ふつーのおとーさんのバイクライフ シーズン2

「海を見ていた午後」

もう何年か前の話だ。
目覚めた朝の光がびっくりする位きれいだったので、その日僕はバイクで走り出すことを思いついた。
3月中旬の土曜日、春とは言えまだ寒い朝、今日やる予定だった家事や約束事を上手に後ろ廻しにし直すと、夜までの1日ぽっかりと時間を作ることが出来た。
すでに家族はそれぞれの予定に従って活動を始めている。
朝食もそこそこに、バッグにカッパと最低限の工具を突っ込み、空気圧とオイル漏れだけチェックしてバイクに飛び乗った。
まだ朝9時前だから時間はたっぷりある。
さてどこへ行こう? 山はまだ雪が残っているだろうしそれならやっぱり海だ。

 
千葉県で生まれ育った僕は1月から3月迄のツーリングと言えば大概房総半島となる。
3桁国道と県道を繋いで半島の真ん中を南下し、途中で東へ方向を変え、外房の海岸線に出たりまた入ったりしながらくねくね道を何本も何本もひたすら走った。房総半島の3桁国道や県道は、標高が低い割には険しくて細い道が続いているので結構難しい。
午後2時半の昼食を半島の先端の食堂で取り終えて、またしばらく県道を流していると、さっきまでのばかみたいにひたすら走ることにもさすがに飽きてきて、どこか海の見えるお店でゆっくりとコーヒー飲みたいな、という気持ちがもたげて来た。
その時ふと、もうかれこれ20年近く前にたった一度だけ行った事のある喫茶店を思い出した。
厳密に言えばホントは突然思い出した訳じゃなく、ずっとずっと「あの時行った喫茶店は一体どこにあったんだろ? 今もまだあるのだろうか? もう一度行ってみたい」と思い続けていた。
千葉県をツーリングする度に、どこに在ったんだろう?と探してしまう、でも見つけられずにもう20年近くも過ぎてしまった、僕にとっていつか探し出したいマボロシのお店だった。

 
僕の記憶の中に残っているその店は、内房の海沿いの主要幹線からちょっと海側に走った、崖の上に一軒だけポツンと建っていた。 
崖下は海になっていて、お店の窓からは水平線が広がって見えた。
なんでこんな所に喫茶店が?とびっくりするような場所にその店はたった一軒だけひっそりと建っていた。

 
20年近く前、その店を見つけたのも全くの偶然のことだった。
まだ、社会人になって2年か3年目の夏、多分7月の終わりの金曜日の夜、会社からの帰り際に同期の女のこから「明日海に行かない?」と誘われたのが発端だった。
海外での生活が長くて英語とドイツ語が堪能で、主義主張がハッキリしていてとっても気の強い、でもなぜか正反対の性格の僕とは結構話をすることが多い、そんな女のこだった。
「もちろん行かない」僕はきっぱりと答えた。
何を言っているのか良く分らない!というそぶりをしながら(両手のひらを胸の高さまで上げているそぶりね)首を傾げ、「おやまあ!」「ずいぶんとあっさり断わるのね?」と彼女は薄笑いでにらみ付けた。
「だって何でキミと海に行くんだよ?そんなの自分のカレシと行けばいいだろ。付き合ってるヤツいるんだから」
と僕が反論しても「海水浴は誰と行っても楽しいものよ。例えあなたと一緒でもね」となんだか聞きようによっては結構ひどいコトを言う。
「じゃあ明日の朝7時に○○駅で待っているから迎えに来てね」
「あ、明日はオートバイで来てね。2人乗りで海まで行きましょう。私ヘルメット持ってないから2個用意してくれなきゃだめよ」
一方的にしゃべりたい事だけしゃべり、言いたい事だけ言って、「じゃあまた明日ね」と勝手に話を終わらせて帰って行ってしまった。
僕はぼ~ぜんと後姿を見送った。

 
翌日の土曜日、そんな経緯(いきさつ)で僕達は海に向かった。

 
当時の僕のバイクは初期型のRZ250で、コンチハンにバックステップの前傾仕様になっていて、とてもじゃないけど二人乗りで遠出するのには快適とは言い難かったけれど、正直に言えばやっぱり女のこと海に行くのはウレシイ。天気も申し分なく、11時前には目指す海岸に着き、「これぞ日本の正しい海水浴」というような1日を過ごした。

 
5時になる前に帰り仕度を終え、僕達は海岸を出発した。
当時はもちろん二輪の二人乗りは高速道路走行禁止であり、内房の海岸線沿いの片側1車線の国道をのんびり帰るしか他に手はなかった。
「こらっ寝るな!落ちるぞ」と文句を言いつつ、「バイクって飲み物も飲めないし話も出来ないし、やる事無いんだもの寝ちゃうの当たり前じゃない!」と文句を言われつつ渋滞の中を走っていると、その瞬間さっと小さな看板が僕の目に入った。
「なんか海の方に喫茶店があるみたいよ。ちょっと寄って行こうよ」
こんな経緯で僕達はこの喫茶店を発見したのだった。
それは正に発見という言葉が相応しい程、国道からは見つからない、小さな看板だけが頼りのお店だった。
国道を左折してからもしばらく未舗装路を走り、小さな岬の突端をぐるっと回り込んだ所にその店はあった。
未舗装路のドン突きの内側に喫茶店、外側は崖になっていて数十メートル下に海が広がっている。方向からすれば海の先に三浦半島が見えるはずだが、陸地は見えず水平線が広がっていた。

MBHCC D5

 
「なんだかすごいね」これが僕達の正直な感想だった。崖っぷちのロケーションといい、その佇まい(良く言えば手作り感溢れると言うか、野趣に富むと言うか)といい、よくぞこんな所でこんな店に偶然にも巡り合えたものだと感動した。
店は少しのテーブルとカウンターだけとこじんまりとしていて、女性が一人で切り盛りしていた。
喫茶店のお客は僕達だけで、エアコンを掛けなくても窓からとても気持ちの良い風が吹き抜けていた。
7月下旬の午後6時はまだ、夕方というよりも真夏の昼の続きのような強い光を蓄えていたけれど、店のおばちゃんの「ここから見える夕日は最高なのよ」という言葉に相方の彼女は著しく反応した。
「夕日見て帰ろう!絶対!決めた!見よう見よう!」
僕は「無理!ダメだよ、陽が沈むのってこの時期じゃ7時半だってば。あと1時間半も待たなきゃなんないよ。ここからキミん家まで送っていったら5時間掛かるんだぜ(彼女の家は東京都下だった)」と却下した。
彼女はお店のおばちゃんに、「感動を感じることの出来ない人と、その側にいて従わなきゃならない人はどちらが不幸かしら?」とか何とか話しかけ、おばちゃんも本気か冗談か、「そりゃあ感動出来ない人に従わなきゃならない方が不幸だわねえ」などと笑いながら答えている。
「だってこれから1時間半もずっとこの店に居られたらお店だって迷惑じゃないか。晩飯だってどこかで食べなきゃならないし」と僕は反論する。
「あらウチは夜までやってるし、大体メニューには焼きソバだって焼きうどんだってピラフだってあるんだからウチで食べていけばいいのよ」と、なぜか彼女側の味方となったおばちゃんに完全に論破された。
いつの間にか、僕が感動する心と最後まで送り届ける気概を持っているか?が問われる事になっているらしく、最後に彼女はおごそかに宣言した。「これからの人生を実り大きなものとしたいならば、今日のこの一歩が大切なのよ」
とまあこのような変なリクツにより、夕陽が沈むのをこの店で見届けたのだった。