MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

第29回 俺の先生? 阿部孝夫っていうんだ?

 
 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年も飽きずに、どうぞおつきあいください。

 
 昨年末アップされたA川カメラマンや、おなじみI井さんのお話は、訳あって長期(といっても2週間)肉体改造することになり、締め切り前の昨年11月半ば早々に書き上げました。次は肉体改造後の調整(世間では俗にリハビリという)をしてから書けばいいやと、のんびり構えておりました。
 そしたら、すっかり忘れてしまったのです。締め切りだけでなく何もかも。あわただしい師走なのに、ボ○老人のごとくのんびりぼーっと過ごしてしまったのです。普段なら編集担当から「いつまで待たせるんだ、すっとこどっこいがっ!」と催促が来るのですが、年末進行で忙しかったのか、同じようにぼけーっと過ごしていたのか音沙汰ナシコビッチ状態でした。まったくもって困ったものです。ちゃんと仕事してもらわないと。 

 
 ぼーっとしながらも「ぼちぼち年賀状用の写真ネタを考えないと」と、たまーに思い出したのですが、すぐに忘れ、やっと決まったのは暮れもどん付き31日の昼頃。やや焦りながら年賀状にプリントを始めたら途中でインクがなくなり、あわてて買いに走ったのは紅白が始まったあとの19時すぎ。刷り終わったのは、ゆく年くる年もとっくに終わった初日の出寸前。今度は切手が足りないことが判明。家中をひっくり返し切手をかき集め、ポストに入れたのはもう14時過ぎでした。このような諸事情があり、元旦に年賀状が届かなかったみなさまごめんなさい。
 怒濤の大晦日から元旦を乗り越え、ほっとして本格的にぼけーっと正月を過ごしました。お屠蘇気分も終了の6日、はたと気がつけば原稿の締め切りが、ケンメーさんの乗るGSX-Rのごとく(第25話参照)テールトゥノーズで迫っていました。
 というようなやむにやまれぬ情状酌量の余地がFISCOのグラベルより大きい火急の事情がありましたために、新年の更新がちょっと遅れたという次第です。



年賀状
年越しで製作されたエトさんの今年の年賀状です。さすがプロカメラマンです。きれいです。ちなみに担当の家に配達されてきたのは5日でした。

 
 今回は、私の挑戦シリーズです。といっても、後で出てくる菅生で行なわれた鉄人レースと、これからお話しする鈴鹿サーキットで行なわれたワイン・ガードナー・サーキットスクールの2回しかないはずです。
 私の記憶では、ガードナーぶっちぎりの1985年日本GP(キメキメにキメたベストショットの逸話は第24話で)の翌日だと思い、第24話でもそう書いたのですが、改めて記事を読み返すと「前日の日本GPで残念無念の2位だった先生」とあるので私の記憶が混同していたようです。年賀状製作すら忘れていたのですから、20年以上前の記憶が多少異なっていても問題ないことにして先に進みます。危うい記憶を辿り1986年へGO!

 
 ミスター・バイク編集部で日本GP撮影の打ち合わせをしている時でした。
「エトーさ、GPの翌日にガードナーのライディング教室があるんだよ。わざわざ行く経費ないからさ、もう一日残って参加してくれよ。なっ。先月もやってくれたじゃないか、なっ。先月よりは楽な仕事だろ、なっ、なっ、頼むよ」
 記事中では「とってもおいしい仕事をあげてしまった」と近藤編集長は強気の上から目線で書いていますが、実際はこんな感じでした。「ガードナーと直接会えるの? 本当? 教えてくれるの? 行くッ!」と私がミーハーに大喜びしたとありますが、当時レースカメラマンといってもいいくらいサーキットに行ってました。ワークスのピットでも撮影していたので、ガードナー(以下、親しみを込めてガーちゃん)とは知らない仲ではない(と勝手に思った)し、言葉が通じない(ガーちゃんのオージー訛がひどくて理解できないのではなく、私の英語力の問題)ので、お話しをしたことはないのですが、カメラを向けると快く撮影に応じてくれる関係(と勝手に思った)で、目が合うと決めポーズをしてくれた(と勝手に思った)し、天下のキング・ケニーに至っては、私に気がある関係(と勝手に解釈。第24話参照)でした。だから、会えるくらいで大喜びしません。問題は仕事の内容です。
「先月の鉄人レース(※注1)みたいに、死ぬほどきつくないでしょうね?」
「大丈夫、心配すんなよ。バイクに乗って鈴鹿の東コース走るだけだからさ。頼むよエトー。直接ガードナーにライディング教えてもらえるこんなチャンス二度とないぞ。なっ」
「それはいいのですが、写真はどうするんですか? さすがにカメラぶらさげてコースを走りながら撮れませんよ」
「M(レース担当編集部員で現在大御所レースカメラマンに出世したらしい)もいっしょだろ。撮れるだろ。レースじゃないし、速く走る訳じゃねーし。それに、特にお前が走ってるとこじゃなくてもいいんだし」

