秋晴れの袋井テストコースで歴史が走った! ヤマハ 歴史車輌デモ走行走行会・見学会2016

ヤマハ

 1955年に登場した初代YA-1に始まり、今日へと続くヤマハの歴史。街中で、峠で、サーキットで、幾多の歴史を刻んできた数々のバイクの代表的モデルは、リニューアルが行われたご存じヤマハコミュニケーションプラザ(リニューアルの模様はこちらから)に展示され、過日の栄光を伝えている。しかし残念ながらスペースは限られており、所蔵するすべての車輌が展示されているわけではなく、じっと出番を待つ車輌たちもいる。コミュニケーションプラザは天然光が入る素晴らしい構造であるが、展示車であってもやはり青空の下でじっくりと観察したり、走行する姿を見てみたいと思うのは贅沢すぎる悩みかも知れない。
 そんな我々のわがままをかなえてくれるビッグチャンスが「ヤマハ歴史車輌デモ走行会・見学会」である。しかも普段は完全シャットアウトの袋井テストコースで開催となれば、なにはともあれ、押っ取り刀で駆けつけるのが道理だ。しかも、7年ぶりに開催が予定されていた昨年は、あいにくの悪天候で中止というおあずけをくらっているからなおさらだ。
 迎えた2016年11月5日は、暑くも寒くもない見事な秋晴れ。絶好のバイク日和の下、二輪車59台、四輪車5台の歴史的車輌がテストコース前にずらーっと並べられた姿は圧巻絵巻。待望のデモ走行は市販車30台、レーサー4台(うち2台は事前予告がないサプライズ!)、四輪車3機種5台が順番にコースインし、あるものは懐かしい、あるものは豪快な、そしてあるものは2ストの白煙をなびかせ、約1時間半に渡って走行を披露した。
 走行がすべて終了した15時を過ぎても続々とやってくる人たちが……実は、用意された四輪車駐車場があっという間にパンク状態となり、本社駐車場も開放されシャトルバスによる懸命のピストン輸送が行われたのだが、あまりの来場者に終了予定時間を過ぎても会場に到着できない人も少なくなかった。そこでせっかく来てくれた人たちのために、予定外の数台による第2セッション走行が行われるほどの大盛況となった次第。来場者は前回の倍以上の約3000人を越えたそうだ。
 気になる次回の開催だが、来年はなく、再来年(2018年)が予定されている。次はどんな車輌が展示され、何が走るのか。わくわくしながら2018年に!


会場


会場


会場
絶好の秋晴れの下に参集したのは市販車46台、レーサー13台、四輪5台の計64台。開場直後はまだ写真を撮るゆとりも多少あったのだが、その後はどんどん人が増え、右のような大盛況状態に。


会場


会場
来場する二輪車は、会場まで直接乗り付けられたが、四論来場者は特設駐車場からシャトルバスでピストン輸送されたのだが……


会場


会場
ブースも特設されヤマハグッズを多数販売。買い求めるファンで行列も出来た。 豪快な走行を魅せた本橋さんと握手をしているのは、ヤマハの長谷川元社長。楽しそうに見学しておられた。


本橋明泰氏


本橋明泰氏
1960年代のGPレーサー、RD56とRD05Aをライディングしたのは本橋明泰氏。1962年にヤマハと契約し、全日本やWGP(スポット参戦)で活躍したヤマハのワークスライダー。1977年に引退。1939年生まれの御年77歳!


河崎裕之氏


河崎裕之氏
1980年代の8耐レーサーFZR750とGPレーサーYZR500は河崎裕之氏がライディング。1965年にスズキのライダーとしてプロデビューし、1968年からはヤマハへ。シャケさんの愛称で親しまれた。レースより開発ライダーとして知られた名ライダー。1988年に引退。1945年生まれの71歳。


Ferryさん


Ferryさん
RD05Aのウォームアップとチェッカーフラッグ振りを行ったのは、1960年代にPhil Read氏のメカニックを務めたFerryさん。Arai Europeを立ち上げて、著名なライダー・ドライバーの信頼を得てAraiブランドを世界的に広めた功労者。リタイア後はYamaha Classic Racing Teamを結成し私費を投じて往年のヤマハのファクトリーマシンを新たに製作し、チームを率いてヨーロッパ各地のクラシックイベントに参加した。2013年に惜しくもチームは解散したが、そのマシンの一部はコミュニケーションプラザで保管されるそうだ。

