MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

ラッコ型水中カメラマンの誕生

 今回は1986年、私が苦しいスタジオマン修行が終わった次の年くらいでしょうか。やっと、独り立ちしてお仕事を貰えるようになった頃のお話です。
 この頃、私のお世話をしてくれた担当編集者は、前にもご紹介させていただいたI井さんでした。まだまだ駆け出しのぺーぺーで仕事がない私に仕事を振っていただきました。その節は本当にお世話になりました。
 そんな石Iさんとは仕事の付き合いではなく、よく一緒に遊びました。当時新宿に住んでいた(歌舞伎町まで歩いて10分!)こともあって、家で暇を持てあましているとよく電話がかかってきました。
「エトー、ワシさ、今から新宿に行くワケ。だから出て来いよ。一発台打ちに行こうぜ。いいじゃん。どーせ暇だろ」
 断る理由はありませんし、このコラムで告白したとおりギャンブルが嫌いじゃないので、のこのこ出かけて行きました。この頃は一発台<※注1>がまだまだ現役でした。その名の通りハイリスク・ハイリターンなパチンコ台で、うまくすると1000円が12000円くらいに化けてくれました。運がよいと1000円で2回くらい当たることがあり、稼ぎの無かった私にとって貴重な収入源でした。もちろん、ぼろぼろずたずたになることのほうが多かったのですが。



※注1 私がよく打っていた一発台は、記憶が正しければ台の左上のほうに玉がギリギリ通る隙間があって、そこを通ると次にクルーンがありました。あの「ざわざわ」するギャンブル漫画に出てきた「沼」の原形でしょうか。漫画と違うのはあたり穴以外は蓋がされていて側面の隙間さえ通れば必ず大当たりなるように一般台<※注2>を改造したものでした。

※注2 今ではほぼ絶滅した一発台でも権利物でもデジパチでもない、チューリップだけの地道なパチンコ台のことです。一般台の革命機、名機ゼロタイガーが登場してからは羽根モノと呼ばれるようになりました。


  
 ある日I井さんから電話がありました。
「エトーさ、お前、水中カメラ持ってる?」
「海に潜るようなセレブな遊び道具持てる身分じゃありません」
「そっか。仕事頼もうかと思ったんだけど、なきゃだめか」
「水中に潜るんですか?」
「いやそうじゃなくてさ、ジェットスキーって知ってるだろ。Kawasaki製の」
「もちろん知ってますよ。1973年に登場した水冷2気筒26psのJS400から始まるあれですよね。でも今、1月ですよ。陸から望遠で撮影すればいいじゃないですか」
「エトーさ、ミスター・バイクなワケ。派手な絵を一発撮らにゃいかんと思うワケよワシは。海の中からカメラ構えてド派手な写真欲しいじゃない。これがウチのウリとワシは思うワケよ。解るだろ、なあエトー頼むよ〜」
「そうですか……じゃあ、水中カメラでなくてもいいんじゃないですか。カメラをゴミ袋でぐるぐる巻きにすれば出来そうですが」



1986年3月号
今回のネタはミスター・バイク1986年3月号。巻頭は「パリダカ、ホンダ1、2、3フィニッシュ!」

 
「え? それで塩水入ってカメラがダメになったってエトーが泣きを入れなきゃワシは問題ないワケ」
「以前カメラを入れるビニールで出来たケース見たことあるので、ちょっとヨドバシに行って見てきます。だからそのお仕事ください」
「あ、そう。でもワシの担当ページじゃなくて、近藤さんのページだからさ、詳しいことは近藤さんと打ち合わせしてほしいワケ」と電話は一方的に切れました。
 受けてしまったのだから、なんとかしなければいけません。せいぜい3000円くらいで買えるだろうと、ヨドバシに行くとすぐに見つかったのですが……当時、私の愛機キヤノンNew F-1のモードラ<※注3>付きカメラが入るようなサイズのものは、完全に予算オーバーの12800円もしました。
 プロなんだから、仕事を受けた以上買わない訳にはいきません。きっとまた使うことがあるだろう。これも先行投資だとむずがる自分に言い聞かせて、思い切って買いました。ご想像のとおり、その後今日の今日に至るまで一度も使ったことがありません。せっかく出てきましたら、今年の夏に使ってみようかしら。 



※注3 モータドライブ=自動フィルム巻き上げ装置。今のカメラは勝手にシャッターを自動でチャージしてくれますが、当時のカメラのフィルム巻き上げは手動が標準でした。重たいモードラが付いたカメラが当時のプロ仕様でした。



