MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

ポンチーイリュージョン後編

 さて、みなさんの用意が整ったところで、後半いってみよ〜!

 カメラバックが重すぎて、体が起こせません。ひっくりかえったカメ状態です。そうそう、カメラマンだけにね、などと言ってる場合ではありません。せめて足がバイクから抜ければなんとかなりそうですが、これも全く抜けそうにありません。ならばと、まずはレンズケースを外そうとしたまさにその瞬間、再び

「ぽん、ちー。ぽん、ちぃっ」
「ぽん、ちぃーっっ。ぽん、ちぃっっ」
「ぽん、ちぃ〜っっっ。ぽん、ちぃっっっ〜」
と、間の抜けたこだまが。

 にゅるという音とともに気が抜け、くすくす笑ってしまって全く力が入りません。こんな時、とりあえず人間は笑ってしまうのだという事を知りました。知ったからと言って人生のプラスになったかというとなってはいないようですが。あっ、先ほどの用意するものリストに、こだま入りのカセットテープ、またはipodを追加しておいてください。みなさん、笑えますか?

 笑いをこらえながらもなんとかレンズケースは外す事ができました。次は、カメラバックです。どう説明したらいいのか、横に寝たままランドセルを外す事を想像してください。右肩は外せるのですが左の肩は転倒して地面と接触しているので外せません。その上、腰のあたりに乗っているバイクは予備タンクの分、さらに重くのしかかっています。
 信哉さんとホヤ坊はCRM50なので、予備タンクはTT250Rの私が運搬するのは当然なのですが、たかが10ℓがこんなに思いとは重いませんでし……いや、重いとは思いませんでした。

 そうだ、タコがタコツボから手足をにょろにょろ出して体をくねらせて出てくるように少しずつ体をズラして動けばなんとか……ん? タコの手足? タコの体? タコの手と足ってなんだ、などと余計な事を思っていると、再び
「ぽん、ちー。ぽん、ちぃっ」

「ぽん、ちぃーっっ。ぽん、ちぃっっ」
「ぽん、ちぃ〜っっっ。ぽん、ちぃっっっ〜」
の波状こだま攻撃。

 笑うしかない状態です。笑って力がいい具合に抜けたのか、あら不思議、笑った拍子にすっぽり左肩のショルダーが抜けカメラバックが背中から外れました。でも、ここからがまた大変です。とにかくバイクが重くて重くてびくともしないのです。
たぶんほとんどのみなさんは、ウソだと思うでしょう。だから言ったじゃないですか、さあ、オフ車に10キロの重しをつけて、Let’s挟まり!

 左の足首辺りがステップに踏まれた状態で起き上がれないんです。ならば右足を踏ん張ればいいではないか、と言われそうですが、横になった状態でどうやって踏ん張れと言うんですか!? 

 10分程ほど悪戦苦闘してみたものの、一向に解決する気配はみえず「もう、どうでもいーや」という気分で諦めてタバコに火をつけて一服しました。
 無茶苦茶恐ろしいことしています。もしガソリンが漏れていたら、美味しくなさそうなポンチー丸焼き一丁上がり。自棄(やけ)になって焼けちゃったら、シャレになりません。今転がっている奇特な貴方、これは絶対にマネしないでください。

 しかし、何事もいい方に転がる時は、事態も好転するものです。一服したおかげか少し冷静になり、バイクが重いのならば軽くすればいいのだ! すごく簡単なことに気がついたのです。まさにコロンブスの卵。必死に体をひねりながらなんとか予備タンクを外す事に成功したのです。バイクが軽くなったので左の足首をごねごねしていたら、またしても

「ぽん、ちー。ぽん、ちぃっ」
「ぽん、ちぃーっっ。ぽん、ちぃっっ」
「ぽん、ちぃ〜っっっ。ぽん、ちぃっっっ〜」
のこだまちゃん。

 仏のエトウも三度まで。さすがに「叫んでいるくらいなら、助けに来いよ」と少々むっとしながら、足に力を入れたところと、摩訶不思議、突然スッポリと靴が脱げ、同時にするっと足が抜けました。

「押してもダメなら引いてみな」

 力を抜いたり入れたりの天才的な複合技(まったくの偶然とも言います)により、南アルプス山中のポンチーイリュージョンは見事成功したのです。火だるまからの脱出の演出がなくて本当によかった……あっ、みなさん、脱出できました?

「助かった、死なずにすんだ」その時は立ち上がった瞬間、本当にそう思いました。バイクを起こしエンジンをかけ、叫び続ける2人の所に向かいました。事の始終を話しましたが、私の死ぬ思いなど知るはずもなく、腹の底から嬉しそう笑うんです。私が力説すればするほど、笑いは大きくなりました。
 この時の私の状態は記事の中にしっかりと書かれています。が、あの時は必死でしたから、実は全く覚えがないんです……知りたい人はヤフオクで1994年9月号を見つけてください。

 とにかく散々大笑いされましたが、「やはり、荷物が多すぎて大変だろう」と信哉さんは300mmレンズを持ってくれました。やさしい人です。本心は「これ以上エトーがころがって、機材をダメにして撮影ができなくなったら大変困る」ということだったのかもしれませんが。

 この後は大きなアクシデントもなく撮影をしながら順調に進みました。実は、殺人犯が近くに潜んでいたとかいう、一歩間違えばニュースネタになりそうなことがありましたが、記事を読み返す今の今まですっかり忘れていました。そうなんです、実は、「ポンチーイリュージョン」の後のことをあまり覚えていないんです。当時撮影した写真を観ても、確かに私がシャッターを切ったはずなのですが、どのあたりで撮影したのか、何のために撮影したかったのか、ほんとに覚えていないんです。

FRC FRC
FRC
またまた偶然発見できました当時の貴重な写真。さすがポンチー師匠、いい写真たくさん撮ってます。でも、こんだけ手間暇かけた取材でモノクログラビア6ページ。今から思うともったいな〜い。

 写真を見ていて唯一思い出したのは、タイトルカットに使った疲れ果てて河原で寝込んでしまった写真です。実は以前、北海道取材でも前日まで全く寝ていなかった信哉さんが、一寸だけ寝かしてといいながらも2時間程全く起きず、ロケが押しまくったことがあったのです。このときもそうでした。いくら声をかけても全く起きない……記事中では、2人とも1時間程寝たとしていますが、ホヤ坊は凄いイビキで、信哉さんはブーツ、靴下をしっかり脱いでDON’T DISTURB状態で本当は2時間くらい寝ていました。私はコケた興奮からか、全く眠れなかったのに……

 いくらなんでもそろそろとしびれを切らし「暗くなってからは撮影できませんよ。ページが埋まらなくなりますよ」と怒ったように言うと渋々起き上がりました。実は信哉さん、この言葉に弱いんです。やはりプロ、ページに穴を空ける訳にはいかない。だから私は困った事になると、最後の切り札で使う事にしていたのです。

 でも、誰も来ない、自然の音しかしない場所で寝ることの楽しさ。こんな事を信哉さんは色々教えてくれました。本当に色んな事をしり尽くしている人なのです。
 これが私が同行したファイヤーロードの取材で一番長く過酷でした。この取材後は、ちょっとやそっとでは泣き言はいわなくなりました。

あっ、でも、麻雀で「ポン」「チー」の鳴きまくりは相変わらずでしたが。

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衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。12年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

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