 
“特にお前が走ってるとこじゃなくてもいい”と言われたように、たまたま現場にいるからということでしたが、今思えば私が撮ってM君が参加すればよかったんじゃないかと……そのあたりは憶えていませんが、なんだかんだ言っても、鈴鹿でガーちゃんに直接教えてもらえるとは嬉しいことです。ワクワクしながらワンボックスカーに揺られ6時間半(※注2)、鈴鹿に向かいました。 

 
 サーキットを走るのは、鉄人レースで菅生の馬ノ背(※注3)を走ったのと、撮影地点への移動でプレスバスかマシン回収トラックくらいしかありません。リトラクタブルライト刀の試乗会で雨の竜王テストコースを走ったことがあるだけで、バイクで国際格式サーキット走行は初体験でしたが、小心者の私にしては珍しく「コケたらどうしよう」というような心配はしませんでした。それどころか、ガーちゃんとサーキットで初体験と思うと、鈴鹿の取材といえば必ず泊まる宿(※注4)おベッドでも、興奮して眠れなかったくらいです。



1986年10月号


1986年10月号
1986年10月号の鉄人レースです。記事によれば、編集部員は敵前逃亡し、フリーカメラマンにお鉢が回ってきたと書かれています。が、これもなんかのレースで菅生に行ったついでの依頼でしょう。

※注1 今でいうトライアスロンが流行しだした頃、スポーツランド菅生で水泳50m→自転車1.5km→マラソン1kmに、YSR50ミニロードレース→TY250でトライアル→DT125でモトクロスを一人でこなす鉄人レースが開催された。とんでもなく苦しいレースだったのに誌面ではご覧のようにモノクロ2ページのみ。ギャラは今回のライディングスクールと同じだったような。
※注2
第二東名も伊勢湾岸道も、名古屋高速すら繋がっていなかった当時、鈴鹿までは約6時間半の長丁場。東京からの代表的なコースは、東名を名古屋ICで降り名古屋市内を横切って東名阪に乗るコースと、一宮ICから155号を下って東名阪に乗るコースがあった。他にも岡崎ICから1号を通って23号へ抜けたり、フェリーで鳥羽を回ったりとみんな試行錯誤していた。アイドル歌手岡田有希子の自殺報道がラジオから流れてきたのは、当時の編集部員キルロイと一宮ICを降りた時だった。
※注3 
菅生サーキットのバックストレッチを下ったところが40Rの馬の背コーナー。なんで馬の背なのかは知らない。鉄人レースでは馬の背コーナーから逆走してバックストレッチを登った(バイクでもチャリでもなくマラソンで)私は、45R手前で息絶えた。
※注4 
鈴鹿サーキット内のサーキットホテルには二段ベッドが左右に4組ある8人部屋があり、私達は合宿部屋またはタコ部屋と呼んでいた(今でもあるのだろうか?)。プレスは各社の相部屋で一度、大御所カメラマンの上で寝たことがある(上で寝たといっても、もちろん大御所の上ではなく上段ベットで。誤解なきよう)。翌朝、私の寝屁がすごくて眠れなかったと言われた。眠れないほどでかい寝屁を何度もしたそうだが、にわかに信じがたい。絶対に話を膨らましているにちがいない。私の寝屁話をして、いったい何の得があったのだろう。私を抱きたかったのだろうか?