デモ走行 市販車編

普段は入りたくても入れてくれないテストコースだが、今回は写真撮影もOKという大盤振る舞い。ただし一般のみなさんの動画は撮影禁止でしたので、こちらでお楽しみください。左はその1・会場風景編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。右はその2・1950~1960年代市販車編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。

その3・1970年代市販車編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 その4・1980~1990年代市販車編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。

YA-1(1955年) 記念すべきヤマハの市販車第一号


YA-1


YA-1
美しいカラーリングとスタイルから「赤とんぼ」の愛称で親しまれたYA-1はヤマハ発動機が独立する以前の、日本楽器が送り出したヤマハの第一作。富士登山レースでは優勝を含め上位に7台が入り、ヤマハの高品質、高性能をアピール、3年間で1万台以上が販売されるヒット作となったた。

YD-1(1957年) オリジナルデザインが光る「分福茶釜」


YD-1


YD-1
前作はドイツDKWのRT125のコピーであったが、ヤマハ初の2気筒250スポーツモデルであるYD-1はヤマハ(GKデザインが担当)のフルオリジナルデザイン。当初はシングルシート仕様のみ発売された。タンク形状から「分福茶釜」と呼ばれた。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第二集で。

YDS-1(1959年) 浅間レーサー直系の元祖スーパースポーツ


YDS-1


YDS-1
20馬力の2気筒エンジンをダブルクレードルフレームに搭載し、国産車としては初の5段ミッションを採用した本格的なスポーツモデル。浅間火山レースでは、レース用キットパーツを装着したモデルが大活躍し、後の市販レーサーTD-1へと繋がっていく。

YDS-3(1964年) YDSシリーズの完成形


YDS-3


YDS-3
分離給油方式のヤマハオートルーブを採用したYDSシリーズの決定版。最高出力は24馬力へとアップし、オイルタンクを設置するために本格的なサイドカバーも新たに採用された。

YM-1(1965年) 高速道路時代を見越したヤマハ初のオーバー250


YM-1


YM-1
来たるべき高速道路時代に対応すべくYDS-3をベースにボアを4mm拡大して305ccとした、ヤマハ初のオーバー250、小型二輪モデル。最高速度は160km/hをマークした。詳細はBIG2スト大全 その1で。

350R-1(1967年) 「白いエンジン」と呼ばれた本格的な大型バイク


350R-1


350R-1
ヤマハ初の上下水平分割型のクランクケースを採用したニューエンジンは、鋳鉄スリーブ入りアルミシリンダーで「白いエンジン」と呼ばれた。3億円事件の偽白バイに使われたことでも有名に。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第一集で。

DT-1(1968年) 本格的オフロードモデルの元祖


DT-1


DT-1
それまでのオンロードベースのスクランブラーとは異なり、エンジン、フレーム、サスなどオンロードベースではなく専用設計で、トレールバイクという新ジャンルを構築したエポックメイキングな一台。
90HT-1(1970年) DT-1シリーズの90バージョン


90HT-1(


DT-1
本格的なトレールバイクDT-1は大好評で、シリーズ化された。HT-1は新設計の5ポート式ピストンバルブエンジンの89cc。トレールの入門車としてはもちろん、若者の街乗り用としても幅広く普及した。
650XS-1(1970年) ヤマハ初の4ストロークモデル


650XS-1


650XS-1
2ストメーカーのイメージが強かったヤマハが初めて作り上げた4ストロークエンジン搭載モデルがXS-1。軽量スリムな車体にパワフルなバーチカルツインエンジンの組み合わせで、以降のヤマハスポーツのお手本になった。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第二集で。
DX250(1970年) 新時代を築いた2ストスポーツ


DX250


DX250
史上最強の市販レーサーと呼ばれたTD-2のエンジンをベースに、新たに設計された5ポート2気筒エンジンを搭載した公道版レーサーともいうべきスーパースポーツ。
TX750(1972年) ヤマハ初のナナハンは軽量コンパクト


TX750


TX750
ヤマハ初のナナハンモデル。他メーカーは4気筒化を進めたが、ヤマハはバランサー付きの2気筒エンジンでXS-1以来の独自の軽量コンパクト路線を邁進する。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第二集で。
RD250(1973年) DXがさらに進化