防水バッグ

ラッコ
どこかにあったんじゃないかと探してみたら出てきました。ヨドバシで買った防水ケース。今でも使えるのでしょうか? 手を入れる部分のゴムは溶けていませんでしたが、どこからか水漏れがあるかもしれません。 今回はシートごと大量に写真が発見されたので、こんな写真も残っていました。これが伝説の? ラッコのポーズです。まだ海に入ったばかりで余裕があるようです。

 
 機材は揃ったのですが、真冬の海に入って撮影です。最低でも30分位は水中にとどまらなければなりません。海パン一丁では……寒い、凍える→心臓止まる→死ぬ。どーしましょう。そこまで考えていませんでした。冬場、海に潜る人は、どんなスタイルなんでしょう。今ならググッて一発検索、はてな? に相談ですぐ解決ですが、当時は書籍を読んだり人に聞いたり(そりゃ、魚には聞けませんから)、せっせと色々調べましたが、最後は「サーフィン用でいいんじゃない」という友達のウエットスーツを貸してもらいました。
 しかしやっぱり冬です。不安になり石Iさんに聞いてみると、「編集部員も同じようなもんだから安心していいワケ。みんなその格好でジェットスキーに乗るんだからダイジョーブじゃない?」
「でも、ジェットスキーに乗っているから、ずーっと水中にいる訳じゃないですよね。私と違って」
「そーだけどさ、みんな初心者だからさ、ばたばた海中に落ちるにきまってるワケ。同じなワケ」
 その一言で納得したものの、本当は寒くて死んじゃうんじゃないかと内心ドキドキでした。
 当日、編集部に集合したものの天気はどん曇り。晴れてくれないかと逗子の海岸に到着するまでお祈りしましたが、天気は相変わらず曇り。気温もかなり低かった記憶があります。


陸上からの撮影

陸上からの撮影
陸上から望遠レンズで撮影。寒い中での撮影ですが特になんの問題もありません。インストラクター(写真左)もなんの問題もありません。沈没ばっかりでろくに乗れない編集部員(写真右)は問題ですが。

 
 まずは陸上から望遠レンズで編集部員とインストラクターの水上走行シーン撮影です。これは問題もなく終了し、いよいよ海中撮影です。

 
 目の前をターンする迫力のシーンを撮りたかったので念入りに打ち合わせしてから、恐る恐る海に入ると、とんでもなく冷たく寒いんです。これは必ず死ぬな。またI井さんに騙された……しかし、全身がずっぽり浸かる深いところに行くとどうでしょう。ゆっくりですが体がぽかぽかしてくるじゃないですか。疑って申し訳ありませんでした、石Iさん。深く反省しています。そしてウエットスーツは浮力があることも解りました。これならラッコが貝をお腹の上で割って食べるようなポーズで撮影することが可能です。でも仰向けで足を伸ばしていると、ジェットスキーにぶつかりそうです。かと言ってあまり離れると迫力ある絵になりません。
 その前に2つ目の予想が的中しました。あっという間に指がかじかんで動かなくなってしまいました。当時はオートフォーカスではなく、ピントリングを指で動かしてピントを合わせる手動式です。この先、幾多の名シーンにピタッとフォーカスを合わせることになるゴールドフィンガーも、かじかんで動かないのではどうしょうもありません。
 ピントの合う範囲の広い超広角20mmレンズを付けて来ましたが、防水ケースは右手だけしか入らない構造なので親指でカメラを固定し、人差し指をシャッターボタンにかけ、中指をバレリーナのつま先立ち立ちの様にして付属品のレンズヘリコイドアダプターに指を伸ばしてピント合わせしなければならないのです。
 今思うだけでも指がつりそうな困難な状況で、1回目の撮影がスタートしました。すると突然、全く想像していなかったことが起こりました。ジェットスキーが私の前を過ぎ去ると同時に大量の波しぶきが襲ってきたのです。最初は何が起きたのか解りませんでした。ファインダーが途中から真っ白になり、あっと思ったら大量の波をかぶり、マジで溺れそうになりました。こんな恐ろしいことが起こるなんて思いもしませんでした。もし、ケチってカメラをゴミ袋<※4>にくるんでいたらとんでもないことになっていたことでしょう。
 こうなることをI井さんは解っていたのでしょう。その模様をちゃんと陸から撮っていて、「カメラマン衛藤はイルカになった!?」という訳の分からない見出しと、「本気で怒った衛藤」というキャプションで誌面を飾っています。さすが鬼編集者、名編集者の石Iさん。

