かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。
あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りも呼び込んだ、それらの舞台裏では、なにがあったのか?
1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして君臨した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。
撮影当日、信哉さんのハイエースにバイクとカメラ機材と小道具を詰め込み、夕方頃に編集部を出発しました。多分、川崎からそんなに遠くない山の中だったと思いますが、今となってはどこまで撮影に行ったのか具体的な場所はまったく思い出せません。
現場に到着すると真っ暗、確かに誰も来ないような所でした。撮影の準備をしているとなぜかパトカーが通ったりして、ドキドキすることがよくあったのに(特に前回お話しした安生さんとの撮影時は)。
「信哉さん、なんでこんな所、知ってるんですか?」
「ふふふっ。俺様の土地だからよう。俺様の知らない土地はない」
「地主ではないんですよね?」
「おっ、おう。俺様にはボラギノールは必要ねー」
ボラギノール、みなさんご存知ですよね。つまり痔主(=地主)ではないということです。この頃信哉さんは、撮影現場を和ませるような? 高等ギャグを好んで使っていました。
そして信哉さんはいつも自慢げに俺様の土地を教えてくれました。仕事になると凄ーく真面目にいいものを作ろうとする手を抜かない精神の持ち主なのですが、地面の本当の持ち主ではなかったと思います。前にも解説した信哉さんの「俺の土地」とは、法的な所有権を指すのではなく、法の領域を突き抜けた超法規的な観点(←?)での話なのです。 「そんな事はどうでもいいのだ。さっさと準備して、さっさと終わらせて、だらだらうまい酒飲もうぜ!」 「おおおおーっっっっっ!」 酒を呑むとなると、常にテンションが上がるホヤ坊が叫びました。 さっそく私はカメラ機材とライトをセットし始めました。 信哉さんは地面が燃えない小道具を黙々とセッティングしています。聞こえるか聞こえないくらいの声で高等ギャグを飛ばしながら。 「道路が燃えない。つまり、麻薬捜査官が燃えないようにせねばならぬのだ」 解りますか? 麻薬捜査官=Gメン、つまり、Gメン=地面が燃えないようにと…… そうこうしているうちにセットも出来上がり、火をつける前にとりあえずポラ(登録商標なのでフルネームで書くと®をつけなければなりません。ポラと言っても、平成世代には解らない人の方が多いんでしょうね。解らない人は検索してください)を切り、アングルが決まれば、あとは本番。 「エトーさん、どうやって火の車にするんですか?」 |
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1994年3月号の巻頭特集は出たばかりのkawasaki ZRXのカスタム。トビラページでもバーンナウトしています。この当時の流行だった? | ||
1994年3月号の活版特集はマッドマックスのグースインタビュー。これはマッドマックスツアーの目玉企画。この頃は海外バイクツアーも毎年やっていて、編集部員はタダ(一応仕事ですから)で海外旅行についていけました。 |
「それはね、ホヤ坊のように、毎日スーパープラネットとフルパン(共にyoutubeでなつかしの画像が見られます)で散財し続けるとあっという間に火の車だよ」と、信哉さんのような高等ギャグをかませればカッコよかったのですが、その時はそんなこと思いもしなかったので「カメラ側のタイヤの一部分にフェンダーに当たらない様にウエスを巻き付けてくれるかな。それで、ウエスにほんの少しだけガソリンを染み込ませてして火をつけるんだよ」と真面目に答えました。 |
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編集部の近くにあったパチンコ店。ここに行けば誰か編集部員がいました(昼間でも夜でも……)。 |
「え? それじゃタイヤの一部分にしか、火がつかないんじゃないっすか? カッコよくくないスよ!」
