MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

第31回 男だったら、マンモス皮じゃん!

 
 そろそろ桜のシーズンです。ご卒業、ご進学、ご入学、ご入社等々おめでとうございます。希望に満ちあふれたフレッシュマンの前途に、水を差すようなGMB。今回は、春から逆戻りして冬のお話です。
 毎年冬になると皮ジャン特集が恒例でした。新作皮ジャンの紹介なんですが、なんだこれ? という意味不明ながら手間暇かけたいわゆるミスターらしい企画から、ありあわせのおねーちゃんに皮ジャン着せて一丁上がり的お手軽企画まで、担当者によって大きな違いがありました。

 
 今回のお話の1988年といえば、やや翳りが見えてきたとはいえ国内出荷台数は175万台とバイクブームは続いておりました。ミスター・バイク(1988年12月号)は332ページもあってわずか200円。ページ当たりなんと1.66円! 駅トイレ自販機のティッシュより安いんじゃないかという単価ですが、それでも当時の読者さんは「つまらん!」「ページのムダ使いだ!」「○○(←編集者名指し)死ね!」とそれはそれは厳しいご意見は日常茶飯事。時には編集部まで直接説教しにやってくる猛者もいたという、読み手、造り手が切磋琢磨していた古き良き時代でありました(と過去は美化されます)。
 300ページオーバーながら、当時ミスター・バイクの巻頭はカラーは2折り(1折り=16ページ=前半8ページ+後半8ページ)。オールカラー当たり前の今からは想像できないかもしれませんが巻頭カラーは16ページで、そのうち8ページは広告。つまりたったの8ページでいかにインパクトのある巻頭特集を組むか、先に書いたように担当のアイデアとカメラマンの手腕が大きく問われたのです。

 
 今回の特集担当はすっかりおなじみI井さん同様、数多くの武勇伝と伝説に彩られた名物女性編集者のK川M子女史(=Mちゃん)でした。抱腹絶倒喜怒哀楽天地無用な武勇伝はまたおいおいということで。
 いつもの編集部のいつもの食堂で、Mちゃんと皮ジャン特集の打ち合わせしている時のことでした。

 
「エトさん、ページ数もあんまりないので、人いっぱい並べて、インパクトの強い皮ジャンを前に持って来て、スタンダードのデザインは後ろに持っていくような写真はどうでしょうか?」
「写真小さくなったらディテールまで見えないよ。営業に怒られるんじゃないの」