 当時のモードラは最高でも1秒間で6枚撮れたかどうか定かでないのですが、一回の撮影で6枚撮ったとして、36枚撮りフィルム一本で6回できるから、何とかなるだろうと決めてかかっていました。しかし、1本では終わらなかったのです。


水中撮影

水中撮影

水中撮影

水中撮影

水中撮影

水中撮影
死にそうになって撮った秒間6コマの水中ショット。これは誌面で使われなかったボツカットです。

 

 フィルムチェンジのため陸に上がると、恐れていたことがおきました。スーツの中の暖まった海水が抜けてしまい、ものすごい寒さが襲ってきたのです。しかし「写っていませんでした、ははは」をやらかすと、おまんまの食い上げなので、寒さに耐え震える手でフィルムチェンジして又寒い海へ戻りました。海中で体が温まるのを待ってから撮影を開始しましたが、歯を食いしばらないとカチカチ歯が音を立て出し震えが全身に伝わり撮影どころではありません。



※注4 ゴミ袋で思い出しました。まだ景気の良かったころ、編集部の年末旅行でニューカレドニアに行ったときの話です。
 このコラムでも度々登場するカメラマンの伊勢ひかる、宿泊したホテルの前に海にある小さな小島をみてつぶやきました。「いや〜〜、行ってみたいな〜〜。でも〜〜寸遠いかな〜〜」「あれは遠いよ。無理じゃない。絶対溺れるよ。せめて浮き輪でもないと。やめときな」と引き止めたのですが、思い立ったら我慢のできない伊勢ひかる、ホテルの部屋にあったクリーニング袋を浮き輪にみんなの制止も聞かず泳いで行ったのです。
 しばらくすると現地の人が「沖のほうにはシャークがいるぞ」と言い出すではないですか。すでに半分ほど進んでいたので、「サメがでるぞ〜」と叫んでも聞こえません。
 それどころか、とんでもな事態になってしまいました。その日ウインドサーフィン大会が開催されていたのです。コースのド真ん中にゴミ袋とともに漂っている日本人……参加者達はちょっとしたパニック状態で伊勢ひかるを避けるように走行していきました。
 そんなことにはまったく動じない伊勢ひかる。小一時間泳いで島に上陸し、島の未亡人とちょこっと遊んで(どんな遊びをしたんでしょう?)夕方戻ってきました。
「危なかっただろ」と聞くと「いやあ〜〜、急にウインドサーフィンの人達がこっちに向かって沢山くるんだよ〜〜。何でだろう? 一寸ヤバイかな〜〜って思ったんだけど下手に動かないほうがいいかな〜〜と思ってプカプカ浮いていたんだよね〜〜いやあ〜〜、まいったな〜〜」とのんきなものでした。
 みなさんは目の前に島があってもけして泳いでいこうなんて思わないように。


 
 1回の撮影が約3分。これが6回で約18分。それを2本ですから計30分くらい冬の海の中にいたことになります。なんとか撮影を終えて海から上がると、またまた暖まった水がぬけ、激しい寒さが襲ってきました。時間が経つと先ほど以上の寒さがどんどん増して、ガチガチと震えが止まらずまともに話せる状態ではありませんでした。用意してもらった旅館の風呂に走って行こうとするのですが、筋肉が硬くなってうまく歩けないのです。ようやく風呂場にたどり着きウエットを着たまま湯船に結構長く入っていたのですが、歯はガチガチ鳴り続け、体の奥からくる震えは全く収まりませんでした。風呂から上がり、熱いうどんを食べようとしたのですが口に運べないくらい手が震え、まともに食べることが出来ませんでした。その後、激しい疲労感が襲ってきて死人のような状態で東京に戻ったのでした。

  
 掲載されたページの最後は「寒さも忘れ水遊びを楽しんでしまいました。今度はハワイで」と取って付けたような駄キャプションで締めくくられていました。もちろんハワイロケが行なわれることはありませんでした。みなさん、冬場の海をなめてはいけません。


誌面

誌面

誌面
こんな感じで掲載されました。少しくらい苦労が伝わるでしょうか?

衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

●webサイト http://www1.bbiq.jp/tailoretoh/site/Welcome.html
●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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