「それでいいんだよ。バイク全体にはストロボを焚いて、その間シャッターを何秒間か開けたままにして、ゆっくりとタイヤを回せばタイヤもバイクも燃えずに火の車が撮れるはずだから」
「なるほど……何言ってるのか解らないんっスけど……じゃ、やりますかっ!!」
「おうエトー、地面の火はいつつけるんだ?」
「タイヤと同時でいいと思います」
「よし、わかった」
「最初にポラを切って、そのまま本番に突入します。フィルム1本切った所でポラ見て調整しましょう」
さあ、いよいよ本番である。一応落ち着いて段取りを指示したりしたが、根が小心者の私です。今までやった事がないことでもあり、もしかしたらバイクが大爆発しちゃったら……と、内心激しくドキドキしながら緊張の一瞬を迎えました。
一発目は1分ほどで1本目を撮り終え、慌てて火を消してからポラを確認。デジカメですぐに確認できる昨今想像できないような手間暇でがかかります。ドキドキしながらポラをめくると火が少し弱かった……(写真下左参照)。
20年の時を経てまたまた奇跡的に発見されたボツカットを本邦初公開 |
「う〜ん……もっともっと迫力欲しいっす。なんか、ほら、どーんと喪黒福造の様にドーッと、パチスロが吹き捲くるような感じでお願いします(←※編集部注 ここはエトさんが話を盛っていると思われます。だって1994年当時まだパチスロ「笑ゥせぇるすまん」は無かったはずですから。でも「吹き捲くる」とは当時パチンコ屋でホヤ坊もエトさんも言ってましたねえ。めったに吹き捲くることはありませんでしたが……懐かしいです)」 「解りました。じゃあ次はシャッターを少し長めに開けて、タイヤをもう少しゆっくり回してみよう」 こんな事を繰り返し、フィルム4本を取り終わる頃、時間は23時近くになっていました。 「OKです。後は現像上がってのお楽しみという事で」 翌朝、テスト現像を見てから本番流して夕方に上がりをチェックしました(←なんの事か解らないでしょうけれど、めんどくさくなってきたので読み流してください)。 「いいスっね〜最高っス!」 ホヤ坊のその言葉を聞いて、無事撮影が終了となりました。 「じゃっ、行きますか」 こうして3人は神社近くの脇にあったスンゴイ汚い屋台でうまい酒を朝までたらふく飲んで騒いだのでした。当然、翌朝は、いつもの様に二日酔いですが…… ということだったのですが、これを書く前に念のため近藤編集長に、この表紙のことをメールしたら、こんな返事が返ってきました。
これは! こんな表紙があったのか、と正直驚いています、あらためて。 からんでいるのはシンヤかなあ、やっぱり。 何を主張したかったのか、うーん、こういうこともできるぞ、だったのか、 私はこの表紙には反対だったかもしれません。意味づけが必須の人間なので。 私はバイクだけの写真は好きではなく、必ずそこに人間、ライダーがいることで『ミスター・バイク』だと考えていましたので。シートに誰もいませんよね、これ。 今さらながらこんな表紙があったのかと驚いています
と、この表紙の事は覚えてないという事でした。 | |
その1.本文にあるしょぼい炎。これじゃあねえ。 | ||
その2.これは「かっ火事だあっっっっっっっ!」と叫びたくなるほど炎が出過ぎ。 | ||
その3.炎の具合はいいのですが、バイクに光が回っていない……難しいんです。 |
長年編集長をやっていらっしゃいましたから、憶えていない表紙があっても不思議ではありません。そして、この写真はたぶん締め切りぎりぎりで撮影して、本が出来てからの事後承諾だったようにも思います。にしても、太っ腹というか……海千山千、やっぱり近藤編集長も凄い人だったんですね。ヨイショっと。
最後になりましたが、このような撮影が出来たのは、信哉さんの豊富な知識がヒントになればこそ。タイヤに火を付ける方法にしても信哉さんの何気ない一言が参考になって可能になった事です。いろいろ勉強させていただきました。
では、また。「あの写真はどうやって撮ったの?」という激読者ちゃんからのリクエストもお待ちしております(写真が見つかるかどうかは運次第ですけれど)。
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