RD250


RD250
DXから名称が変更されたこのモデルは、5ポート式から6枚のリードバルブを加えた7ポートトルクインダクション新エンジンに6段ミッションと大きく進化。フレームなども強化された。
TX500(1973年) 国産スポーツ初のDOHC4バルブエンジン


TX500


TX500
国産スポーツモデルとしては初となるDOHC4バルブのハイメカニズムを採用した2気筒エンジンを、軽量スリムな車体に搭載した、ヤマハイズムあふれるミドルスポーツ。
GX750(1976年) スリムな3気筒エンジンのナナハン


GX750


GX750
ライバルメーカーのナナハンは4気筒が定番化されていく中でも、ヤマハは独自の路線を貫きスリムな3気筒エンジン+シャフトドライブというユニークなモデルで対抗する。
XS1100(1977年) ヤマハオーバーナナハンの先駆け


XS1100


XS1100
ヤマハ初の4気筒モデルにして、初のリッターバイク。輸出専用モデルで、欧州では高速ツアラー、北米ではクルーザーというポジションを得て、ヤマハビッグバイクの礎を築いた。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第一集で。
SR500(1978年) シンプル・イズ・ベスト


SR500


SR500
今日でも現役を続けるSR400の初代モデル。スリム、コンパクト、シンプルという基本コンセプトもスタイリングもそのまま現在まで受け継がれているという、希有な一台でもある。
XT250(1980年) 軽く俊敏なオフモデル


XT250


XT250
軽量コンパクトな車体に、1軸バランサーを内蔵したピックアップの鋭い単気筒エンジンを搭載。リアにはモノクロスサスを装備し高い走破性を実現した。
RZ250(1980年) 時代を変えた革命的2ストスポーツ


RZ250


RZ250
高性能な水冷2気筒エンジン、モノクロスサスなど市販レーサーTZ250にナンバーを付けたといわれるほど強烈なインパクトで登場した。250レプリカブームの原点ともいえる。
XJ750E(1981年) ヤマハ初の4気筒ナナハン


XJ750E


XJ750E
ヤマハ初の4気筒ナナハンも、はやり軽量コンパクト路線を邁進する。1980年に登場したXJ650がベースで、駆動はXJ650と同様にシャフトドライブを採用した。
XZ400(1982年) 唯一無二のVツイン高速ツアラー


XZ400


XZ400
DOHC4バルブの水冷Vツインエンジンを角張った大きめの車体に搭載したスポーツツアラー。フルカウル付きのDや550もラインアップされていた
XVZ1200 VENTURE ROYALE(1982年) 豪華快適なグラウンドツアラー


XVZ1200


XVZ1200
ヤマハ初の水冷V4エンジンを搭載したグラウンドツアラー。エアサスはコンピューター制御により自動制御で姿勢を安定させる。CB無線、ラジオ、カセットなども装備できた。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTION 第三集で。
RZ250R(1983年) YPVSでパワーアップ


RZ250R


RZ250R
RZ250の後継モデルは、市販車初の排気デバイスYPVSを採用し、発売当時クラス最高の43馬力にパワーアップ。ミニカウルも標準装備してよりレーシーに。
FZ400R(1984年) ヤマハ初の本格的4ストレプリカ


FZ400R


FZ400R
1983年に登場したXJ400Zの水冷4気筒エンジンを、レーサーレプリカスタイルのボディに搭載したヤマハ初の本格的な444レーサーレプリカは、F3レーサーFZRと同時開発された。詳細はTHE444 その4で。
RZV500R(1984年) 最初で最後のYZRレプリカ


RZV500R


RZV500R
ワークスレーサーYZR500と同様の2ストローク水冷V4エンジンをアルミフレームに搭載した究極のレーサーレプリカ。輸出仕様は87馬力のフルパワーだがフレームはスチール。詳細はTHE BIG-BIKE COLLECTIONBIG2スト大全 その4で。
SRX600(1985年) 美しきシングルスポーツ


SRX600


SRX600
スタイリッシュなボディや焼け具合が美しいステンレスの2本出しエキパイが特徴的なシングルスポーツ。エンジンは新開発の空冷単気筒で400もあった。600はオイルクーラーを標準装備。
SEROW225(1985年) ロングセラーを続けるトレッキングモデル


