MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

ミッション梅 カメラマンは2度死ぬっ!前編

 翌日早朝、羽田空港に集合すると各専門誌と一般誌の皆様(=いつも試乗会で顔を合わせる面々)がいました。かなりの大人数です。この団体を引率する添乗員は、毎度おなじみスズキ広報のM山さん。この方には大変お世話になりました。今どーしていらっしゃるのでしょうか?

 お昼前に北海道は新千歳空港到着。そこから札幌市内にあるスズキの営業所までバスで移動しバイクを受け取り、各自ツ−リングやらバイクツアーの取材をして本日の宿、ニセコホテル日航アンヌプリに現地集合の予定です。

 営業所に到着し、さて、バイクをという段階で驚くべき事態が発覚しました。林道取材のためこの年の6月に発売されたばかりのTS200Rを2台手配しておいてください。2台ですよと、近藤編集長に念を押しておいたのに、どこで何を間違えたのか待っていたのは1台だけ。一般道は何とかなりますが、さすがに林道で2人乗りはつらい。しかも梅コースと言っておきながら、当然松コースの機材も持参しています。M山さんに「何とかならないでしょうか」と泣きついてみたものの「ないものは、なんともならんだらー。浜松ならなんとかするけど、北海道だらー、無理だらー」と浜松弁の「だらー」を連発するだけで何ともならないのでした。無いものをおねだりしてもしょうがない。時間も無いので信哉さんはバックパックを背負い、私はカメラバックを背追い、満員電車のような感じの2ケツで出発です。

 バイクに乗る前、信哉さんは何度も何度も繰り返し言いました。

「エトー、お前、キンタマを俺様の尻にくっつけるなよ。気持ち悪いからな! なっ!!」しかし、ブレーキング時は物理の法則に従って自然と身体が前に行ってしまうのです。信哉さんの機嫌を損ねると、とんでもないことになるのはよく解っていたので、絶対文句を言われない様に、シートベルトをしっかりとつかみ、前に行っても私の息子さんが、信哉さんに当たらぬようがんばりました。

 そして、2ケツというのは心理的にも怖いものですが、信哉さんは取材先で「あんた、仕事は何かね」と聞かれると決まって「バイクの運転手だ」と答えるだけあって、安心して乗っていられました。

 バイクの運転手信哉さんの口癖は「余計な事はしない」でした。

 以前、環七でウィリーをしたのはいいのですが、そのまますっ転んでナンバーごとリアフェンダーが吹っ飛び、おまけに買ったばかりのポケベルをなくした事を思い出します。そのとき信哉さんが言った「エトー、余計な事すると損するぞ」を思い出します。

 夏場ですがバイクで走ると結構寒く、途中で細川たかし出身の村だったか、音楽の鳴る記念碑を見た記憶があります。ちょこちょこと取材をしながらホテルには4時頃到着しました。

 その夜、信哉さんと酒を呑みました。呑み始めたら途中でやめる人ではありません。とことん呑みます。飲んで呑んで呑みまくりです。その結果、次の日の取材に影響してくるのもいつものこと。飲み会の終わりに決まって言う口癖「ラーメン食おーぜ」の言葉を何度も言い放つのですが、ホテルにはありませんでし た。寝付くまで何度もラーメンに固執してました。

 翌日早朝、林道目指し再び2ケツで出発です。何もない道を走っているとドライブインと言うよりは、山小屋みたいな食堂がポツンと現れました。呑んで体調がきりっとしないとき、信哉さんはなぜかラーメンを食べたがるのです。直ぐさま止まって「エトー。ラーメン食うぞ!」と言うか言わないうちに店に入って行きました。
 期待出来ないといいますか、凄くまずそうな店だったのですが、力強くラーメンと書かれた赤いのぼり文字に引かれてしまったのでしょう。開店と同時だったので他にお客は誰もいません。すぐに出てきたラーメンは、見た目を裏切らないびっくりするほど凄まじくまずいラーメンでした。しかも店のドアを開けた瞬間、いやバイクが止まった瞬間から小さな犬が「きゃんきゃんきゃんきゃんきゃん〜」と吼えっぱなしで、うるさくてしょうがないのです。店を出ると「犬の嗅覚は人間様の何万倍もあるはずだから効き目はすぐあるはずだ」と信哉さんは言ってました。信哉さんがなにをしたのかは……どうしても知りたい人は1989年10月号を探して284ページを読んでください。

