オオカミ男のひとりごと


HERO‘S 大神 龍
年齢不詳

職業フリーライター

見た目と異なり性格は温厚で性質はその名の通りオオカミ気質。群れるのは嫌いだが集うのが大好きなバイク乗り。

時折、かかってこい!と人を挑発するも本当にかかってこられたら非常に困るといった矛盾した一面を持つ。おまけに自分の評価は自分がするものではないなどとえらそうな事を言いながら他人からの評価にまったく興味を示さないひねくれ者。

愛車はエイプ100、エイプ250、エイプ900。

バッド・ラック・アニバーサリー オオカミ男の独り・・・愚痴

 年は2014年になり半月ほどが過ぎた、とある日曜日。走り始めて40分ほどが経過した辺りでオレは古傷を抱える左ひざに違和感を感じた。その違和感が痛みに変わるまではたいした時間はかからなかった。そこから先は激しい痛みにまったく前に進む意欲がわかずオレはストップした。勘違いされると困るので言っておくがオレはバイクで走っていたわけではない。己が持つ二本の足で走っていた時の出来事だ。自転車を漕ぐことさえも億劫であると公言してはばからないオレが何ゆえにと思うだろう。話せば長くなるがことの始まりは半年ほど前に遡る。

 昨年の6月に開催された風神祭の席でGSX-R1100に乗る香川のノブナガ君が年明けの2月に地元のマラソン大会(距離にして15キロのコース)に出場するという話になった。そんな話を聞いているうちにオレの中で今のオレの体力ってのはどんな具合なのだろうかという疑問が頭に浮かんだ。かつてオレは格闘家として活動していた事がある。自分で言うのもなんだが当時のオレの体力は常人のそれとは比べ物にならぬほど化け物じみていた。その後も習慣的に身体を動かす事も多く暇を見つけてはトレーニングは続けていたので今でもそれなりに体力には自信をもっていたのだが・・・・そうは言っても喫煙はするし集会などに出かけては浴びるほど酒を呑むなんて事をしているわけで自分で思っている以上に体力が衰えている自覚は十分にあった。ただ・・・その度合いはいかほどのものかと。実際、今のオレってどうなのよと。


届いたエントリーシートは結局、ドクターストップにより無用の物となってしまった。無念!!

部屋の半分のスペースを占める我トレーニング設備。トレーニングは毎日?いやいや、気が向いた時だけです
届いたエントリーシートは結局、ドクターストップにより無用の物となってしまった。無念!! 部屋の半分のスペースを占める我トレーニング設備。トレーニングは毎日? いやいや、気が向いた時だけです。

 
 ちょうど節目と呼ぶにふさわしい年齢でもある事だし・・・まぁ酔った勢いもあったのだろう。その席でそのマラソン大会、オレも出ると高らかに宣言してしまったのである。ただし出る以上は息も切れ切れに途中リタイヤなどという無様な姿を曝すわけにはいかない。それでトレーニングをやりましょうとなるわけだがそれがちょうどクソ暑い夏の始まりでとてもそんな気になれず始めたのは涼しくなり始めた9月の半ば過ぎ。しかし、その9月の終わり頃にオレの父親が重病で手術、入院するという事態が起こりそれどころではなくなった。そしてそれがやっと落ち着いた頃、前回、紹介した東京行きの話があり快適に走って呑んでは書いたとおり。その直後の年末年始は毎年恒例のままにこんな事している場合じゃねぇだろうといわれてしまうほどダラダラと食って呑んで寝ての時間を1週間あまりも過ごし、しっかりと余分な肉を付け加え増量してしまう始末。この時点で2月のマラソン大会までちょうど1ヵ月となってしまった。もうこうなるとトレーニングものんびりとちょっとずつというわけにはいかない。オレは自身に少し過密かなと思えるトレーニングメニューを課した。内容はこうだ。3キロの重量物を体に纏って距離にして5キロのロードワークを朝と夕方にそれぞれ。あと日常的に上半身の筋トレも少々とサンドバッグへの打ち込み(走る事にはまったく関係ないがこれは日ごろのうさ晴らし)。そして日曜日には10キロ以上の距離を一気走り。最初は久々の事なんで一気に10キロはちょっと無理かなとも思ったのだがこれが意外にも思ったほど息切れする事無く走れてしまった。さすがオレ!こりゃぁ案外、楽勝でイケちゃうんじゃねぇの!?などと自画自賛しつつ調子に乗った翌週のこのトレーニング中にオレの膝はパンクした。


