かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビア。
1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして君臨? した謎の写真技師、エトさんこと衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。
ミスター・バイクの未来を照らしたのかい?」(後編)
1989年12月5日。試乗会前日、スポーツランド菅生に到着。近藤編集長がヤマハの方に撮影許可と撮影場所の確認をしました。最初はピットロードでと思っていたのですが、いっその事サーキットのストレートのド真ん中でと、ダメ元で言ってみると、「どうせ夜中は誰もいないから、サーキットの中ならばどこでもよろしい」と、すぐにOKが出ました。さすが、天下のヤマハさん。太っ腹! とはいえ、さすがに今ではコースで煙幕花火なんて許可以前の問題でしょうね。あの頃はまだまだおおらかな時代でした。
しかし、これは失敗でした。ストレートは風の通りが良すぎて、どんなに煙幕花火を焚いても煙がどんどん流れてしまい後悔することになるのです。好事魔多し……です。
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それはまだ後の話で、15時頃から期待のニューモデルFZR400RRについての技術説明会が始まりました。この時間帯、私は特に仕事がないのですが、技説会場にいなくて変に怪しまれても困るので、いかにも忙しそうに技術者のみなさんや、映し出されるスライドにカメラを向け、いっしょうけんめいシャッターを切る振りをしました。 それはまだ後の話で、15時頃から期待のニューモデルFZR400RRについての技術説明会が始まりました。この時間帯、私は特に仕事がないのですが、技説会場にいなくて変に怪しまれても困るので、いかにも忙しそうに技術者のみなさんや、映し出されるスライドにカメラを向け、いっしょうけんめいシャッターを切る振りをしました。 |
他誌のカメラマンは本気でシャッターを切っているのですが、ミスター・バイクの場合、たまに近藤編集長が「エトー、あれ撮っとけよ」と指示するくらいで、技説の写真はまず撮りませんでした。この頃はフィルムの時代で、誌面で使わない資料的な写真撮影はほとんどしなかったのです。今になって、「あの時のあの写真なんで撮ってないの?」ということになっているようですが、それを私に言われても……。
技説も終わり夜の懇親会までまだ時間があるので、4人で現場の確認に行きました。すると近藤編集長はのたまいました。
「バイクだけ撮影してもおもしろくねーな」(←ん? 自然に言い放ちましたが、よく考えるとバイク雑誌としてはかなりの暴言……ミスター・バイクだから、許されるのかも知れないけど)
「でもアキラじゃかわいすぎて絵が締まらねーしなー……おっ、そーだ。さっき技説会場に外人のチャンネーがいたな。撮影に使えないか交渉してくるわ」と、すたすた行ってしまいました。
しばらくすると陽が暮れました。東北地方は東京より陽暮れが早いのです。東京より東なんだから当たり前です。サーキットの夜は、ほとんど照明がありません。
とりあえず準備だけでもしておこうと機材を出してセッティングを始めました。煙がどんな感じに流れるのかは撮ってみないとわからないので、多分この辺りだろうと当たりを付けてライトをセットします。
前にも話したと思いますが、当時の大型ストロボは扱いがやっかいでした。この頃のコメット(ストロボの名称)は、発電機でもチャージできるようスロー充電のスイッチがありました。しかしスロー充電では当然チャージが遅くなるので、実際には使えたものじゃありません。なのでクイック状態で使うのですが、発光するたびに発電機がフル回転するので、その振動で発電機が動いてしまうのです(今の低騒音低振動型ならばそんなことはないでしょう)。
それはいいとして(よくないんですが)、もっと問題なのは、もう一台のストロボのトーマスです。タイガーランチジャー(なぜか大工さんが持っていたという印象の強い保温機能付のお弁当箱。今も現役です)のような形をしたストロボで、「切り替えの度に発光させてやらないと、火花を吹いて爆発する」と言われてたひとクセもふたクセもあるストロボでした。トーマスが火花を吹いて爆発したところは見た事がないので、この噂が本当かどうかは解りません(バルカーがドラゴン花火になったのは見ましたが)。
フル発光1600wのこのストロボを、わずか400wの小さな発電機でチャージさせようというのだから、かなり危険です。さすがにそれではチャージしないので、半分の800Wに設定しました(これもホントはアブナイ)。ストロボも発電機も予備などあるはずもなく、壊れたらアウトなので本番一発勝負です。このへんの事情は、私がとても心配性なこともあり、また仮に話したとしても理解してもらえないだろうと、近藤編集長にも、安生さんにも、アキラにも内緒にしておきました。