1989年10月号
今回のお話は、ミスター・バイク1989年10月号の後ろモノクログラビア6ページに掲載されています。北海道まで行ってモノクロで、しかもたったの6ページ。経費削減の今では、とても考えられません。

 走り出すといつもの眠気が信哉さんに襲いかかってきました。「眠くなったら無理せず車を止めて仮眠しましょう」と教習所の教本に書かれているようにバイクを止め、海岸の浜辺で直ぐさま横になり「エトー、30分したら起こして……」と言いきる前に寝てしまいました。
 前回も書いたとおり、信哉さんは寝てしまうとなかなか起きません。約束の30分が過ぎたので何度も起こしましたが、起きません。そこで、いつものごとく「ページが真っ白になりますよ!」ときつく言うとやっと起き上がって動き出しました。

 いよいよ林道です。しかし林道に入るなり「熊注意」の看板を見つけてしまいました。

「信哉さん、ここヤバいんじゃないすか?」
「しょうがねーだろ、行くしかねーだろ」

 バイクは一台。自分だけ引き返すことも出来ず、ついていくだけです。砂利道になるとアスファルトとは違う振動が襲ってきました。しかも凄い振動が。自分で運転していればスタンディングしたりして、カメラに影響がない様なんとか振動を避けたり出来るのですが、何せ2ケツなのでほとんどロデオマシンに乗っているような状態です。このまま走り続けると、振動でカメラが壊れるんじゃないかと心配になりましたが、片手でシートベルトを、もう片方の手でリアシートレールを掴んで落ちない様にしなければならないのです。 

 そうこうしているうち、なんとか今回のメインとも言える高さ70m、幅35mの北海道一の滝とも言われている大スケールな賀老の滝に到着しました。さすが70メートの落差があるだけのことはあり、滝壺まで何百段もある階段をえっちらおっちらと下りて行きました。メインカットですから、構図を替えたりレンズを替えたり、縦位置、横位置でたくさん撮影しました。信哉さんは知らなかったのですが、マジで近藤編集長を驚かすためわざわざ持って来た写ルンですでもシャッターを切りました。

 撮影を終えて長い階段をやっこらよっこらと登り、再び走り出しました。熊が出てこないか辺りを見渡しながら走っていると(実際は後ろに載せていただいているだけですが)、信哉さんは前方に何やら黒い固まりを見つけました。

「エトー、黒い犬みたいのがいるぞ。小熊か? それとも熊に襲われた何かか?」

 ゆっくり近づいてバイクから降りその黒い物体を見ると、黒い固まりは草をコールタール漬けにしたようなものでした。糞? 馬や牛の糞は見た事がありますが、こんな色ではありません。明らかに違います。という事は……

「信哉さん、これもしかして熊の糞じゃないすか? ヤバイですよ。これまだやったばかりっぽいですよ。さっさと行きましょうよ。襲われますよ!」
「エトー、これ撮影しとけ。トビラカットに使えるだろ。熊の糞なんて、ほとんどの人は見た事ネーから絵になるんじゃねーか? 撮っちゃおうぜ。もし熊が出てきたらよ、大声出しながら逃げればいいんだから。なっ。ほれ、準備しなっ。俺様がポージングするからさっさと撮っちまえ」

 さすが信哉さんです。私もプロのカメラマンですから撮れと言われれば撮ります。縦やら横やら構図を替えてシャッターを切りまくりました。
 でも本当はかなり慌てていて、風で草が揺れガサガサと音がする度「死ぬー!」と思いました。もう充分撮ったと思って立ち上がった瞬間、突然「ガオォーっ!」という雄叫びが! 
 熊ではなく信哉さんのイタズラでした。3秒くらい心臓が止まりました……