SEROW225


SEROW225
トレールモデルとトライアラーの要素を組み合わせたような、野山をとことこ走るマウンテントレールという新ジャンルで登場。現代に続くベストセラーモデルとなった。詳細はSEROW大全で。
SDR(1987年) ヤマハらしい2ストライトウエイトスポーツ


SDR


SDR
パワフルなDT200R系のエンジンを一人乗り専用と割り切ったスリムコンパクトなボディに搭載した、スーパーライトウエイトスポーツ。トラスフレームも特徴的。
VMAX1200 (1990年) ドラッグイメージの国内版


VMAX1200


VMAX1200
ベンチャーロイヤルのエンジンをベースにパワーアップしたV4エンジンを、迫力あるデザインのボディに搭載したドラッグイメージのハイパフォーマンスマシン。1990年にはヤマハのオーバーナナハン解禁第一弾として国内仕様が登場。詳細はVMAX大全THE BIG-BIKE COLLECTION 第一集で。

デモ走行 レーサー編

レーサー編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。
RD56(1965年) 世界を制覇したGPレーサー


RD56


RD56
WGPで勝つために作られた250のワークスレーサー。世界の壁の高さを痛感した前作RD48のエンジンを改良し、新設計フェザーベッドフレームを組み合わせ、1964年にチャンピオンを獲得した。
RD05A(1968年) 6気筒マシン RC166の好敵手


RD05A


RD05A
ホンダの6気筒マシンRC166に対抗すべく開発された、ロータリーディスクの水冷V4エンジンを搭載して1967年に登場したのがRD05。翌年エンジン、車体を全面改良した最終進化版ともいえるモデルがRD05A。
FZR750(OW74)(1985年) まさかの結末、悲劇の8耐レーサー


FZR750(OW82)


FZR750_OW74
ケニー・ロバーツと平 忠彦の黄金コンビがPPを獲得し、快調に数回を重ねた1985年の鈴鹿8耐。しかし残り30分でまさかのエンジントラブルで脱落という悲劇のマシン。
YZR500(OW81)(1985年) 熟成された常勝マシン


YZR500(OW81)


YZR500(OW81)
エンジンレイアウトはV4と変わらないものの新設計のニューエンジンとなったOW81。翌シーズンも走り、WGPではエディー・ローソン、全日本では3年連続平忠彦がチャンピオンを獲得した。

今回は走行せず展示のみだったみなさん


SC1


90HS-1


AT-1
SC-1(1960年)
2ストローク空冷単気筒175ccエンジンにトルコンを組み合わせ、前後片持ち、シャフトドライブの車体に搭載した革新的スクーター。しかし営業的には成功とは言えなかった。詳細はヤマハスクーター全史で。
90HS-1(1970年)
実用車AT90に搭載されていた珍しい空冷2気筒89ccエンジンをベースに、5ポート化してツインキャブを装着、ダイヤモンドフレームに搭載したミニスポーツモデル。
AT-1(1969年)
DT-1そっくりのデザインが与えられた125バージョン。DT-1よりもひとまわり小ぶりな車体で、ホイールはDT-1より1サイズダウンの前後18インチを採用。


FT-1


RT-1


LB50ⅡA Chappy
FT-1(1970年)
DT-1シリーズの最小排気量モデルで、原付ながらDT-1と同様のフレームやサスペンションを装備した本格派。後のミニトレシリーズの元祖でもある。
RT-1(1970年)
DT-1のフレームに新設計された30馬力、ツインプラグの351cc単気筒エンジンを搭載したトレールシリーズのフラッグシップモデル。
LB50ⅡA Chappy(1973年)
他に類を見ないデザインと8インチホイールが特徴的なミニバイク。50、80ccに2速AT、自動遠心クラッチの3段、マニュアル4段とバリエーションも豊富。詳細はヤマハスクーター全史Family &Leisure Bikes 1970s~1980sで。


GR50


XT500


LB50ⅡA Chappy
GR50(1976年)
ミニトレの派生バージョン。ゼッケンカウル風のシングルシートや低いハンドルなど、50ながら本格的なレーシースタイルが人気となった。詳細はFamily &Leisure Bikes 1970s~1980sで。
XT500(1976年)
日本ではまだなじみの薄かったエンデューロ用に開発されたビッグ4ストローク単気筒エンジンのオフロードモデル。このバイクが後にSR500の基になった。
S50 Passol(1977年)
幅広い層に爆発的なブームを巻き起こした元祖ステップスルーのソフトバイク。八千草薫さんが乗るテレビコマーシャルのインパクトも大きかった。詳細はヤマハスクーター全史で。詳細はFamily &Leisure Bikes 1970s~1980sで。