「大丈夫ですよ。ちゃんとブツ撮りしてカタログページ組んでフォローしますから。モノクロページですけど」
「ほんとに大丈夫? Mちゃんがいいなら、いいけど。なんかあったら、後はよろしくということで」
「ところでトビラページを考えて来たんです。聞いてもらえますか? それと実現できるかどうかも……」
「いいよ、どんな撮影でもオッケーよ」
「言い過ぎかもしれませんが、皮ジャンの起源は原始時代だと思うんです。それで原始人の格好で皮ジャン着て斧を担いでマンモスの前に立って、皮ジャンの始祖に想いを馳せるって絵はどうですか。インパクトあってカッコいいんじゃないと思うんですが、絵になりませんか?」
「マ、マンモス? 斧持って皮ジャン着てマンモスの前? ……それはともかくマンモスなんているの?」
「実はいるんです。いるとこ知ってるんです」
「ホントに! さすがMちゃん。もしかして海外ロケ? いいじゃんいいじゃん。行こう行こう。ワクワクしてくるじゃない。冷凍マンモスと言えばロシアだな。寒そーだな。何着ていこうかな。やっぱり厚手のダウンコートがいるな」と、急に興奮して妄想が頂点に達したところで、申し訳なさそうに、しかも冷めた口調でMちゃんは言いました。
「エトさん、何一人で興奮してるんですか。口から泡吹いて……海外のわけないでしょ。国内です。近場です。都内です。上野です、上野!」
「うえの?」
「そうです。西郷さんのいる上野です」
「上野のマンモス……もしかして」
「そう、そのもしかしてですよ。上野の国立科学博物館です」
「あああああ、あそこね。でも撮影許可取れるかな。だって国立だよ、国立。しかもおちゃらけ撮影だよ。絶対無理だよ……」
 海外ロケの妄想が無残にも打ち砕かれ、現実に引き戻され、今度はこっちが冷たい口調になってしまいました。
「おちゃらけなんて言わないでください! 私大真面目なんです」
 熱い女Mちゃんはちょっとムッて言い放ちました。そして、おふざけではなく大真面目に「皮ジャンの起源は原始人説」をトビラにしたいと延々と力説しました。
「わかった、わかった、わかったから冷静にね。こっちは真面目でもさ、こんな撮影じゃ許可は絶対おりそうにないから、いつものようにゲリラ撮影でね。ところでモデルは? やっぱり近藤さん?」
「いやいや、だからそんなふざけた企画じゃないんです。大真面目に考えてこの人しかいないと思ったんです」
「近藤さん、ぴったりだと思うけどなあ。で、誰なの?」 
「驚かないでくださいよ」
「驚かないから」
「実はですね、カ○ヤの社長さんです。もう連絡して許可もらえました」
「えーーーーーっ!!!!!! カド○の社長! 嘘でしょ!? まさか、こんなおちゃらけに簡単に出てくれる訳ないでしょう。ちゃんと内容は伝えたの」
「おちゃらけじゃありません! でも……やっぱり内容をはっきり伝えたら断わられそうだから『皮ジャン着てマンモスの前に立っていただけますか』としか伝えていません。現場まで連れて行っちゃえばなんとかなるかと…」
「いや、いや、いや、それはもっとまずいよ。社長はちゃきちゃきの江戸っ子だよ。騙しちゃダメだって。はっきり伝えた方がいいって。社長はいい人だし、筋が通っていればたぶん協力してくれるからさ。本当のこと言おうよ。そうしないと私も悪い人になっちゃうから」
「そうですね。わかりました、はっきり本当のことを伝えてみます」
「じゃあ、それはお任せするね。これでゲリラ撮影確定と。ストロボ使ったら一発でバレそうだから高感度フィルムを増感して撮り逃げかな。チャッと行ってちゃっちゃと撮って、ぱぱっと帰ろうよ。もしバレて怒られる時は近藤編集長にお尻を拭いてもらうということで」
「近藤さんには『面白そうじゃん』と承諾もらいましたから大丈夫です。小道具も貸してくれるそうです。とりあえずロケハン行きませんか。現場を把握しておかないと」
「じゃあ、明日にでも行こうか」と、その日の打ち合わせは終わりました。

 
 本当は私、ゲリラ撮影凄く嫌いなんです。小心者の私にとってドキドキしながらの一発勝負はかなりのプレッシャーです。ゲリラ撮影自体は何度もやっていますが、本当ならちゃんと許可を取ってじっくりと撮りたいのです。しかし、担当編集者のリクエスト=無理難題に応えるのもまた、フリーカメラマンの度胸と腕の見せ所でもあるのです。マジメな話。
 翌日、国立博物館に到着すると、気分は博物館のお宝を盗み出すルパン三世と峰不二子(あくまでも気分。Mちゃんは不二子ちゃんというよりはふじっ子のお豆ちゃん……)です。ドキドキ感丸出しで博物館の案内図を眺め、マンモスの展示場所へ。キョロキョロとあちこち見回し怪しすぎる不審者状態です。マンモスの展示してあるところは端っこでした。みなさんマンモスに興味がないのか、誰も立ち止まって見ようとしません。たまーに変な物に興味を持ちそうな子供が立ち止まるくらいです。ガードマンが立っている場所からも離れていて、ゲリラ撮影には良い環境でした。
「ね、ほら、ちゃんとマンモスいるでしょう。しかも人も少ない見つかりにくい場所でしょ。これならうまく撮影できるんじゃないですか」
 しかし、展示の雰囲気出すためか周りは薄暗く、撮影にはいい環境ではありません。



1988年12月号表紙
1988年12月号。表紙はやよいちゃん。


1988年12月号


1988年12月号


1988年12月号


1988年12月号


1988年12月号


1988年12月号


1988年12月号
皮ジャン特集のモデルは編集部に出入りしていたあんちゃんたちでしょうか? 

