東北六県ROLLER

『東日本大震災で亡くなられた全ての人が安らかなる地にて永眠なされますように御祈り致します。忘れない・風化させない・伝え行く。まだ5年。もう5年。顔晴れ日本!』
第30話「5回目の3.11」

 3月11日、2011年の3月11日、あの日から5年が経過しましたけど、マッドマックスの世界のように荒廃した瓦礫だらけの町を見た時の絶望感を忘れることなどありません。


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東日本大震災 東日本大震災 東日本大震災
東日本大震災 東日本大震災 東日本大震災

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 津波がおいらの勤務していた造船工場を襲う様子を高台から見てから『海』が怖くなり嫌いになりました。でもやっぱり今現在も『海』から5分の場所に暮らすおいらは『海』と共存しなければ生きられません。怖かった『海』もいつのまにか震災前のように綺麗だなーと思えるようになっていました。
 死んだじいちゃんも漁師、オヤジも漁師、おいらの名字は船渡。脈々と『海』と共存してきた歴史がおれの体内にはあるようです。牙をむきながら襲いかかるような波はマレですからね。
 普段は広く大きく深い『海』は筆舌尽くせぬ美しさがあるとおいらは思いますよ。ただ、一度怒り心頭に狂い咲くと『海』は誰にも制御出来ないとてつもなく強大な力で牙をむきながら襲いかります。
 この事実を後世に伝えなければならない。自分が津波から逃げて、翌朝バイクで走りながら見た地元の廃墟と化した町を見たときの絶望感を伝えなければならない。命ある限り、無念にも津波で生命を奪われた方々の分まで町の復旧復興に取り組まなければならない。心底そう思いますね。

作業起重機船
作業起重機船

 もう5年。まだ5年。物質的な復旧は出来ても、心の復旧は出来ないかもしれませんね。自分に息子が出来て1年と5か月。この天使みたいなカワイイ息子がおいらより先に亡くなったら。考えただけで胸が張り裂ける思いがありますよ。自分に出来る事を出来る限りで行動しなければ!!! おれらが動かなければ!!! そんな気持ちを常々持っています。


大靖くん

大靖くん

 5年前の震災直後から、本当に沢山の皆さんから温かい善意あるサポートを頂きました。物資だけじゃなく、メールや電話での温かい善意、行動による善意、募金による善意、おれらは皆さんからの善意を決して忘れません。重ねて感謝します!

 こちら岩手県久慈市、間違いなく前に進んでおります。今後も迷いなく前に進んで行きます。ネバーギブアップ。


おいらが毎日お世話になっている船と日の出

デブ輪

福島県いわき市生まれ。
1975年式。岩手県久慈市在住。好きな食べ物『豚バラ肉』体重110キロ。
座右の銘『礼に始まり、礼に終わる』皆さん宜しくメカドックですっ!
デブ輪

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