S50 Passol



CV50E Beluga

YDS-1(浅間仕様)
CV50E Beluga(1981年)
手軽な乗り物というイメージの強かった原付スクーターに、高級かつ男性的なイメージを盛り込んだブランニューモデル。女性的なイメージの兄弟車サリアンもあった。ヤマハスクーター全史、詳細はFamily &Leisure Bikes 1970s~1980sで。
MS50 Popgal(1982年)
その名が示すとおり、女性にターゲットを絞ったソフトバイク。シャフトドライブでメーター横の小物入れの蓋の裏側には鏡が付いていたのがその証?。ヤマハスクーター全史、詳細はFamily &Leisure Bikes 1970s~1980sで。
YDS-1(浅間仕様)(1959年)
浅間のために作られた市販レーサーYD-1から生まれたYDS-1。発売直後の第三回浅間火山レースでは、レース用キットパーツを組み込んだ浅間火山レース仕様が活躍した。


RA97


RF302


YZR500_OW20
RA97(1966年)
RD56をベースに開発された125クラスの2気筒ワークスレーサー。1964年のデビュー戦で2位入賞を果たす。1965年には水冷化されマン島TTで見事に優勝を飾った。
RF302(1969年)
改訂された新レギュレーションに合わせて製作されたヤマハ初のWGP50ccマシン。しかしヤマハはWGPから撤退したため、一度も本番で走ることがなかった幻のレーサー。
YZR500(OW20)(1974年)
記念すべき初代の500ccワークスマシンは、水冷4気筒のピストンリードバルブエンジンをクロームモリブデン鋼管パイプフレームに搭載。開幕戦のフランスGPでデビューウィンを飾った。


YZR500_OW35K


YZR750OW31


YZM500
YZR500(OW35K)(1978年)
排気デバイスYPVSを初めて採用したワークスレーサー。1977年のフィンランドGP、チェコスロバキアGP、翌年からは名手ケニー・ロバーツにより、4勝を挙げチャンピオンに。
YZR750(OW31)(1978年)
デイトナ200マイルやF750クラス用に開発されたワークスマシン。115馬力の水冷4気筒748cc7ポートトルクインダクションエンジンをYZR500の車体に搭載。市販レーサーとしてTZ750も発売された。
YZM500(OW83)(1988年)
初めてアルミフレームを採用した前年型のワークスマシンYZM500の改良型で、ジャッキー・ビモンドが年間ランキング4位に入ったが、ヤマハは500クラスをこの年限りで撤退。


YZM125M


YZ250M


TY250
YZ125M(1987年)
市販モトクロッサーYZ125をベースに、吸排気系や前後サスペンション、ディスクブレーキなどにスペシャルパーツを組み込み、初の125チャンピオンを獲得したワークスマシン。
YZ250(1974年)
1973年にモトクロス世界選手権、全日本選手権を制覇したワークスレーサYZN250(OW21)を模した市販レーサー。市販レーサーとしては初めてモノクロスサスを装備。
TY250 Competition Spec(1973年)
折からのトライアルブームの盛り上がりに合わせ、神奈川県の早戸川で開催された第一回全日本選手権トライアル大会。初代チャンピオンとなった木村治男選手が使用したマシンがこれ。

最後に特集されることの少なそうなおもしろモデル小特集
R1-Z(1990年) 1KTのエンジンを流用したハイパーネイキッド


RZ-1


R1-Z


R1-Z

 レーサーレプリカブームに陰りが見え始め、ネイキッドが時代の主流になりつつあった1990年初頭に登場した、初代TZR250(1KT)のハイパワーな水冷2気筒エンジンをトルクアップし、美しいトラスフレームに搭載した2ストネイキッドスポーツ。右側に2本出しでセットされたチャンバー風のマフラーもR1-Zの特徴の一つ。環境問題もあり、2ストは衰退していくのだが、美しさと速さを兼ね備えたR1-Zは、そんな時代に抗うかのごとく、2000年代まで現役であった。