年末年始は恒例の種崎廃人キャンプ。外で呑み、中で呑み、日向ぼっこして食って寝て・・・ええ、アスリート失格な過ごし方ですな、まったく

年末年始は恒例の種崎廃人キャンプ。外で呑み、中で呑み、日向ぼっこして食って寝て・・・ええ、アスリート失格な過ごし方ですな、まったく

年末年始は恒例の種崎廃人キャンプ。外で呑み、中で呑み、日向ぼっこして食って寝て・・・ええ、アスリート失格な過ごし方ですな、まったく

年末年始は恒例の種崎廃人キャンプ。外で呑み、中で呑み、日向ぼっこして食って寝て・・・ええ、アスリート失格な過ごし方ですな、まったく
年末年始は恒例の種崎廃人キャンプ。外で呑み、中で呑み、日向ぼっこして食って寝て・・・ええ、アスリート失格な過ごし方ですな、まったく。

挙句の果てはその行き帰りをバイクで走ってすらいないというていたらく。おまけに撤収してから徳島のコージ宅で反省会と称して追加呑み
挙句の果てはその行き帰りをバイクで走ってすらいないというていたらく。おまけに撤収してから徳島のコージ宅で反省会と称して追加呑み。

 なんとか自力で家に帰ることは出来たがその後は普通に歩く事さえままならない。本番を3週間後に控えてのこのトラブルはキツい。以前にもこの膝の古傷は時折、激しい痛みに襲われる事があった。しかし、大抵の場合は2、3日おとなしくしていると痛みは引いていっていた。考え方によればここらで少し疲れをぬいておくいい機会なのかもしれない。と、オレはかなり楽観的にこの事を捉えていたわけだ。この時は。しかし・・・一週間が過ぎても膝の痛みは引く気配をみせない。それどころか左の膝を庇うようにして日常を過ごしていたので今度は右足の足首まで痛めてしまった。右足首は左のそれと比べると一目見てすぐにわかるほど腫れている。ひじょうにマズイ。このままではマラソン大会をまともに走る事さえできない。オレはすぐさま病院へ駆け込んだ。(まぁこの時点で行くなんて遅ぇわな)そしてそこで告げられた症状は・・・・左膝下部頚骨亀裂骨折。わかりやすく言えば骨にヒビが入っていたわけだ。原因はおそらく急激に酷使した事による疲労骨折で全治2ヶ月。思いっきり重傷である。息も切れ切れに途中リタイヤどころの話ではない。当然、マラソン大会は欠場。戦わずして敗北決定である。しかも自分で発射したミサイルがそのまま自分の所へ落ちてきたような思いっきりマヌケな自爆だ。大会に出るまでもなく今の自分の限界を知ったよ。

 これにより2月は、マラソン大会どころかどこへも行けず・・・なんせ右足首のほうもほとんど捻挫に近い症状でエイプのキックを踏みおろす事すらできないのだから。仕方ないのでバイクの整備でもしていようかとあれこれやり始めたオレをさらなる悲劇が襲った。ちょっとしたステーでも作ってみようかとステンレス板をグラインダーで削っている時、僅かな鉄粉が保護メガネをすり抜けてオレの左目に入ってしまった。すぐに水で洗ったのだが翌日になっても異物感が残ったままでさらにその翌日には白目の部分がほとんどないほど真っ赤に充血していた。こりゃマズイと(もっと早く気付けよって話しなのだが・・・)両足を引きずりながら軽トラで眼科医へ。もはや踏んだり蹴ったりの満身創痍である。ここからちょっとイタイ話をするので苦手な人はスルーしてくれ。病院での検査の結果、眼球の黒目の部分に針状の鉄粉が2箇所ちょっと深めに刺さっていた。そこで急遽、簡単な手術をする事になりオレは同意書にサインをさせられた。簡単なといってもそりゃ医者にとっては簡単なものかもしれないがされる側からしてみればこんな苦行は滅多にないとも言える代物だ。まずは点眼麻酔をされ担当医がオレの左目に針状の治療具を近づけてくる。そして一言、「ハイ、眼球を動かさないで」と。なんとも無茶な要求をしやがる。そりゃ必死に耐えたさ。そしてやがて針の先端が眼球に触れるのがわかった。担当医は「あと少し、あと少し」などと言いながらオレの左目をほじほじしていやがる。この状態で眼球を動かしたりしたらどうなるんだ!? と考えた時の恐怖はハンパではない。しかも本当に麻酔は効いているのかって疑いたくなるほど痛ぇし。先端恐怖症の人なんかだとショック死しかねない事態である。医者がオレの目をイジくり回すこと数分、手術は終了した。術後、担当医は「いやぁ~たいていの人は動いたり痛がったりして30分以上、時間がかかるんだけどよく耐えましたね」と感心したようにオレに言った。ふん、オオカミ男をなめてもらっては困る。苦痛には慣れている。だが・・・今回、体験したような恐怖には慣れそうもないな。裸眼で2.5の視力を誇る高性能な我目の事を思えばこそ耐える事ができたがこんな事は二度とごめんだ。まぁなにはともあれこれで一安心である。全治2週間ではあったがね。

