING」や、ヤマハさんの「MWT-9」を見て、なんだか漠然と感じたバイク乗りとしての違和感の原因は、まさにこんなところにあったのでしょうか。
 
 そしてさらには、ヤマハさんの「MOTOBOT」Ver.1は、自動運転バイクそのものです。自律して走れるのはもちろんでしょうが、人間がMOTOBOTのライディングするバイクのタンデムシートに載せてもらえるようになり、それが安全、安心にバイクで走るという楽しみの代名詞になる、なんてことは無いのでしょうか。
 
 いやいや、MOTOBOTはわざと分かりやすく人型ロボットにしているわけで、車体の中に一切を組み込んでしまえば、バイク自体が“自動運転バイク”として走れ、ライディング一切をコントロール。人間はただまたがっているだけ、ハンドルにつかまっているだけ、というバイクにだってできるはず。
 
 無謀なすり抜けや無理な追越をするような人間ばかりが目立つバイクなど、もう危なくて存在させられない、自動運転バイクにするか、バイクをやめるか、いずれを選びなさい、という時代になっていくのでしょう。いや、自動運転車の普及のためならバイクの進化など待ってくれるはずも無く、交通社会からバイクを排除する、なんてことを考えるのが行政の現実でしょう。駐車場も満足に作らず都市部から二輪を駆逐した前科のある行政のことです。
 
 自由気ままに、自分のウデでバイクを走らせ、自分の意思で道を選び、自分の生き方にバイクを合わせる、そんなバイクライフを楽しめる最後の時代になってしまう可能性は大といえるでしょう。
 
 いつまでもあると思うなバイク、です!
 
(小宮山幸雄)


小宮山幸雄小宮山幸雄

“雪ヶ谷時代”からMr.BIKEにかかわってきた団塊ライダー。本人いわく「ただ、だらだらとやって来ただけ…」。エンジンが付く乗り物なら、クルマ、バイクから軽飛行機、モーターボートとなんでも、の乗り物好き。「霞ヶ関」じゃない本物!?の「日本の埋蔵金」サイトを主宰する同姓同名人物は、“閼伽の本人”。 


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