R1-Z


R1-Z


R1-Z


R1-Z


R1-Z


R1-Z
●エンジン型式:水冷2ストローク2気筒 ●総排気量(内径×行程):249cc(56.4×50㎜) ●最高出力:45ps/9500rpm● 最大トルク:3.7㎏-m/8500rpm ●圧縮比:6.4 ●変速機:6段リターン ●全長×全幅×全高:2005×700×1040㎜ ●軸距離:1380㎜●乾燥重量:133㎏● タイヤ前・後:110/70-17・140/70-17 ●発売当時価格:489000円
CZ125 Tracy(1983年) スクーター版RZ125


CZ125


CZ125


CZ125


CZ125


CZ125


CZ125


CZ125


CZ125

●エンジン型式:水冷2ストローク単気筒 ●総排気量(内径×行程):123cc(56×50㎜) ●最高出力:16ps/7000rpm● 最大トルク:1.7㎏-m/6500rpm ●圧縮比:7 ●変速機:Vベルト無段変速 ●全長×全幅×全高:1875×725×1135㎜ ●軸距離:1250㎜●乾燥重量:92㎏● タイヤ前・後:3.50-10-4PR・13.50-10-4PR ●発売当時価格:279000円

 シャープなエアロダイナミックデザインのボディに内臓されているのは、当時スクーターでは最強の最高出力16psを誇る2ストローク水冷単気筒エンジン。高出力と低燃費を両立させたY.E.I.Sやダイナミックバランサーなども搭載し、パワフルかつスムーズな走りを実現した。当時のスクーターとしては珍しく、フロントテレスコピック、リアにはイニシャル5段階切り替え可能のショックをダブルで装着し、走りをアピールした。1987年にはCZ125をベースに、ボアを4mm拡大し、141ccとして高速道路走行も出来るCZ150Rが追加された。詳細はヤマハスクーター全史で。

YB-1(1955年) 赤とんぼに続いて黒とんぼ


YB-1


YB-1


YB-1


YB-1


YB-1


YB-1


YB-1
●エンジン型式:空冷2ストローク単気筒 ●総排気量(内径×行程):127cc(52×60㎜) ●最高出力:5.6ps/5000rpm● 最大トルク:-㎏-m/-rpm ●圧縮比:6 ●変速機:4段リターン ●全長×全幅×全高:1980×660×925㎜ ●軸距離:1290㎜●乾燥重量:104㎏● タイヤ前・後:2.75-19・2.75-19 ●発売当時価格:145000円

 1955年2月に発売を開始したヤマハの第一号車YA-1をベースに、空冷2ストローク単気筒エンジンのボアを2mm拡大し、排気量を127ccにアップ。最高出力はわずか0.1psのアップだが、原付より格上となる軽二輪として6月に追加されたバリエーションモデル。価格はYA-1の13万8千円に対し7千円アップの14万5千円で、カタログの車名はYAMAHA130と表記されていた。車体自体は共通だが、タンクはラバーが廃止されてクロームメッキとなり、マフラーエンドやバッテリーケースなども専用部品となり、YA-1とは差別化が図られている。YA-1の赤とんぼに対し、黒とんぼと呼ばれたという。

YDS-2(1962年) YDSシリーズの2作目


YDS2


YDS2


YDS2


YDS2


YDS2


YDS2


YDS2
●エンジン型式:空冷2ストローク2気筒 ●総排気量(内径×行程):246cc(56×50㎜) ●最高出力:22ps/7500rpm● 最大トルク:2.14㎏-m/6000rpm ●圧縮比:- ●変速機:5段リターン ●全長×全幅×全高:1990×615×935㎜ ●軸距離:1290㎜●乾燥重量:159㎏● タイヤ前・後:2.75-18・3.00-18 ●発売当時価格:187000円

 元祖レーサーレプリカとも言えるYDS-1は1959年に登場。上級車に負けない20馬力エンジンや、国産車初の5段ミッションや、上下分割式の大型メーター、当時としては画期的だったトリップメーターなど日本の高度経済成長の中、スピードに憧れる若者達に大いなる人気を得た。そんなYDS-1のブレーキなどをバージョンアップしたしたのがYDS-2。吸排気系の変更によって最高出力は2馬力アップし、ギアレシオも変更。フロントブレーキはφ200mmの2リーディングに強化され、さらに戦闘力を高めた。エンジンをYD3に変更し、アップハンドルなどを装着した廉価版のYDT-1もラインアップされた。

