MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代、メインカメラマンとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。どんな話?

第35回 市中引き回しの刑は白煙の薫り

 
 今回のお話は「都内引きずり回しの刑」撮影秘話の一部です。
 「都内引きずり回しの刑」とは、その名の通り早朝から深夜まで、あちこちを引きずりまわされる多くのカメラマンに恐れられた撮影のことですが、移動して撮影するだけならば、何カ所でもそうそう文句は出ないでしょう。この刑には「無計画」「行き当たりばったり」「泥縄」という恐ろしいキーワードが潜んでいるのです。
 今回は1987年初冬のお話ですが、まだまだかわいい方だと思って読んでください。肉体的にも精神的にもボロボロになる、危険ハーブどころではない撮影は他にもあったのですが、あまりにツライことは人間記憶から消去してしまうようで、詳細を憶えているのはこれだけです。

 
 ミスター・バイクは毎月6日発売、兄弟誌(姉妹誌? 兄弟誌と姉妹誌の違いは何?)のミスター・バイクBG発売が15日(今は14日)。発売日から逆算すると、ミスター・バイクが前月の10日から20日位まで、BGが20日から30日あたりが特集の撮影日になります(デジタル化が進んだ現在では、校了日の前日にまだ撮影しているらしいのです。恐ろしいことです)。両方からお仕事をいただいた私の場合、毎月大体このローテーションで回ります。
 BGの巻頭特撮担当はAn生さんでした(過去形ですが今でもまだやっています。現在メインでご活躍中のS木カメラマン、心中お察しいたします)。発売日の頃、編集会議で次号特集が決まります。すると栃木訛のAn生さんから「エトー君、お仕事です。打ち合わせをしたいから編集部にきーてくれない?」と電話がかかってきます。
 いつもの食堂で顔を合わせると「エトー君、今回の撮影KHの特集やります。エトー君は昔、400乗ってたんでしょ。だから、イメージつかめるよね。2ストの凄いイメージで特集組みたいのです」と、書くのは面倒なので標準語に変換してありますが、強烈な栃木訛で、挨拶も抜きに切り出しました。

