MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

川海苔事件 前編

 前々回にお話した「ポンチーこだま事件」のちょっと前のことです。FRC(ファイアー・ロード・クラブ)の名付け親でもある近藤編集長から、気のいいあんチャンのホヤ坊にページ担当編集者が変わりました。

 FRCの取材は信哉さんと私、つまりライター兼モデル兼ディレクター兼道案内人の信哉さん、カメラマン兼目覚まし時計係の私という最少の部隊編成が通例でした。水無し川ロケ(1991年だったと記憶しております)に、近藤編集長が同行しましたが、私が参加した取材ではあれが最初で最後だったと思います。その時の近藤編集長がやらかしたお話もおもしろいのですが、今回はそれではありません。それもそのうち書こうと思いますのでどうぞお楽しみに(近藤編集長、恥をさらされたくなければお歳暮お待ちしております。解っているとは思いますが、間違ってもカニだけは送らないように)。

 新担当のホヤ坊にFRCの趣旨、方向性、そしてFRCとはいったい何かという大前提を理解させて、よりよい誌面作りに反映するため(タテマエ)、信哉さんが取材に誘ったのです。机に向かって仕事をするよりも、外に出る取材が大好きなホヤ坊ですから「いいッスねー、いきますか!!」と2つ返事で即答です。
 編集者が同行する事がなく、いつも信哉さんと私ではマンネリ気味で寂しかった取材(ホンネ)が、この後はにぎやかになり、前記のポンチー事件などのおもしろファイヤーロードが続くのでした。
 FRCといえば、当初は林道紹介記事がメインでしたが、この頃はおもしろい企画の読み物の記事という感じで、信哉さんの抱腹絶倒の本文と、それを引き立てる私の素晴らしい写真(なんです!)で大人気のコーナーでした。本文と写真のおもしろ比率は9:1でしょうけれど。それはさておき、信哉さんとホヤ坊がそれぞれ別に文章を書くというステレオ構成の新たなスタイルが生まれたりと、誌面もホヤ坊の参加で幅も広がりました。


1994年5月号
今回の記事はミスター・バイク1994年5月号から。ホヤ坊節が満開していたこの時期の表紙にしてはずいぶん大人しめ。なにかのタイアップ企画だったんでしょうか?

 今回のお話は、1994年5月号に掲載されたFRCです。すでに何度かFRCに同行していたホヤ坊は、とにかく些細な事でもの凄ーく感動してしまう純真無垢なピュア坊であるということに気がついた信哉さんは、キラキラとした目の純真無垢ピュア坊をいじる企画を思い立ったのです。

 取材の前日、打ち合わせの為に信哉さんから連絡された時間に編集部に行きました。いつもの食堂にいつものように入ると信哉さんがひとり。編集担当のホヤ坊がいないのに変だなと思いましたが、私の顔を見るなり信哉さんはニカっと笑って言いました。
「エトー、今回もおもしろいぞ!」
「今回は」ではなく「今回も」というのが信哉さん流です。もちろん前回以上におもしろい企画を思いついたということです。
「どこかおもしろいとこに行くんですか?」
「おう、今回はだな、多摩川沿いを上流まで遡って行く。でだな、ホヤに旨い川海苔を食わしてやるって寸法だ」
「川海苔? 何ですかそれ? そんなもんあるんですか?」
「それは、行ってからのお楽しみってわけだ。それとな、今回、伊勢ひかるが一緒に行くから。邪魔しないから連れて行けってしつこいからよ」
「そうですか……なんかイヤーな予感がするなー」

 伊勢ひかるという男は同業のカメラマンなのですが、実は私、ちょっと苦手でした。泡を吹いたり横歩きをしたりはさみを振り上げたりするとんでもない生き物のカニに比べれば、たいしたことはないので嫌いというほどではないのです。
「いやー、大丈夫ですよー、まかしてください。ホントーに大丈夫ですからーーー」
 しかし、失敗すると「あれー? おっかしーなー」とへらへら笑ってごまかす口癖に、いいかげんなことが出来ない私はイライラしっぱなし。そんな私を見てヤツはさらにからかうのです。
 だいぶ後の話になりますが、酒の席でひかるを詰問したら「だって、エトーさんをからかって興奮させると、『ななななな、なっ』って言葉が詰まるじゃないですか。あれ、凄ーくおもしろいんですよね〜。興奮すると絶対やりますもんねー」と完全に遊ばれていたんですね、年下のくせに。ソーなんです。あの頃は興奮すると、言葉が詰まって話が出来なくなっていたのです。「だからこいつはいつもからかって興奮させていたのか」と初めて知りました。
 今はもう大丈夫。大人になったので、簡単に興奮して言葉が詰まるようなことはありませんから。お隣宮崎出身のエビちゃんが、目の前で一糸纏わぬ姿、よりも靴下だけ履いている姿で踊り出さない限りは(※靴下関係は私ではなく、ホヤ坊の好みですが)。  

(後編に続く)


1994年5月号
どんな記事だったのかは、後編を待て。待てない人は古本屋へGOだ。でもたぶんそうかんたんには見つからない。

[後編へ]


衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。12年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

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