 当日、残念なことに窓の外は雨。しかも寒い。ギンギンに興奮していたのに、楽しみにしていたのに雨。ギンギンにいきり立ったアレ(=私の心)が、ふにゃふにゃになるような気分でした。
 朝飯を済ませ、編集部で借りた革ツナギに着替えると再び脳みそがむくむくと興奮しましたが「雨の方が無茶しなくていいかも」と思い直しました(珍しく前向き)。が、興奮は収まらず、今すぐやりたい、やりたい、やりたいの憶えたて中2状態の戦闘モードに突入です。
「このまま走り出すと必ずコケる→骨折でもしたら仕事ができなくなる→仕事できないと生活に困る→落ち着こう」と再び自分に問いました(珍しく冷静)。

 
 ピット前に行くと雨も小降りになって上がりそうな気配です。コースの路面は乾いているとかなり荒く、紙ヤスリでいうところの50番くらいでしょうか(多分)。転倒すると革ツナギがボロボロになるのがよくわかります(あくまで個人的感想です)。少々の雨なら水はけがよく、よほどの土砂降りでない限り滑るような感じはしません。興奮して無茶な走り方をしなければ転倒することはなさそうです(これも個人的感想です)。

 
 まずはミーティングから。教室に入るとガーちゃんを始めとするHRC契約ライダーが私たちを迎えてくれました。前記のように私とはツーカーの関係(と勝手に思った)ですが、初めてGPライダーを目の前にした他の参加者の興奮はギンギンMAX寸前。「とにかく怪我をしないように、無理をしないように」と、くどいくらいに説明がありましたが、興奮のあまり何をしてしまうかわからないような熱気でした。
 一通り説明が終わるとガーちゃん先生の質問タイム。内容はほぼ憶えていないのですが、記事によれば時には大まじめに、時にはジョークを交えきちんと答えてくれたようです。GP翌日なのに、小一時間ほど質問攻めに遭いながら嫌な顔ひとつしないとは、ファンを大切にする偉いガーちゃんです。
 質問タイムが終わると走行です。ピットに入ると再びドキドキ興奮してきました。参加者は私のようなサーキット素人もいれば、かなり上級者もいて、クラス分けされました。私の組の先生はガーちゃんではなく、阿部孝夫先生(80kg近い大きな体で125を操りコースレコードを出すなど活躍した名人ライダー。2007年惜しくも逝去されました。ご冥福をお祈りいたします)。ちょっとしょんぼりしましたが(阿部先生すみません!)、そのうちガーちゃん先生に交代するのだろうと思いました。

 いよいよコースインです。運の良いことに私が先頭、つまり阿部先生の真後ろです。片足を浮かして発進していく様は「汚れた英雄」の主役気取りです。追い越し禁止、一定の間隔を空け前のライダーに突っ込まないように注意して走ります。

 
 雨のおかげで阿部先生のラインが路面にくっきり残るのでライン取りがよくわかります。だんだんスピードが上がり、初めてバンクセンサーを擦りました。雨の路面でこんなことができる私はひょっとして天才じゃないのか、カメラマンをやめてライダーに転向した方が日本の国益に叶うのではないかと錯覚するほど、阿部先生のラインをトレースするだけでスムーズに走る事が出来たのです。
 何周か走り、阿部先生と勝負できると調子に乗る前の絶妙な頃合いでチェッカーフラッグが振られ、走行は終わりました。あれ? 「ワイン・ガードナー・サーキットスクール」ではなく「阿部孝夫・サーキットスクール」で終わってしまったのです。
 楽しかったから、それでいいのですが、このまま帰る訳にはいきません。まったく絵にならないので、ガーちゃん先生に近づき、本誌に掲載されたいかにも直接教わりました的な写真をM君に撮ってもらいました。



1986年11月号

 
「それって、偽装じゃないの?」

 最近の流行言葉でいえば、確かにそんな臭いもします……でもね、クラス分けされたとはいえ、一番先頭を走っていたのは間違いなくガーちゃん先生でした。伝言ゲームのように同じラインを走るのですから、偽装とは言えません。掲載された写真も、私とガーちゃんのただの記念写真ですし……と心配になりましたが、今になって気が付いてしまいました。よくよく記事を読み返してみると、なんと私の参加したのはレース経験者を対象とした「ライディングスクール」ではなく、単に愛車でサーキット走行をするだけの「サーキット体験走行クラス」だったのです。ボ○老人予備軍の過去のたわごとということで、笑ってお許しください。
 それでは、また。締め切りを忘れていなかったら。



1986年11月号


1986年11月号
1986年11月号の表紙と問題の記事。サブタイトルが思いっ切り『カメラマン衛藤達也の「ワイン・ガードナ・サーキットスクール」体験記』となっていますが……もう時効ということで。

衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

●webサイト http://www1.bbiq.jp/tailoretoh/site/Welcome.html
●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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