MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りも呼び込んだ、それらの舞台裏では、なにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして君臨した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。


ポンチーイリュージョン後編

「エトーさーん。 えっとさーん」
「エトーさ〜ん。 えっさと〜ん」
「エト〜さ〜〜〜ん。 えっとさ〜〜〜ん」

 どこかで私を呼ぶ声がする。

「ぽん、ちー。ぽん、ちぃっ」
「ぽん、ちぃーっっ。ぽん、ちぃっっ」
「ぽん、ちぃ〜っっっ。ぽん、ちぃっっっ〜」

 東の空が白んできた午前4時。
 南アルプスの深い山々に、私を呼ぶ声がこだまする。

 山中の道に横たわる私。
 遠くで私を呼んでいる二つの声。

 解放せよ、すべての絞りを!
 シンクロせよ、あらゆるストロボたち!!
 万有の銀塩に栄えあれ!

 エセ文学調で書き始めてみました今月のGMB。めんどくさいのでやめます。

 私は南アルプス山中で転倒しています。しかも本日2回目。
 遠くから叫んでいるのは、おなじみ信哉さんとホヤ坊です。

 なぜ明け方の南アルプス山中に? 
「ぽんちー」って? 
 どうして転がっている? 

 かなりの激読者ちゃん以外は、疑問だらけ、?だらけでしょう。当たり前です。
 こればっかりはググッても、ウィキ先生でもご存知ないので、お答えしなければなりません。時間もページもたっぷりありますから、いつものようにあちこち寄り道しながら解説していきます。

 まずは第1の疑問。「なぜこんな早朝に南アルプス山中にいるか」ですが、ご想像の通りミスター・バイクの人気企画であった「FRC(ファイアー・ロード・クラブ)」の撮影のためです。訳あって断念した南アルプス一周企画のリベンジで、林道をメインに最短距離(といっても500km!)を一日で一周するというとんでも企画です。

 さらに林道初心者のホヤ坊(FRC担当になった頃はニーグリップがプロレス技だと信じて疑わない素晴らしいド素人でしたが、FRC取材同行を重ねるごとに、めきめき腕を上げましたが、根気がなくて飽きっぽい性格-※当時、今では改善されていると風の噂に聞きます-ゆえ、必然的に休憩が多くなる)といっしょで、バイクはCRM50と、いかにも信哉さんらしい、そしてミスター・バイクらしい(=世間様では馬鹿らしいと言われる)企画です。

表紙
ミスター・バイク1994年9月号。表紙はなぜだか白井貴子さん。撮影はポンチーさんです。ちなみに巻頭特集は8耐。この年はチェッカーフラッグが振られませんでした。その理由を知りたいアナタも古本屋へGO!

 第2の疑問、「ぽんちー」ですが、ギャンブル好きの諸兄はお察ですね。そう、麻雀の「ポン」と「チー」が語源です。

 ミスター・バイクやBG、そして当時はゴーグルも編集していた東京エディターズという会社にはギャンブル好きの編集者とフリーが多く、昼間はパチンコかパチスロか花札、夜は徹夜で麻雀、メンツが揃わないときは将棋崩し、将棋を積むのがめんどくさくなると明け方にはハイテンションでジャンケンと四六時中ギャンブル漬けの、すでにダメな大人や、これからダメな大人になる人がごろごろいました。まだ景気がよかったころ社員旅行で海外(カジノは必須条件)に行ったときなど、初日ですってんてんになり金利50%の怪しげなカードローンに走った某女史(Mリコさんといいます)や、到着したその日から帰るギリギリの時間まで延々スロットをやり続けた人(I井さんといいます)、挙げ句にホテルの部屋に私設雀荘を開設した人(H坊といいます)などなど、例を挙げたらダメ話は枚挙にいとまがありません。

 当然麻雀も大好きで、当時ゴーグル誌の編集長だったN尾さん(現・東京エディターズ社長)、人生がギャンブルみたいな名物編集部員のI井さん、本誌でコラム連載中のNオヤビンなどの濃すぎるメンツに呼び出されると、私も嫌いじゃないというよりも大好きなもので、持てるだけのネギをしょって出かけていきました。

