幻立喰・ソ

第41回 「ソの鑑は、かがみのソ」

 前回はCB750の写真をずらーっと並べた効果か、勘違いした方が大勢いたようで、かつてないカウントを記録しました。どうもありがとうございます。が、今回は例によってバイクのバの字の濁点すら出てきま……あっ! バは出てきました。まずはそのバブルのお話からです。

 バブル期お約束映像といえば、ワンレン、ボディコンねーちゃんがお立ち台でパンツ丸出し、ジュリセンふりふり踊るあの絵とあの曲(曲名は知りません)。間違ってもチューリップバブルの映像が流れることはありません(そんな映像あるわけないです)。
 日本のバブル期は1988年〜1991年2月。ジュリアナ東京のオープンは1991年5月。あれ? バブル崩壊後ですね。知りませんでした。どころか芝浦にあったことも、ついさっきウィキ先生に教えてもらったばかり。ゴールドというワンランク上のディスコもあったそうですが、何がワンランク上なのか想像できません。バブルも地上げも土地転がしもNTT株も、リゾート法や総量規制は言うに及ばず、ディスコを始めとしてプールバー、カフェバー等、まったく無縁でしたから。

 吹き抜けにでかい吊りライトがあった某ディスコには行きました。両手にピンドンを高くかかげ、君の瞳に恋してるに合わせ踊り狂う夜霧のハウスマヌカンやら、マスコミ同好会の学生やら、空間プロデューサーやら、オヤジギャルやらの間をスリ抜け、VIP(風)席で待つ3流商科大学ミスコン7位、自称オールナイターズ、浅野温子に似ている(というより煮ている)と言われると吹聴するBJD(=バブル女子大生)の耳元で「ディスコティックは苦手さ。いっしょに抜け出さないか、俺の六本木カローラで」とやったのではなく、たまたま某発表会が行なわれたので行っただけ。会場で某御大は吊りライトを見て「落ちたら大変なことになるね」と言ってました。ライトが落下し大惨事になったのは数ヶ月後のことです。
 ディスコ思い出話がしたい(これだけですが)のではなく芝浦です。ヨコシマTシャツのマドロス、怪しい取引が行なわれる第三倉庫、無鉄砲なヤング沖仲仕(若き日の沖雅也)。おっちょこちょいで博打好き沖仲仕(若き日の愛川欽也)、カッコイイ兄貴分の沖仲仕(若き日の小林旭)、長老沖仲氏(往年の高品格)たちの町。しょんべん臭いボウヤは近寄れない雰囲気でした。イカ臭いあんちゃんになったバブル期は、ウォーターフロントとか言われ、金満オヤジとそれに群がるおねーちゃんが集い、近づくことはありませんでした。

 今回ご紹介させていただく「かがみ」は芝浦の一角、首都高速1号羽田線が覆い被る海岸通り沿いにありました。店の前は何度も通っていたのですが、いつもシャッターが下りていたので立喰・ソ遺構にちがいないと、思い込んでおりました。
 ある早朝に通りかかるとシャッターが上がり、のれんが出ていたのでびっくりぎょうてん。今なら間違いなく「じぇじぇじぇ、お・も・て・な・し。倍返しだ。いつ食べるの、今でしょ!」と叫んだことでしょう(今更)。
 一見を寄せ付けない芝浦の風格をにじませる店構えです。ちびりながら中を覗くと優しそうなおかあさん(私の実母ではありません。当たり前です。以下同)がせっせとネギをきざんでいました。いかにもこのへんで働いています風な雰囲気を出しつつ(=無用で無意味かつ不様な行為)のれんをくぐると件の母(九段の母ではありません。これ前にも使いましたね)は、「いらっしゃい」とにっこり。ほっとしてお品書きを見ればソは2種類のみ。天ぷらそばを注文したら、「ごめんなさい。天ぷら終わっちゃったんです」。「ジェジェジェ」ではなく「え〜! まだ朝の9時前ですよ」と驚きながらも、残る選択肢は2つ。あげ玉そばか黙って立ち去るか。すかさず「じゃああげ玉そばをください」。「ごめんなさいね」とともに出てきたソには、たっぷりのあげ玉とねぎが入っていました。
 これがかがみのおかあさんとの初体験(←誤解を招く表現)。終わった後(←正しくは「食べ終わった後」。あやふやな表現)おかあさんは教えてくれました。営業時間は6時〜13時、土日祝日はお休みですよと。「J、J、J」ではなく「そうだったんですか」と普通に驚きました。


かがみ

お品書き
ありし日のかがみ。昭和立喰・ソ満開。右はシンプルなお品書き。かけはありませんが、あげ玉or天ぷら抜きでかけになる裏技(というほどでもない)があります(安くなるかどうかは不明)。別売りの玉子をもらえば月見も。頼めばきっと肉そば、カレーそばも。勇気を出せば納豆そばも、さらなる冒険者はおしん香そばも……(2012年6月撮影)

