MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのもあるかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

野宿 酒盛り 焚き火 珍道中はここから始まった

 今回は、1990年代中盤から2000年代前半に、ミスター・バイクで数々の名企画、珍企画を繰り出した名物編集者、坂下浩康君(いわゆるホヤ坊)が、FRC(ファイヤー・ロード・クラブ。シンヤさんが林道を走るミスター・バイクの人気企画)に参加した2回目のお話です。
 
 早朝、いつものように編集部に集合すると、シンヤさんは準備万端整えてスーパーカブ(100ccのタイカブ)でやってきました。
 
 カブと言えば思い出すのはシンヤさんのぶっ放す高等な駄洒落。シンヤさんの得意技の一つですが、高等すぎて気がつかないこともしばしばでした。
 この頃すでにバブル景気は終わり、平均株価は絶頂期の約半分2万円台でしたが、今の株価を思えば景気はまだよかったのです。そんな時代背景を思い浮かべ以下の会話をお読みください。

「昔、俺よー、株で相当いい思いさせてもらったんだ」
「どこの株でどんだけ儲かったのですか? 凄いですねー。そんな才能あったのですか」
 純真無垢な私は素直に感心しました。
「特にHONDAの株にはよ」
 私はまだ気がつかずに会話が続きます。
「で、何株くらい持ってたんですか?」
「おっ、おう。一株か三株くらいだな」
 知り合い連中に「シンヤさんが株で大儲けしたらしい」と話を広められてはまずいと思ったのか、私が気付くように付け足して言いました。
「へえ〜。株ってそんなに少ない量で儲かるんですか!」
 全く気がつかない私にシンヤさんもついにイライラして叫びました。
「ヤマハでは株のことをメイトって言うんだぜ」
「???? !」
 やっと気付いた私に「気がつくのが遅いんだよ、エトー!」的な、してやったり満面の笑顔(いつもの波目を伴って)を見せました。
 
 林道だろうがストリートアタックだろうが一緒にいると必ず2、3回はこんな会話がありました。ビシビシ鍛えられたおかげで、いつの間にか私も高等駄洒落を連発できる様になるのですが、それはまだまだ先の話です。

  
 話はロケ前日に戻ります。
「エトー、今回、カブで林道走ることになった。伊豆まで行こうと思ってるから一泊になるだろうな」
「じゃあ、伊豆の旅館で新年会ですね。パーッといきますか!」
「そんな予算あるわけねーだろ。テントで野宿だ。ワイルドだろ!」(今から約20年前、すでにスギちゃんのネタをシンヤさんは連呼していました。マジです)
「えーっ、野宿ですかぁ まだ1月ですよぅ。山の中なんてまだ『ふけ』(シンヤさんは残雪をこのように呼ぶ)が残っているんじゃないスかぁ。野宿したら凍え死にしますよぅ」
「大丈夫だよ。ちゃんとしたテントと寝袋準備するから。安心しな!」
 不満たらたら、伊豆の温泉旅館でどんちゃん騒ぎに後ろ髪を引かれながらも野宿はしぶしぶ了承しました。せめて山海の幸は食べたいので、最後の抵抗を試みました。
「で、飯はどーすんですか? どっかの食堂で食べるんですよね?」



1994年3月号
今回の記事はミスター・バイク1994年3月号に掲載されました。表紙は以前このコラムでタネ明かしした炎のサンダーロード丸です。

 
「そーだな、そんな場所ないから缶詰とか色々買って酒盛りしようぜ!!!」
 この瞬間、シンヤさんが完璧な山賊に見えました。といいますか、都会でも日頃の行動はそんな感じがしていました。キャップを捨てるどころか、2リットルのペットボトルを一気に飲み干してしまうような本物のワイルダーなのです。例え砂漠に1人置き去りにしても、絶対何事もなかったかの様にケロッとした顔で帰って来るでしょう。
 しょうがないので私も腹をくくり提案をしました。
「シンヤさん、生竹切って中に日本酒入れて、火であぶって燗して呑んだことあります?」
「何だそれは、激しくうまそうだな」
「そうなんです。これがまた死ぬ程(死んだことはまだないのですが、死ぬ目には何度も遭ってます)うまいんですよ。先日田舎に帰ったときに河原でやったんです。竹の香りが酒に移って、安い酒でもとてつもなくうまい酒になるんです。どうです、これやりましょう。写真撮っても絵になるし、ワイルド感も出ますよ」
「じゃあ、どっかで生竹調達して一杯やるか!!!!! でもホヤ坊には内緒にしておこう。呑んだらすげー感動して、犬みてーに喜んでションベンたれまくったりしてな」
「ではすみませんが、竹切りノコも準備してください」
「おう、わかった」
 段取りが済んだので一安心。というか頭の中は酒盛りのことで一杯です(多分私だけ。シンヤさんは仕事のことは忘れない。もちろん酒のことも忘れてない)。よくよく考えて見れば、肝心の取材の段取りはシンヤさんにまかせっきりでした。