まっ暗になった頃、近藤編集長が外人のモデルさん? をつれて戻ってきました。彼女は訳のわからぬまま連れてこられたようで きょとんとしていました。
「じゃ、あと頼むぞ、エトー」
近藤編集長は踵を返し懇親会へ。その後ろ姿がワンダバダ長沢が描く、ルンルンという吹き出しと共にスキップしているように見えたのは、気のせいではないと思います。
すかさず安生さんが言います。
「あ〜のね、エ〜ト〜君、は〜やく終わらせて、ご〜飯食べに行こう〜よ。そ〜しないと、ご〜飯がな〜くなっちゃうよ〜だはだは」
安生さんはご飯が食べられないとものすごく不機嫌になるのです。しかも今夜はホテルでタダで食べ放題となれば言わずもがな。機嫌が悪くなる前に早く終わらせなければ。
通訳がいたかどうかは覚えていませんが、彼女に身振り手振りと片言の英語で撮影内容やポーズを伝え、すぐ撮影を始めました。
ポーズを決め、内心ドキドキで発電機をスタート。私以外誰も知らない危険なトーマスをオン。するとアキラが叫びました。 「エトーさん、発電機が走り回ってます!!」 「す、すまん。な、なにかで重しをして動かない様にしてくれない?」 やはりトーマスは危険です。余計な心配をさせて、アキラがちびるといけないので、冷静なフリをして答えました。 トーマスは危険な香りをぷんぷんさせていましたが、ドラゴン花火になった昔と違ってコメットは2500wなのに全く問題ありません。発電機は800wしかないのに……さすがはMade in JAPAN! すばらしい! まずはポラを切ります。ポラとはポラロイド写真のことです。今は知らない人の方が多いでしょうが、早い話が試し撮りです。 トーマスが発光すると相変わらず発電機はぎゃんぎゃん動き回っていましたが、すぐ爆発することはなさそうです。しかしいつ壊れても不思議ではありません。チャージも遅いし、ドキドキものです。でもやるしかないんです。それに早くしないと安生さんがどんどん不機嫌になってしまいます。 東北の冬は寒いんです。しかも日没後となれば、相当寒い。そんな中、モデルのオネーさんには申し訳ないが、ポラが出来るまで待ってもらいます。 両手のひらでお祈りする様にポラを挟んで暖め、短いようで実は長—い2分後、ポラをめくって確認します。光の周り具合などは調子良さそうなのですが、前記したように風があるので煙がうまいこと思ったところに来ていません。 |
20年の時を経て奇跡的に発見された |
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その1.煙が全く出ていません。これはボツというよりもテストショットでしょうか。 | ||
その2.後ろに煙は回っているのですが肝心のライトの前に煙がない。 | ||
その3.煙はまあまあ回っているのですがモデルさんの表情がイマイチ…… |
しょうがないので安生さんに煙幕花火を持って走ってもらうことにしました。
「安生さん、もっとプロジェクターの前に煙が来る様に。そして、モデルさんの後ろにも煙を回してください」
「エ〜ト〜君、ひ〜とりじゃ無〜理だよ。ア〜キラ手〜伝ってよ。だは」
「アキラ、発電機は大丈夫?」
「だいじょうぶっス。重しかけますから」
こうして2人が何回か煙幕を持って走り回って、約1時間。ブローニーフィルム(60mm幅のプロが使う広いフィルム)を2本撮ったところで安生さんは言いました。
「エ〜ト〜君、もういいんじゃない? だ〜いじょ〜ぶでしょ(=そろそろご飯がなくなる!)だは」の悲痛な叫びと共に撮影終了。同時に近藤さんが赤ら顔でのんきに 「どお、おわったか。エトー」とご機嫌そうにやってきました。
すると安生さんは開口一番「近〜藤さん、飯、ま〜だありましたか? だは。エ〜ト〜君、早〜く片〜付けてご〜飯を、た〜べようよ! だは」
こうして、この表紙の撮影は無事? 終わったのでした。
昔のことを思い出して書いているうちに、安生さんと組んでやった撮影のあんなことやこんなことを思い出せそうなので、お楽しみに。
文中に登場するみなさんの言動や態度は、長年の熟成の末、私の脳内で美化(これはほとんどないと思います)されたり、おもしろおかしくするため、おおげさに増量(特に、レギュラー出演の近藤編集長と、今回の主役の安生さん)されている場合があるのですが、昔話なので笑って許してください。「事実と違う!」という場合は、違う視点で書いていただけたら読者さんも楽しめるので、ひとつよろしくお願いします。
その話は、またそのうちに。
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●メール tatsuyaetoh@gmail.com
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