LB50ⅠC Zippy(1973年) ファニーで個性的なレジャーバイク


Zippy


Zippy


Zippy


Zippy


Zippy


Zippy


Zippy
●エンジン型式:空冷2ストローク単気筒 ●総排気量(内径×行程):49cc(40×39.7㎜) ●最高出力:4.5ps/6500rpm● 最大トルク:0.53㎏-m/5000rpm ●圧縮比:7.1 ●変速機:自動遠心3段 ●全長×全幅×全高:1560×655×985㎜ ●軸距離:1050㎜●乾燥重量:74㎏● タイヤ前・後:2.50-14・5.00-8 ●発売当時価格:83000円

 1970年代初頭、スクーターブーム前夜のこの時代、若者達やまだ少数だったが主婦や女学生などのニーズに応えるべく、原付クラスにレジャーバイク、ファミリーバイクと呼ばれるミニバイクが多数誕生した。ヤマハでもチャピィ、ボビィにGT(ミニトレ)やGRなどをラインアップした。その中でも他に類を見ないユニークなモデルがこのジッピィだ。ビジネスバイク、ヤマハメイトの空冷単気筒エンジンをプレスのモノコックボディに搭載。最大の特徴は、フロント14、リアに極太の8インチというアンバランスなタイヤであろう。自動遠心クラッチの他にマニュアル4段のLB50ⅠHや80ccバージョンも存在していた。詳細はFamily &Leisure Bikes 1970s~1980sで。


四輪車編 OX99-11 V12を搭載したF1“ロードゴーイング・モデル”は幻に

OX-99


OX-99


OX-99

 1960年代後半よりグループ7カテゴリーに属するオープン2座のプロトタイプ・レーシングカー「トヨタ7」を開発するなど、市販車の2000GTの開発のみならずレースにおいてもトヨタ自動車と協力関係にあったヤマハ発動機。実際、今回の走行会が行われた袋井テストコースを拠点にトヨタ7は開発されたと言われている。

 そんなこともあり、ヤマハの四輪レースへの関わりは長く、1980年代、F2/F3000用エンジンを経て、当時の日本の経済状況、そして技術に対する飽くなき追及という観点から、世界最高峰の自動車レース・F1にエンジンサプライヤーとして参戦することは自然な流れだったと言えるかもしれない。

 8シーズン(1989~1997年)に及んだF1活動期間中、究極のエンジンと言われたのが1991年にブラバム・チーム、1992年にジョーダン・チームに供給された3.5リッターV型12気筒5(60)バルブの“OX99”エンジン。このユニットを搭載し1992年に発表されたヤマハのスーパーカーが「ヤマハ OX99-11」である。

 CFRP(炭素繊維強化プラスチック、いわゆるカーボン)製モノコック・シャシーのミドにエンジンを搭載、車両のセンター(僅かに右側にオフセット)にコクピットを配するという、正にF1のロードゴーイングモデル。エアロダイナミクスを追及したアルミとFRPによるボディはレーシングカー・コンストラクターである由良拓也率いるムーンクラフトによるもの。

 英国で生産、1994年に販売を行う予定であったが、諸般の事情により1台も販売されることはなかった。現在、実車は3台が現存するが、シャシーナンバーは001(赤)、003(緑)、007(黒)ということから、少なくともシャシーは7台分製造されたと思われる。3台は基本的に同仕様だが、走行会のため007車にストレートマフラーを装着、1台だけ特有のエキゾーストサウンドを発していた。また、センターロック式のホイールは007車のみマグネシウム中空構造の17インチホイールを履いていた(001、003車はマグネシウム鍛造の18インチ)。公道で実際にテストが行われたという英国のライセンスプレートが装着された003車は今回の見学会のためにレストアされている。


四輪編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。 車載カメラ編。こちらで動画が見られない方は、YOUTUBEのサイトで直接ご覧ください。


OX-99


OX-99
センター(実際はやや右寄り)に配置されたコクピットは正にフォーミュラマシン譲り。6速のシフトパターンはいわゆる通常のH型で、リバースは2速の横になる。 3.5リッターのOX99エンジンを搭載。このユニットの開発には、現在ヤマハのレース現場をとりまとめる技術本部の 辻 幸一MS開発部長も関わっていたという。

