かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビア。
あるときは驚きを、あるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼んだ。
その舞台裏では、なにがあったのか?
1980年代中盤から1990年代、メインカメラマンとして活躍した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が語る、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)撮影のあんな話、こんな話。
聞きたいでしょ。
あれは1994年も明けたばかり、たしかロスで大地震が起こった頃の某日、ミスター・バイクの編集会議が終わった後のことでした。
編集部員ホヤ坊にいつもの食堂兼会議室に呼び出されました(※ホヤ坊=「まあ、気持ち悪い!」と某グルメマンガ75巻で紹介された海産物のホヤが特産の三陸出身ということでホヤ坊と呼ばれるようになった当時最若手編集部員。粘りと根性とガッツで震災復興に邁進する三陸魂のDNAを持っているが、酒が入ると滅法ふにゃふにゃになってしまい、信哉さんと撮影後の恒例飲み会後に多摩川の橋の上で唐突に靴やら財布やらを投げ飛ばし、案の定翌日激しい後悔の航海に出帆するとか、タバコの不始末からあわや編集部全焼というボヤ騒ぎを起こし「ボヤ坊」への改名など、若さ故の武勇伝は数知れず。結局、自らの恋のボヤ騒ぎに見事決着をつけ男を上げた功績により再びホヤ坊に戻ったけど。ちなみにホヤぼーやとはなんの関係もありません)。 |
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また発見されました旧々編集部の食堂風景。花を飾ってなにかのお祝いでしょうか? センターの美女は某社コンパニオンも務めた才色兼備な元祖女流自動車ジャーナリストのチエコさん。右手コンドー編集長の隣は現BG編集長の渡辺さん。若いっ! 自前鍋の前でどっしり構えマイ鍋に睨みを利かせているのは、三度の飯よりメシが好きな、前号で大ブレイクの安生食堂長(老朽化前)。 |
中に入ると信哉さんが座っていました。
「エトーよう、実はな、今度、俺様が表紙のプロデュースをする事になったんだ」
そう言えば、いつもいるはずのこれまたおなじみ近藤編集長の姿が見えません。
「編集会議でコンドーさんに『なんにも企画がないんなら、次の表紙は俺様にやらしてくれ』と頼んだらOK出たからよ、好きにやらしてもらおうぜ。でだな、編集担当がホヤ坊だ」
「ちぃ〜っっす」
ノリの軽いホヤ坊です。この軽いノリというのは今風のチャラ男ではなく、ずっしり重厚感がありながらの軽いノリ。彼を知っている人なら、よく解ると思いますが、知らない人には全く解らないことでしょう。軽いんだか重いんだかよく解らないけど、見た目は軽いノリがホヤ坊らしさなのです。GL1500のスカチューンと言えば解ってもらえますか? そんなもの私も想像できませんが。と、とかく一言では説明しづらい味わい深い男です。 「でだな、俺様とオマエとホヤの3人でと今から打ち合わせをするわけだ」 |
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今でもファンが多いホヤ坊は、豪快に見えてこれで結構繊細。手間暇かけて仕込んだ大仕事の前にぶっ倒れて即入院というおちゃめなこともしばしば。人のいい憎めないあんちゃんなんです。 |
この頃,ホヤ坊はブランキージェットシティに夢中でした。
ある日ホヤ坊がブランキー宛に取材FAXを送るのを横目で見ていた当時BG編集部員A君は、ブランキーの文字に鋭く反応しました。
「俺も大好きなんだよ。喜劇駅前シリーズもよかったけど『ううううれいっかん、ううううやまかんっ、うううう〜ぅ〜だいろっか〜ん♪』の霊感ヤマ感第六感の司会が真骨頂だよな。フランキー最高!」と延々フランキー堺賛歌を続けたそうです。ブランキーファンが聞いたらタコ殴りされそうな逸話ですが、心優しいホヤ坊は、うんうんとうなずいていたそうです。
その話は、今回の話とまったく関係がありません。ただの文章量増量化政策(いわゆる水増し)です。
そのホヤ坊が言いました。
「表紙は俺のマシン、カッコ良く撮影できないっスか。カッ〜あっコ、よぉ〜くぅ!」(北島サブ兄調で。解らない人はすし太郎のCM風で言ってみよう)
ブランキーに心酔するあまり自分のバイクを「貴社は企業コンプライアンスについて如何様にお考えなのでしょう」と冷たく叩かれそうな、今ではとても写真はおろか内容さえもアナーキーとしか表現できない改造をしていました。
そのアナーキー改を表紙にしたいというのです。
「どんな風に撮りたいの?」
「そうスっね、バック・ツー・ザ・フューチャーのあれみたいに地面にだーっと火が走って、車輪が燃えてホイールスピンして、わっしょいわっしょ、まつりだまつりだ!(北島三郎兄ぃの「まつり」調で、もちろん手振りも加えて)みたいなのはどうっスか?」
「ホイールスピンか。煙を出すのは前に使ったからなー。炎は面白そうだし、撮ってみたいな。でも、火を使うとなると場所がなぁ……」
すると信哉さんが、ニヤっと笑いました。
「俺様の土地にいい所がある。夜は全く誰も来ない。人里からかなり離れているから絶対誰にも見つからないとてもいい俺様の土地がある」
「でも、路面に火をつけて跡が残りませんか? いくらなんでもそれはマズイですよ」
「その辺は大丈夫。俺様がいい事を思いついた。小道具は作ってやるから安心しな」
相変わらずの頼もしい答え。信哉さんの頭の引き出しはどうなっているんでしょう。 「でも、タイヤに火をつけたらバイクごと燃えちゃうんじゃないですか?」 いつもなら、後先も深くも考えないホヤ坊ですが、すんなり話が進んでしまい不安になったのか、とても神妙な顔で言いました。 「多分、ホヤ坊のバイクでホイールスピンしながら火をつけてまわす事は非力だから出来ないんじゃないかな。人が跨がってのホイールスピン出来ないと思う。ということはスタンドを使うしかないでしょう。火の方は大丈夫だと思うよ。ちょっと考えあるから。タイヤが燃える事はないし、まずバイクに燃え移ることもないと思うよ」 |
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これが今月のお題となった1994年1月の表紙。もちろんCGや合成写真ではありません。 |
「ホントっスか、んじゃ、それでやりましょう。チーッス!」
「決まりだな。撮影日までに各自準備をしておく様に。俺様は土地の下調べをしておくからよ」
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