おやびん道

それぞれの道には、それぞれの風土、気候、環境などを積み重ねた表情がある。それはまた人生にも似ている。道は人生、道の数だけ物語がある。野口おやびんが走って来た幾多の道を、想い出話と共に語ろうか。


第40回 秋山郷
R405~奥志賀の道



日本の秘境100にも選定され、平家の落人伝説が残る秋山郷。その山深い地域を貫いている国道がR405で、新潟県津南町から長野県栄村の切明までは31km。そのR405と接続して志賀に通ずる秋山林道(雑魚川林道)~奥志賀林道(かつては有料の奥志賀スーパー林道の一部だったが、平成7年に県道502号線/471号線となり無料に)。志賀高原の中心部までの距離はおよそ30km。R405も風情のある道だが、ふたつの林道区間が素晴らしい。


MAP

 秋山郷は新潟県の中魚沼郡津南町と長野県下水内郡栄村にまたがる中津川沿いの地域の総称で、東の苗場山、西の鳥甲山に挟まれる山深い辺境の地である。初めて訪れたのは’70年代半ばの夏で、20歳前後の頃だった。東北ツーリングの帰路、日本海側を選択し新潟からR17を南下。十日町からR353に入り、R117、R405とつないで深山の秋山郷にTX500を乗り入れた。舗装されていたが1車線の道は細く、中津川沿いを曲がりくねっている。

 当時、俺は全国の民宿が網羅された小冊子を手に入れ、活用していた。秋山郷が岐阜・白川郷のように平家落人の集落、と伝わる秘境だと何かで読んで知っていた(その小冊子に記載されていたかも)。興味を持ち、少し遠回りして、1泊してみようと思い立ったのだ。小赤沢の民宿に夕方飛び込み一夜を過ごした。昨今多い観光化された民宿とは異なる、空いている部屋を活用した本来の民宿だった。詳細は忘れたが、ああ、こんな山奥にも人々の営みが長く続けられてきたのか、と若いなりに感慨を覚えたことだった。

 二度目にかの地を訪れたのは’90年代の前半だ。仕事で知り合った福島のバイク乗りと仲良くなって一緒にツーリングに行こうということになり、秋山郷を選択した。南魚沼のどこかで落ち合い、初回と同じようなルートで秋山郷に入った。俺は借り物のモト・グッツィ ル・マンⅢで、相方はRC30=VFR750R。R405に入る前後から雨が降り出し、細いくねくね道をル・マンで走るのは大変だった。宿は屋敷という集落の旅館で、事前に予約しておいた。

 夕闇が迫る前に到着し、雨で冷えた体を癒そうと(季節は秋口だった)、宿に着くと早速、中津川の清流沿いに設えられた露天風呂に浸かった。だが雨が降り注いでいて頭や顔を濡らす。周囲の、迫る山々は雨に煙っていた。風情がある、ともいえた。が、まだ30代半ばでそれを楽しめるほどの余裕がないというか大人ではなかった。負け惜しみのような気持ちもあって「露天風呂で雨に打たれるのも悪くない。貴重な経験だ」と軽口をたたいたような気もする…。

 夕食は不満のない献立で、確か平日だったため客は少なく静かだった。翌朝、雨は上がっていた。福島に帰る相方を考慮して来た道を引き返し、R17に出たところで別れて、俺は関越自動車道で帰京した。というわけで2度目の秋山郷のときも道に対する印象は薄く、雨の中、山奥の細い道をずいぶん走って、疲れたなあ、という感じだった(本当はそれなりによかったのかも)。

 でも、その後に訪れたのは2年前の夏と去年の夏なのでよく覚えている。12年の夏は北茨城から山形と巡り、3泊目に秋山郷に。事前にネットで調べ、5~6軒ある小赤沢の民宿のなかから選んだ宿は大正解だった。夕方到着後、10分ほど歩いて行った山麓にある温泉は鉄分が多い赤く濁った湯で、珍しかった。夕食は造り置きのものが少なく、温かいものは順々に食卓に運ばれてきて、山の幸に舌鼓。食後に観た秋山郷の歴史をまとめた紹介ムービーもよかった。冬季は豪雪に閉ざされ、また昔は飢饉も何度かあって、全滅した集落もあるという厳しい土地柄なのだ。

 翌日はさらに山深く分け入り、数十年ぶりに秋山林道~奥志賀林道を走った(最初に走ったときは未舗装だったように記憶するが舗装されていた)。お天気もよく、最高だった。前者は道幅が狭く、雑魚川沿いの曲がりくねった道で林の中を縫うように走る。奥志賀林道はやや道が広く景色も開けて、まだ青々としていた木々の葉がまぶしかった。長らく人家や人工物のない大自然のなかをゆったりと走り、来てよかった! と強く思った。冬はスキー客で賑わう志賀高原の道も平日だったから空いていて、景色と走りを存分に楽しむことができた。

 その時の印象が素晴らしかったから、去年の夏も同じように、北茨城の友人宅、山形の友人宅、と巡り、3泊目を秋山郷にした。天候に恵まれ、山形から前年とほぼ同じルートで秋山郷に向かった。時間があったので津南町では河岸段丘を見下ろせる場所まで行って景観を楽しみ、秋山郷の入り口付近の集落では山の中に造られた石垣造りの水田群を見るために寄り道した。宿は前年の民宿がいっぱいだったので、小赤沢の違う民宿を予約しておいた。
 

 その宿には、飯山あたりから帰省していた子供(家主にはかわいい孫たち)が数人いた。小学校の低学年から高学年の彼ら3人は、人懐っこくて可愛かった。バイクに乗ったオヤジというかデカいバイクが物珍しいようで「乗ってみたい?」と聞くと、二つ返事で「うん!」。親御さんの許可を得て、順番に集落の道をゆっくりとひと回り。子供たちの喜ぶ顔を目にし、はしゃぐ声を聞いて、もう少し大きくなったら免許を取って、バイクに乗ってほしいな、と思った。

 翌日は前年と同じ林道を通った。前年同様にお天道様のご機嫌はよろしく、後ろから来る車も前を走る車もほとんどなくて対向車も数えるほどだった。まるで専用道路という感じで、マイペースで美しい自然を満喫しながら走れたし、気温もちょうどよかった。生い茂る木々の深緑の葉の合間から射す陽光もありがたく、時にトラを停めて一服し、「いいね、この道はやっぱり」と独り言。今度は若葉が萌える時期か紅葉鮮やかな季節にぜひ走ってみたい。



R405


奥滋賀林道
12年の夏に秋山郷を訪れた時のカット。泊まった小赤沢の民宿を発って、R405を奥志賀に向かう途中、後ろに見えるのが鳥甲山。 こちらも同じ時の一枚で、奥志賀林道に入ってから撮ったもの。もっと木々が生い茂って道を覆い、木漏れ日を浴びながら走れる区間も。


野口眞一

野口眞一
1956年、7月生まれ。バイクに乗って40数年、バイク雑誌関係の仕事に就いて30数年。若い頃からバイクの旅が好きで、日本各地を走り回ってきた。所有するバイクは今となっては滅多に見ないトライアンフのサンダーバード(1996年型の水冷並列3気筒)で、17年乗り続けている。長く乗っている割には走行距離は少なめで7万3000km。

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