 その後、頻繁というほどではありませんが、月2くらいのペースで行きました。
 そんなある日のことでした。
「ご飯(大)とおしん香ダブル」
 夜勤明けでしょうか、疲れ顔のおとうさんがへんな注文をしました。厨房にはおかあさんではなく、寡黙でちょっと怖そうなおとうさん(もちろん私の実父ではなくかがみの)がいました。ちらっとおとうさん(寡黙でちょっと怖そうなおとうさんではなく夜勤明けの)を見たおとうさん(夜勤明けではない方)は「そば屋でそばを注文しないとはどういう了見だ、このすっとこどっこいめ。おととい来やがれ!」と怒り出すんじゃないかとドキドキしていたら、おとうさん(寡黙でちょっと怖そうな方)は「ごはん大におしん香2つね」と普通に復唱し、おとうさん(私の実父ではない夜勤明けの方)に麦茶を差し出しました。
 ほどなく出された、ほっかほかご飯にほどよくしょうゆがかけられたおしん香をどばどば載せて、おとうさん(もちろん夜勤明けの……いいかげんうんざりしてますね。もうやめます)は、うまそうにかきこみました。

 どこからともなく「あ〜か〜い〜リンゴに♪」と唄が聞こえてきたのは幻聴です。おとうさんが高品格に見えたのも幻覚でしょう。ちなみに、おしん香のしょうゆですが、おかあさんかおとうさんが「おしょうゆかけときますね」と一声かけて適量かけて出してくれます。普通のしょうゆとひと味違う隠し味は、おかあさんの愛情か、おとうさんのシブい昭和テイストか。たぶんハイミーか味の素の味だとは思いますが。

 2012年10月の半ば、今日は(今日も)お金がないから、夜勤明けおとうさん丼でも食べてみようかと、わくわく行けばシャッターが下りていました。お休み? だからどきどきしながら一軒先のお隣Iで牛丼を食べました。Iは朝9時までという超早朝営業の上、もちろん土日祝日はお休み。しかも看板が一切出ていないし、昔はやんちゃしていたに違いない侠客という言葉が似合いすぎるおじいさんがギロリ睨む(ような気がする)、かがみの比ではない超敷居高店です。でも入ってしまえば普通の食堂。いや、違うな、あの牛丼は普通じゃない。どきどき以上の価値はありますから、さあ早起きして勇気を出して。


天ぷらそば
 天ぷらそば。パンチ系辛いおつゆかと思えば意外や辛くない。自家製天ぷらが崩れるとコクが増します。なるほど、かけソがない理由が判明。深いのぉ芝浦。と感心しつつ、あれほど食べたあげ玉そばの写真がなくて寒心するばかり……「いつでも撮れる」と慢心した結果です。バカです。(2012年6月撮影)

納豆丼
納豆ご飯(中)。納豆ととしょうゆとからしはねちゃねちゃとしっかり混ぜてネギを載せて出てくるので、あとは食べるだけ。あげ玉そばのあげ玉を少々インポートするとこれもまた絶品。(2012年6月撮影)

肉丼
肉丼(小)。いいですね、この響き。まさに芝浦。豚バラ肉と太さバラバラ糸こんにゃくとたまねぎを煮込んだぶっかけ丼です。時々無性に喰いたくなるツボを突いた味でした。浅いぬか漬けのきゅうりはこれだけで丼めし1杯いけます。カレーも何度か食べました。立喰・ソらしいカレーで驚くことはないのですが、一枚も写真を撮っていないことに驚きました。(2012年7月撮影)

 
 それはさておき、数日後、数週間後と何度も行きましたが、降りたシャッターが上がっていることはありませんでした。
 理由はわかりませんが、こうしてまたひとつ、昭和の名店が突然、幻立喰・ソになってしまったようです。

 あの天ぷらそばを、あげ玉そばを、納豆ご飯を、カレーを、肉丼を、そして愛情あふれるしょうゆのかけられたきゅうりのおしん香は、もう二度と食べられないのでしょうか。思い出すと、ヨダレと共に涙があふれてくる、そんな午前3時の東京ベイなのでした。


I

かがみ
一軒先のお隣が看板のないI。最初は何屋さんなのかわかりませんでした。中をちらっと見たらおやじさん怖そうだし。芝浦の隠れ名店です。(2013年6月撮影) もうシャッターが上がることはないのでしょうか。寂しい光景です。よく見ると下の古い看板にはカとカタカナ表記が見え隠れ。いつごろ変わったのか、諸先輩方の研究報告をお待ちしております。(2013年12月撮影)

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●立喰・ソNEWS

四ツ谷はしんみち通りの名店、政吉そばが閉店したとのショッキングな情報を確認すべく、おっとり刀(=のんびりという意味ではありません。主の火急に取り急ぎ刀のみ持って駆けつけるという意味ですが、私はもちろん刀を持っていきません。こういう場合は、単におっとりでしょうか?)で行ってみれば、残念ながら誤ではなく真でした。が、よく見ると貼り紙が(写真クリックしてください)。来年1月、新しい主の元で再開するようです。願わくば絶品小海老天そばがまた食べられますように。と願いつつ、しょうがないので近くのカウンター系洋食派絶賛のBでドカン鉄板焼を食べました。相変わらずのボリュームと安さで大満足しました。


政吉

バソ
バ☆ソ
日本全国立ち喰いそば全店制覇を目論む立ち喰いそば人。現在600店以上のデータを収集したものの、ただ行って食べただけではたいして役に立たない。立ち喰いそば屋経営を目論むも、先立つものも腕も知識も人望もなく断念。で、立ち喰いそば屋を経営ではなく、立ち喰いそば屋そのものになろうとしたが「妖怪・立ち喰いそば屋人間」になってしまうので泣く泣く断念。世間的には3本くらいネジがたりない人と評価されている。一番の心配事はそばアレルギーになったらどうしよう……。


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