かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。 あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか? 1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。
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「松本憲明ってライダー知ってる?」
I事務所でカメラマンをしているときの話です。チューニングバイクの取材兼撮影で訪ねたカスタム屋さんで初めて憲明さんの話を聞きました。入社して1ヶ月もたってない4月頃のことで、まだレース業界に首を突っ込んでいませんでした。ですから憲明さんはもちろん、事務所にベンツでやってきた全日本の大御所ライダーを本物のヤ○ザと勘違いしたり、菅生でいきなり後ろから抱きついてきた世界的に大変著名である小柄な外人ライダーをモーホだと信じたり……(第24回参照)。
「プライベートで500ccのレーサーを走らせている凄い奴だよ」と聞かされても、500ccマシンがどんなものか頭に浮かばないし、それをプライベートで走らせることがどんなに大変なことか、そもそもプライベートって何? というレベルでしたから全く想像ができません。私はただのバイク好き、ただのバイク乗りで、バイク雑誌はミスター・バイクしか読みませんでした。ネットなんてない時代ですから、バイクの知識=ミスター・バイクで読んだものでした(ほとんど何も知らないと同義語)。こんな人間が、この業界に入ってしまったのですから、不思議です。
いつものように、I井さんからお電話がありました。
その頃になると、私もレース業界にドップリ浸かっていましたから、ペーペーの頃のようなこともなく、もちろん憲明さんのことも知っていました。しかし、話をしたことはありません。といいますか……はなはだ失礼に当たるかと思いますが……その頃、私の憲明さんに対するイメージは……型遅れのマシンで一生懸命戦っていたのですが、非力なマシンでバリバリのワークスマシンや有力チームに無茶な走りで挑んでいつも転倒する人。松本憲明=転倒というイメージしか浮かばなかったのです。今更ですが、ごめんなさい。 |
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編集部のいつもの食堂に、すでにI井さんと憲明さんが待っていました。恐縮しつつ話に加わると企画はもう決まっていました。
「はぁ。それはいいのですが、あのー、カメラを構えて、ピント合わせて、シャッター押すとなるとどうしても両手を使うことになるのですが、その間どーやって落ちないようにすればいいんでしょう?」
「そんなのワケないだろ。憲明さんとお前をロープで縛っときゃ大丈夫なワケ」
「……あのー、たいへん申し上げにくいことなのですが、ロープでしばるということは、もしコケたりしたらどうなっちゃうんでしょう」
「エトーさ、憲明さんはレーサーなワケ。しかも全日本の500の現役ライダーなワケ。そこら辺のあんちゃんライダーとは違うワケ。だから安心なワケ。大丈夫だってばー。本当にエトーは心配性なんだからー」 |
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今回は1985年12月号。巻頭は第26回東京モーターショー速報。ファラコラスティコ、GSX400X、VFR400Rなど出てます。第二特集は礼子さんがバニーしてたり、しげの秀一さんと荻野目洋子たんがNS400Rでタンデムしてたり、三原じゅん子さんとジャガー横田さんが抱き合っていたり、玉川良一さんがFZ400Rにまたがっていたり、小道迷子さんが根津甚八さんに抱きついてたり、よくわかりませんがどえらいメンツです。 | ||
そう言われても、憲明さんはレーサーで、しかも全日本の500の現役ライダーで、それもいつもサーキットで転んでいる姿を見ているからこそとても不安なのです。が、さすがに初対面の本人の前でそれを口にする勇気を私は持っていませんでした。
無論「憲明さんはコケそうだから後ろに乗るのは嫌だ」という理由でお仕事をお断わりすることなんて出来るわけがありません。それよりももっと大きな問題はスリップストリームという目に見えないものをどうやって絵に表現するかということです。
I井さんと知恵を絞って、絞って、結局は風洞実験でよく使われていたような、ミミズみたいなひもをたくさん付けて、空気の流れを写すことにしたのですが、それだけではただの実験写真でなんかおもしろくありません。いわゆるミスターらしくないのです。
こんなわけのわからないフィルターで簡単に撮影を済ましてよいのだろうか……と心の葛藤もあったような、なかったような。気がつけばもうレジに並んでいました。心の弱いカメラマンなんです。 |
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撮影当日I井さんは予告したとおり、憲明さんと私をロープで一心同体にして、GSX-Rの後ろに載せられました。まずは憲明さんの肩越しにカメラを構え、前のバイクのスリップに入り込むという設定での撮影から始めました。
「大丈夫だから。安心して撮影しなよ」と憲明さん。いやいや、私は貴方様が転がるシーンをいつも見ているのですよ。安心しろと言われても……この期に及んではドイツ軍親衛隊のタイガー戦車に包囲されたレジスタンス状態。ビビりながら「無茶しないでくださいね」と答えるのが精一杯の抵抗でした。 |
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「相手をブチ抜くための高等テク よくわかるその理論と実践 これがスリップストリームだ!」というド・ストレートなモノクログラビア3ページのプチ特集。本文の最後に「どんなマシンでも最高速が伸び、燃費が大幅に向上する」なんて恐ろしく無責任な一文が……当時は誰も疑問に思わなかったんです。と、いいますかこれで当たり前だったのです。マジで。ところで、サイクロンフィルターの効果、わかりますか? | ||
心配といえば、まったく関係のない話ですが、大きめの地震の後ニュース速報などで「津波の心配はありません」とよく聞きますが、あの「心配」ってどういう意味なのでしょうか。「津波はありません」の方がストレートで解りやすいと思います。もしかして、日本中みんな私と同じように心配症で、フォローしてくれているのでしょうか? |
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ちょっと胃が痛んできました……えーっと、なんの話でしたっけ。 |
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偶然に発掘された未公開カット。タイヤの先端に目がついているような車間距離です。これがレーサーなんです。これ、ホントに走っていたんでしょうか? | ||
いよいよ本番です。今度は憲明さんの後ろではなく併走車からの撮影なのでやや気が楽です。併走車を運転するI井さんは「エトー、ワシ運転してるから横見れないワケ。一発でわかるようにしっかり撮れ!」と叫んでいます。信哉さんとの撮影ならば何度もやっていたので、あうんの呼吸でしたが、憲明さんとは初仕事です。そう簡単にはいきません。憲明さんには声では伝わらないのでジェスチャーで、I井さんには大声で伝え、並走車との位置を調整してなんとか撮影を終えました。
終わったときどっと疲れが出たことはハッキリと思い出せます。信哉さんだったら「エトーは俺様に向かってまるでタコがもがいて手が絡まって苦しみ踊っているような動きをしていた」と書きそうなほど、端から見ればおかしなジェスチャーをしていたようです。
現像が上がってきたネガを見て、改めてギリギリ近づいてくれた憲明さんのおかげで風の動きがはっきり撮影できたことに感謝しました。やはり、レーサーという人達は凄い、凄すぎる。そしてそれをやらせたI井さんもぶっ飛んでいました。
危ない企画といえば、カメラマン伊勢ひかるが被写体になって「バイクと車がぶつかったら人間がどうなるか」というような身体を張った撮影をしたことを思い出しました。ちなみに伊勢はカメラマンであってスタントマンではありません。タイトルは「一番、ヒカル飛びます」というような軽いものだったかと思います。これもいつか裏話を書きましょうか。 今回のお話は遠い昔の話です。今とは時代が違いすぎます。みなさん、危ないことをして、ツイッターとかに投稿してはいけません。 |
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