記事

記事

掲載された記事です。おもしろそうでしょ? 読みたいでしょ? がんばって読んでください。たぶん読めませんけど。

 
 当日、シンヤさんはカブで、ホヤ坊はCRM50で、私は何だったか忘れましたがオフ車で出発。撮影中ホヤ坊に悟られないように注意しながら、竹林を見つけると「竹はここで調達しないと」とか「日本酒はこのスーパーで買わないと」と酒盛りモードで心配しまくりでした(心配症ですから)。
「大丈夫だよエトー、心配すんな。食料と酒は川崎からちゃんと持ってきてっから」そんなことはお見通しと、シンヤさんはカブのキャリアに載せた荷物をポンポンと叩くのでした。
 とりあえず(とりあえずですけど、とりあえずではなく真剣に仕事もしています。写真見て下さいね)取材、撮影を済ませ、暗くなったので林道を下り、小さな商店で酒と食料を買い足して再び林道へ。目星をつけた竹林の前で止まり、満を持して私は宣言したのです。
「坂下ーっ、竹で燗した酒呑んだことある? うまいよ。呑んでみたくねー?」
 すかさずシンヤさんが青竹を一本切り出します。
「よーし、これで準備はできた」

 

 
 到着した場所に慰霊碑が建っていました。私は蟹と同じくらいこのような場所が大嫌いです。なんか出てきそうで怖いんです(小心者ですから)。
「違う場所にしませんか」と言おうとしましたが、シンヤさんも感じるものがあってか、もうちっと先に行ってみようと峠の広場へ移動しました。

「じゃあ酒盛りの準備スッか」と焚き火を作り、竹を切り、着々と準備が進みます。酒盛りを始める前にメインになるであろうカットをとりあえず撮影(とりあえずと言えど、ちゃんと真面目に仕事してるでしょ?)していると、火であぶった酒が徐々に出来上がり、なんともいい香りがしてきます。


ネガ

珍しいことにシートごとネガが残っていました。メインカットだけでこんなに撮ってます。ちゃんと仕事してるでしょ? こんだけかって? フイルム1本で36カットしか撮れないです。デジタルじゃないんだから。普通は1カット3コマくらいしか撮らないんですよ。

 
 こうなるといけません。「エトさん、もういいしょ。早く乾杯しましょうよ!!」
 ホヤ坊に言われるまでもなく、竹で作ったコップに酒を注ぎ乾杯!
「うめーっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!」
 一口呑んだホヤ坊は大喜び。良かった、こんなに喜んでもらえて。
 酒盛りが進むにつれて、徐々に焚き火も小さくなり辺りが暗くなります。仰向けに寝っころがり空を見上げると、都会では見ることが出来ない満天の星空が広がっていました。
 「すげー、すげー」ホヤ坊は連呼しながら感動していました。もしかしたら、喜びションをちびっていたかもしれないくらいに。


林道

林道

せっかくシートが見つかったので、未発表カットを本邦初公開。左の走りの写真、撮影だから並んで走っていますが、カブだろうとなんだろうとシンヤさんとホヤ坊ではまったく勝負になりません。右のメインカットですが、なんか白いモノがもやっと写っています。安心して下さい、ただの煙のはず……ですから。

 
 夜空を見上げるで思い出したのですが、以前シンヤさんと何処かの山の中で野宿した時のこと、空に何かが浮かんでいました。それがなにか解らなくて、朝まで怖くて怖くて眠れなかったのです。確認出来ないものですから間違いなく未確認飛行物体=UFOなんですけど、あれはどこの山の中だったのか思い出せません。位置情報喪失光線を浴びせられたのでしょうか。今さらながらとても気になります(小心者で心配症ですが、好奇心は強いんです)。

 翌朝、のどが渇いて目が覚めて気がつきました。酒以外の飲み物を全く持ってこなかったのです。しこたま日本酒を呑んだ翌日ですから、のどが貼り付きそうです。映画のワンシーンならば、川まで行って顔を洗って、ワイルドに川の水をごくごく飲むのでしょうけれど、シンヤさんは絶対に川の水は飲みません。狐のなんとかいうものをいっしょに飲んでしまうと大変なことになるとか言っていました。ただの無謀なワイルドではなく用心深いワイルドなのです。ホント色々なことを教えてもらいました。
 
 これを境に、ホヤ坊のFRC全戦参加が決まったのです。以前お話した川海苔事件など、おもしろい珍道中が繰り広げられる原点が今回の野宿でした。あんな話こんな話、思い出したらまた書きます。お楽しみに。


衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

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●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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