  

「マンモスいるねー。人は少ないけど光も想像した通り少ないね。ストロボ使えないし……やっぱり高感度フィルム使って増感するしかないだろうね。あまりきれいな写真期待できないけど」
「大丈夫ですよ。エトさんならきっと」
 なにがどう大丈夫なのかわからないのですが、Mちゃんが自信満々に言い切ってこの日のロケハンは終了しました。



写真


革ジャン
皮ジャン特集の未使用カットです。写真は残っていましたが、肝心のトビラ写真は発見に至らず。ひょっとして大人の事情で廃棄処分に(笑)。いやいや、単に管理が悪いだけでしょう。

 
 撮影当日、○ドヤの社長さんを迎えに行きました。
 撮影内容を伝えたにもかかわらず、快くモデルを快諾してくださった社長ですが「どこで着替えんの? どのくらい時間かかるの? すぐ済むよね」と、珍しく緊張されているようでした。
「マンモスのすぐそばに階段の踊り場がありますから、そこで着替えてください。撮影準備ができたらお呼びします。ストロボは使いません。かなり多めにシャッターを切ります。しかも暗いのでシャッタースピードが遅くなると思います。大きく動くとブレちゃいますから、できるだけアクションしないでください」と、現場に向かう車中で、打ち合わせという名の無茶苦茶なお願いをしました。

 
 マンモス前に到着し、ポラを切って露出を確認します。社長も準備を整えて待機完了。人通りも途絶えたところで合図を送りました。

 
「!! ……」思わず吹き出しそうになりました。このとき私も初めて衣装を見たのですが、思っていたものより強烈なスタイルでした。

 
 ここで吹き出したら社長に申し訳ない、と思えば思うほど笑いがこみ上げてきます。手が震えてシャッターを押すとブレてしまいそうです。ガマンしすぎてお腹が痛くなってきました。必死に笑いをこらえながらガードマンにばれないように小声でポーズの指示をします。
「通り過ぎる人が変な顔して見るんだよ。恥ずかしいからチャチャッと撮影してよ」といいながらも、社長は声を出さず「ふっん、ふっん」と鼻息で応え、ポーズをあれこれと決めてくれました。Mちゃんが用意した衣装もウケ狙いではなく、大真面目にクソ真面目に「皮ジャンの起源は原始人説」を表現したかった(らしい)のです。

 
 時間にして10分ほどでしょうか、できるだけ多くシャッターを切りました。一生懸命にポーズをつけてくれた社長に感動すら覚えました。
 撮影が終了すると逃げろ〜と、素早く撤収しました。

 
 上がってきた現像を見てみると……結果は予想通り。あまりいい仕上がりとはいえませんでしたが、皮ジャン特集のトビラ写真としてのインパクトはかなりあったようです(業界内では特に)。

  
 と、これで終わればいいのですが、実はこの話には後日談があります。本を見て誰が言ったか忘れましたが「なんでストロボを使わなかったの? あえて雰囲気出したの?」と意見されました。
「だって撮影許可取れないから」と言い訳すると「博物館は簡単に撮影許可が下りるらしいよ」ととんでもないことを言うではないですか。マジですか? 
 こんなことなら最初から許可申請してみるべきだったと反省し、一生懸命やってくれた社長に申し訳なくて非常に後悔しました。
 あまりに悔しかったので、ほんとうに簡単に許可が下りるのかどうかは未だに調べていません。



トビラ
これがその特集のトビラです。編集後記にはボストンの博物館で撮影したと大嘘が書いてあります(笑)。ちなみに、近藤編集長は撮影を知らされていなかったカ○ヤの番頭さんから、えらく怒られたそうです。


斧
撮影に使われた斧は近藤編集長の私物。現在も近藤大邸宅内で展示中。ちなみに原始時代のものではなく、太鼓共々(クリックすると見られます)正体はアメリカのインディアン(ネイティブ・アメリカン)の「骨董もどき」で、アメリカで購入し帰国直後、奥様に「バカじゃないの」と言われた代物だそうです。男のロマン=家庭のゴミ。■写真提供=大近藤博物館


衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

●webサイト http://www1.bbiq.jp/tailoretoh/site/Welcome.html
●メール tatsuyaetoh@gmail.com

[第30回へ][第31回][第32回]
[GMBバックナンバー目次へ]
[バックナンバー目次へ]