 あっ、みなさん、現金を賭けての麻雀は犯罪ですからしてはいけません。小心者の私にそんな大それたことは出来ませから、昔の偉人さんが書いてある紙を使って遊んでいました。福沢諭吉さんが書いてある紙が一晩で5〜6枚飛んでいって青くなったこともありました。ただの紙切れとはいえ、なくなるのは嫌なもの、早く上がりたい一心と、鳴きたい牌は王牌(※以下しばらく麻雀用語が出ていますが、知りたい方はググッてください)に違いないという極度の猜疑心に苛まれ、三元牌は言うまでもなく、トイツがあれば「ポン」、リャンメンでもカンチャンでも迷うことなく即「チー」です。「また、エトーの『ポンチー』かよ」と言われるほど鳴いて鳴いて鳴きまくりました。まあ、鳴きまくって、勝てるほど単純なゲームではありません。鳴いて鳴いて結局最後は振り込んで泣くのは私ですが……いつの間にか私は「ポンチー」と呼ばれるようになったのです。せっかくなら『ポンチーカン』と呼ばれたかったのですが「カン」はなかなか出来なかった、それが心残りではあります。

初代雀王
初代雀王
そんな麻雀好きが集まって月一、仕事そっちのけで開催されていた「東京エディターズ杯 雀王決定戦」。その初代雀王様に輝いたのは、こともあろうか大穴無印のポンチー様だった。

 そして最後の疑問、なぜ私が転がっているのかですが……

 最初2時間くらいはなんとか上手い具合に走っていたんです。ホヤ坊を余裕で追い上げたりしながら(ホヤ坊はCRM50で、こっちはTT250Rですし)。それが、辺りがうっすら明るくなった頃、突然目がよく見えなくなってしまったのです。今までも日没に近くなると突然辺りがグレーになって状況が解らなくなる事がありました。いわゆる鳥目に近い状態です。ちなみに鳥目と言いますけれど、鳥の中でもニワトリ以外は夜行性が多くて、実は鳥目ではないらしいです。なら鳥目じゃなくてニワトリ目と言わないと、鳥に失礼でしょ。そのニワトリ目が突然起きちゃったんです。
 視界を失い、はっと気がついた→目の前に崖の壁が近づいてくる→だから慌ててフルにブレーキをかける→フロントロックでフロントを持っていかれる→「エトーさんが転んだ」(←とりあえず「だるまさんがころんだ」の節で読んでください)。これが1回目の転倒。

 気を取り直し、バイクを起こし、エンジンをかけ、跨がって発進。が、ものの何百メータ−も行かないうちに再び
「エトーさんが転んだ」。
 二回目は何で転んだのか、まったく理解できないまま、この状態にあるというわけです。
 
Do you understand? I don‘t understand.

 さすがに二回目となると精神的ダメージ、肉体的ダメージ、それに物理的ダメージが大きくなるんです。といいますか起き上がろうにも物理的に起きられないんです。足首がステップに挟まれて抜けないんです。
 コーナーの立ち上がりでバイクに挟まれて横たわっていると…、アリタリアカラーのランチアストラトスがドリフトしながらやってきて、どっかーん……いや、いや、いや、ここはモンテカルロではなく南アルプス。、ランチアは来なくても軽トラでも一発ツモであの世往き。早急になんとかしないと。

「たかだか250のオフ車だろ? どんだけ非力なんだよ」

 そう思った貴方、今から状況を説明します。でも、たぶん解ってもらえないと思いますので、250のオフ車。フルセットが入った背負いタイプカメラバッグ、300mm望遠レンズ入りソフトケース、10ℓの予備ガソリンタンクを用意してください。用意できましたら、オフ車のリアキャリアに予備タンクをしっかりと固定して、カメラバックを背負い、望遠レンズを遠足の水筒のようにたすき掛けにしてバイクに跨り、そのままコテンと横たわってください。出来ましたか?
 ではみなさんの用意が調いましたら、後編で、いっしょに脱出しましょう。

後編へ)


衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。12年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

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