OX-99

OX-99

OX-99

OX-99
007車のみ、タンデム・レイアウトのパッセンジャー・シートが備わっていた。 フロントカウルを開けるとカーボン・モノコックのシャシー、インボード式のダブルウィッシュボーン・サスなどF1譲りの構造であることがわかる。 007車のみ、ストレート構造によるマフラーでよりリアルなOX99サウンドを来場者に提供。テールエンドのカウル側の処理も特別なものに。

OX-99

OX-99

OX-99

OX-99
007車はオリジナルの17インチ中空構造マグ・ホイールを装着。001、003車は経年劣化により鍛造マグ・ホイール(18インチ)に交換されている。ブレーキはapロッキード。 フューエルリッドは当時のヤマハ・スポーツバイクのものを流用。よってキーはイグニッション用(カーボン風の専用品)、ドア用、フューエルリッド用の3つとなる。

OX-99
●全長×全幅×全高:4,400×2,000×1,220mm●車両重量:1,000kg●エンジン:水冷4ストロークV型12気筒DOHC 60バルブ●総排気量:3,498cc●変速機:6速

トヨタ2000GT 思わず溜息がもれる“走る芸術品”

OX-99

 1967年に発売されたトヨタ2000GTは、ヤマハ発動機との共同開発によって誕生した国産初の本格スポーツカーである。中でも直列6気筒のDOHCエンジン(3M型)や、ウッド(ウオールナットまたはローズウッド)のインパネはヤマハならではの“技”が光る。さらに生産もヤマハが担当。月産8台という職人によるハンドメイドで、1970年の生産終了まで337台(内115台が輸出)が世に送り出されたと言われている。当時の車両価格は238万円だった。前期型と後期型があり、ヤマハがコミュニケーションプラザで展示している写真の2000GTはフォグランプが大きいなどの特徴をもつ前期型で、しかも3台しか生産されなかったというゴールドの塗装が施されたモデル。



2000GT


2000GT


2000GT


2000GT


2000GT
楽器などの木工加工ノウハウをもつヤマハ・グループならではのインパネやステアリング。 センター2本出しマフラーも2000GTリアビューのアクセント。大きなオーバーライダー的パーツがバンパーの機能をもつ。 国産初のリトラクタブル式ヘッドランプを採用。開閉途中は“寝ぼけ眼”の愛嬌のある顔に。

OX-99
●全長×全幅×全高:4,175×1,600×1,160mm●車両重量:1,120kg●エンジン:水冷4ストローク直列6気筒DOHC 12バルブ●総排気量:1,988cc●最高出力(グロス):150PS(110.3kW)/6,600rpm●最大トルク(グロス):18.0kgf・m(176.5N・m)/5,000rpm●販売価格(当時):2,380,000円。

レクサスLF-A 3M、2T-Gの時代からレクサスまで、高性能ユニットはヤマハ製

レクサスLF-A

 トヨタのプレミアム・ブランドであるレクサスより2010年、世界500台限定で販売されたスポーツカー「LFA」。カーボン・モノコックのシャシー、フロントエンジン・リアドライブのレイアウトを採用。ヤマハ発動機が開発・生産を担当する4.8リッターV10エンジン(1LR-GUE型)を搭載。サウンド開発には楽器・音響機器などを手掛けるヤマハ株式会社も関与している。モータースポーツにはドイツで開催されるニュルブルクリンク24時間レースに市販前より参戦、トヨタ自動車の豊田章男社長らがドライブしている。写真の車両は開発にて使用されたプロトタイプ。



レクサスLF-A


レクサスLF-A
V10エンジンの560PSにも及ぶパワーを効率よく駆動系に伝えるトランスミッションは6速シーケンシャルで、デファンレシャルと一体化したトランスアクスル構造により前後の理想的な重量配分に貢献。インパネには情報を集中表示するTFT液晶ディスプレイが採用されている。
●全長×全幅×全高:4,505×1,895×1,220mm●車両重量:1,480~1,580kg●エンジン:水冷4ストロークV型10気筒DOHC 40バルブ●総排気量:4,805cc●最高出力(ネット):560PS(412.0kW)/8,700rpm●最大トルク(ネット):48.9kgf・m(480.0N・m)/5,000rpm●販売価格(当時):37,500,000円。

[ヤマハコミュニケーションプラザ・リニューアルオープンへ]