1989年10月号
例の黒い物体。ちゃんとトビラページになりましたが、残念ながら例によって原版は紛失して現存しないようです。死ぬ思いして撮ったのに……。

 それから、しばらく走ると砂利道は終わり、脳みそシェイクから開放されました。取材も終わり後は札幌市内のホテルへ向かうだけです。しかし途中で信哉さんはとんでもないことを言い出しました。北海道ですから、国道沿いにカニの直売所があり、それを見た信哉さんは「ぜひともカニを買いたい」と言うではないですか。普通であれば、おかしなことはなにもないのですが、私は普通ではないほどカニが大嫌いなのです。熊に襲われるよりも、カニがひたひたと迫って来る方が数千倍恐ろしいのです。食べるなんてとんでもない。見るだけでも怖いんです。それなのに買うということは、2ケツしている空間に死体とはいえ、あのおぞましいカニと3ケツになってしまうということです。3ケツになると間違いなく私が酸欠になります。大抵のことは譲りますが、カニは絶対にダメです。どうしても買いたいと言いはる信哉さんに、努めて冷静に言いました。

「今ここで信哉さんがカニを買って、背中のバックパックに入れたとします。すると私の目の前に、私が大嫌いなカニがいるということになります。そんなこと、とてもではありませんが私には耐えられません。私は間違いなく直ちに走行中にバックパックからカニを取り出し、力の限り遠くに投げ捨てるでしょう。つまり、ここでカニを買っても買わなくても、結果として信哉さんはカニをお土産にできないということなのです」

かに
理由? そんなものありません。カニなんて見たくもないのです。※写真はあくまでイメージです。

 本当は怖くて怖くてカニを掴んで捨てる事なんて出来るわけがないのですが、あまりに真剣な私に同情したのかあきれたのか、渋々、諦めてくれました。結局、帰りの空港でカニを買った信哉さんですが、飛行機の中でず−−ッと「空港で買った毛ガニは高かった」とぶつぶつ言っていました。

 熊とカニの恐怖から無事生還し、すぐ編集部に行き「梅コースお待たせいたしました」と近藤編集長に写ルンですを渡しました。すると「マジかよーー。本当にこれで仕事やってきたのかよ……」と青い顔になりました。
 しばらく沈黙の後、眉毛が八の字になり顔が蛸の様に赤くなった所でF1で撮影したフィルムを出しました。

「脅かすなよーー」

 うししし、ドッキリ大成功です。

 でもこの後が大変でした。現像が上がってベタを見ると何カ所か写ってない所が……今度は私が青くなる番です。やはりあのものすごい振動でカメラが故障したのです。近藤さんをからかったバチが当たったのでしょうか……しかも写ってないのは、メインカットになるはずの賀老の滝と草原の写真です。
 耳元で「すううううううっ〜」という音が聞こえ、脳みそから血の気がひいて目の前が真っ白になりました。

「まあよ、エトー、こういこともあるよな。写ルンですで撮っておいてよかったな。ふふふ」

 近藤編集長の勝ち誇ったようなこの言葉を聞き、なんとか三途の川を渡らずに済みました。

 出来上がった誌面には、写ルンですで撮ったカットがかなり大きく掲載され、その下にはなんの脈絡もなく以下の一文もがありました。

 
この2枚の写真は「写ルンです」で撮ったんです。
バイク旅の記録には結構強力なツールとなるんです。

1989年10月号
言われてみれば不自然な誌面構成ですが、言われなければ気がつかないかもしれません。さすがは編集長、編集のプロです。

 知らない人が見れば意味不明。業界関係者ならば富士フィルムとのタイアップかと思ったに違いありません。近藤編集長から私への、戒めのプレゼントであり、強烈なしっぺ返しでした。

 今でも、写ルンですは売ってます。デジタル全盛の今日ではありますが、生産終了などしないで、いつまでも大事にしたほうが良いのではないのでしょうか。日本人の誇りである遺産の一つとしてとして。

「デジカメは 電池なければタダの箱」「カメラマン 写ってなければ重罪人」

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衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。12年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

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