 何かをしようと思うとことごとく裏目に出るこの流れを何とかしようとオレは何もしない事を決意した。まったく訳の分からない決意ではあるがそのおかげで3月に入った頃には目もすっかり治り、足のほうもまだ飛んだり走ったりはできないまでも普通に歩く事ができるまでには回復していた。完全復活の日は近い。とは言うもののここで無理をしてまた膝を痛めるような事があると面倒なので日ごろの足として使うマシンはエイプである。それでもやはりストレスが溜まっていたのだろう。あたり構わず不必要に全開で走ってしまう。そしてこの大人げないストレスの発散っぷりがもう一つの不幸な出来事を引き起こす事になった。


相も変わらず名立たるバイク乗りたちが色んな所から次々にやってきた。久しぶりの集会にオレもテンションが上がりホーネットを出陣させたのだが・・・

相も変わらず名立たるバイク乗りたちが色んな所から次々にやってきた。久しぶりの集会にオレもテンションが上がりホーネットを出陣させたのだが・・・

相も変わらず名立たるバイク乗りたちが色んな所から次々にやってきた。久しぶりの集会にオレもテンションが上がりホーネットを出陣させたのだが・・・

相も変わらず名立たるバイク乗りたちが色んな所から次々にやってきた。久しぶりの集会にオレもテンションが上がりホーネットを出陣させたのだが・・・
相も変わらず名立たるバイク乗りたちが色んな所から次々にやってきた。久しぶりの集会にオレもテンションが上がりホーネットを出陣させたのだが・・・

ゲスト兼主催のあらせ氏。その厳つい見た目とは裏腹にとても気の良いオジサマです

ゲスト兼主催のあらせ氏。その厳つい見た目とは裏腹にとても気の良いオジサマです
ゲスト兼主催のあらせ氏。その厳つい見た目とは裏腹にとても気の良いオジサマです。

夜になり崩れていった天気に反比例するように会場はとびっきりのゲストを向かえて盛り上がっていく

夜になり崩れていった天気に反比例するように会場はとびっきりのゲストを向かえて盛り上がっていく
夜になり崩れていった天気に反比例するように会場はとびっきりのゲストを向かえて盛り上がっていく。

 3月の終わり、オレの体がほぼ完全な状態に回復した頃、広島で名物集会である“かたぎや”が開催された。山形で開催されている“かたぎや”主催のあらせ氏が広島に遊びに来たのにあわせて広島のバイク乗りたちが協力し、異例の広島かたぎや開催が実現したものだ。開催当日の昼ちょっと前くらいにオレは広島へ向けて出発した。マシンはホーネット900。かれこれ4ヶ月ぶりの出番である。がっつりとキャンプってわけでもないので荷物はテント、寝袋、マットといった最低限のアイテムだ。そしてオレは何を血迷ったか・・・そう今となっては血迷っていたとしか言いようがない。時間がたっぷりあるという状況でわずか100キロ足らずの距離にもかかわらず高速に乗り、アクセルは全開。メーターの針はあっという間に最後の目盛りを超え、その速度のままに車の群れを掻き分けながら走る。そんな時、何かがパンッとオレの背中を叩いた。突然の事に速度が一気に緩む。気になってリヤシートの荷物を確認するとユルユルのグラグラで今にも落ちそうである。幸いすぐさまPAだったのでそこへ入り見てみると荷物を括っていたゴムロープがものの見事に切れていた。メインのバッグは奇跡的に無事だったが・・・・

 外側に括っていたテント、椅子、そして雨に備えて買ったばかりの新品のブーツカバーが消えていた。なんてこった。長年、苦楽を共にした実に機能的で高額なオレの旅の必須アイテムといえるテントが・・・。ブーツカバーなどこの週末の崩れ気味な天気予報にあわせて昨日買ったばかりでまだ袋から出してもいないというのに。ううっ・・・ちょっと浮かれ気味にホーネットを引っ張り出してエイプと同じ感覚でアクセルを開けて調子に乗るとこのざまだ。いやぁ~、リアルに泣けます。家に帰ればあと二つテントはあるので取りに戻ってもよかったのだがこの時の精神状態で一旦、家に戻ってしまうとおそらくそのまま引きこもってしまいそうだったのでその後は見事なまでの意気消沈っぷりな走りでひとまずはそのままお目当てのキャンプ場へ。結局、この日の寝床は他力本願という事で車で来ていた星野氏の車の車中という事になった。

 それでもまぁ悲しい出来事ではあったがこの事を除くなら結果、この週末はかなり有意義なものだったといえる。かたぎやは楽しかったし、このあと、岡山に来たあらせ氏との市内での呑みもとても愉快な時間だった。ただ自分にとって記念すべき年のスタートからここまでの3ヶ月間、こうやって改めて書き連ねてみると・・・まぁ今だかつてないほどヒドイね。だが、悪い流れはきっとこれで終わるだろう。すでにオレの気持ちは切り替わっている。マラソン大会もリベンジするつもりだ。その事も含めて只今、自身のメンテナンス中。ほどほどにってとこですがね。


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