 
 めんどくさいので要約すると、
1. 「トビラおこし(BGの場合だと奇数ページから始まる)の巻頭オールカラー11ページだす」
2. 「メインは1台をイメージで夜撮するだす」
3.「各年代の5台を揃えたイメージカット撮るだす」
4.「三気筒エンジンを単体で撮るだす」
5.「各年式の集合写真もだす」
6. 「カスタム車も夜撮がいいだす」
 と、「んじゃ、エトー、あとよろしくな」のK藤編集長とは異なり大まかな、コンセプトは決まっていました。
「トビラはね、3本マフラーから白煙をイーッパイ出してるKHの後ろ姿。こーれぞ2ストって絵ね。カーッコよくみえなきゃ、だーめだよ」
 予想したとおり、An生さんの脳内ではすでに映像が出来上がっていたのです。人間の脳はたとえAn生さんであっても(あるとき嫁さんに「アンタの言うことは訳が分からない。きっと脳が欠けているに違いないから、医者に行って来なさい」と言われ、診察を受けたら本当に脳が一部欠けていた。というエディターズ七伝説のひとつとして、語り継がれているらしい。真偽は不明)フォトショップの1億倍くらい優秀で、思い描いた映像を縮尺、倍率、ゆがみ、色彩、コントラストなどすべて自動補正して瞬時に形にしてしまうのです。それを実際に撮影するというのは、かなり困難なのです。
「わかりやすいありがちな絵ですね……どこで撮影しますか? 一般道では白煙もうもうの撮影は難しいですよ。煙が一杯出たときにはバイク小さくなってよくわかんないし、並走して撮影できる場所もないし」
「なんで? 簡単でしょ」
「考えて下さい。煙が出たとき、もうバイクは前に進んで、そこにいないんですよ。どうやって撮るんですか……第三京浜とかの広い道を50km/hくらいでのんびり走って、急に6000くらい回して加速したらぼわーっと煙が出ませんかね? だけどゼロ発進と違って煙が流れて薄くなるかもしれません。やってみないと解りませんけど、いずれにしても並走で撮る方が確実でしょう」
「じゃあ、そーれで決ーまりね」
「次の夜1台イメージって何ですか?」
「カーッコイイ写真。後ろにKH並べて、メインが一台どーんと、いつものようにライト組んでかーっこよくね」
「ライト組んでといっても、1本しかありませんが……どこで撮りますか。スタジオはダメですよね」
「もーったいないでしょ。スタジオ代が。いつもの等○力緑地の駐車場でいーでしょ」
「いいですけど、夜ですか。すると人が捌けてからになりますから、遅くなっちゃいますね。終わるのが」
「夜はダーレもいないから、結構早い時間でもだーいじょうぶだよ。早めに行って準備してさっさとおーわりにしよう」
 記憶では、たしかにあの駐車場も、警備員など見たこともない撮影天国。今と違って、ゆるゆるの時代でした。
「その次は、5台が煙吐いてるシーン。いい雰囲気の写真ね。朝日の中、もうもうとした煙がキラキラが輝いてるやつね」
 An生さんはタバコを吸わないし、SL(蒸気機関車)マニアでもないのに煙が大好きです。このちょっと前に煙幕花火というものの存在を知ってから、なにかと使いたがります。冬でも売っている某所の花火問屋へよく買いに行ってくれました。
「どこでやります?」
「いつもの多○川の土手で、いーんじゃない」
 いつも撮っていたのは、編集部のあった雪ヶ谷にほど近い、中原街道の丸○橋下の土手でした。もちろんバリバリの建設省(現・国土交通省)の管理地です。当時、「国有地は国民のものだから、撮影くらいなにも問題ない」と、本気で思っていました。
「では、煙幕を多めに用意しておいてください」
「わーかったよ。エンジン単体イメージだけど、スタジオっぽくしてね。スタジオはだーめだよ。そうだ、この食堂で撮る?」
「それはちょっと無理じゃないですか。ここはあまりにも狭すぎます。以前いたスタジオに交渉してみましょうか。安く使えないか」
「安くなきゃここね。苦労するのはエトー君だから、頑張って交渉しーなさい」
 ムチャクチャです。
「はい……5台の置きは、普通に並べてもおもしろくないですよ」
「前後左右の各方向が見えるように5台を並べてちょこっと、なーなめうーえからがいいな」
「斜俯瞰ですね。で、場所はどーしますか」こちらもだんだんイントネーションが感染して来ます。
「多ー○川の土手でいいーんじゃない」
「じゃあ、煙のシーン撮った後で、いーんですね」
「いいーんじゃない」
「最後のカスタムバイクの夜撮ってのはなんですか」
「Z2みーたいに工場の夜景がいーんだけど」
「またですか。工場とKHカスタムの関連とかいいんですか。しかも一台だけですか」
「そう、いーちだいだけ。Z2みたいにエトー君がかーっこよく考えて撮影すればいいでしょ。いーじょうで打合わせ終了」
 というのが、せめてこれくらいは事前に考えておいてほしいなあ、という私の理想の打ち合わせの夢物語です。実際は……



1987年12月号表紙
1987年12月号。表紙は仙道敦子(せんどうのぶこ)ちゃん。今では緒形直人の奥さんです。


1987年12月号
巻頭特集のトビラページです。白煙どうです?


1988年4月号
最後に撮った夜撮のメインカット。ライトが一灯だと、後ろのKHはいてもいなくても……。


1988年4月号
それっぽく見えますか。


1988年4月号
エンジン単体。体がかゆくなるような見出しはともかく、溶岩なかなかいいでしょ?


1988年4月号
各年式の集合写真です。タンク単体も別の日に撮ったのでしょう。しかし、よく集めたものです。これがAn生パワーです。


1988年4月号
カスタム車の夜撮です。相変わらず見出しは意味不明です。

 
「エトー君、今度KHの特集やるから」
「おおまかなイメージは?」
「まだにきまってるでしょ。撮影当日までには考えておーくよ。今日バイク手配するから、撮影は明後日。大丈夫でしょ」
「私のスケジュールは空けておきますが、ほんとうに大丈夫なんですね。明後日の撮影でいいんですね。天気もバイクもイメージも大丈夫なんですね」
「だーいじょうぶ。今までもなんとかなったでしょ」
 実際の打ち合わせは3分もかかりませんでした。あの頃は、疑問に思わず、編集部までご足労いたしましたが、電話でもよかったんじゃないでしょうか。
 2日後の早朝、An生さん、私、ひかる、ぺーぺーの人足編集部員の4人が編集部に集合しました。空はあいにくの曇天。それどころか、いつ降り出してもおかしくないような状態です。
「どうしますか? もちますかね? 中止します?」
「だーいじょーぶだよエトー君。もつよ、多分。明日は天気良いみたいだから、そのうち良ーくなるよ」
 あながち嘘でもないのです。An生さんは悪運というかなんと言うか、持ち前の強引さで天気も変えてしまうことが何度もあったのです。
「ところでAn生さん、どんな絵にするかだいたいのラフ決まりましたか?」
「ラフ? なんだっけ? えーっと、だーいたい決まったよ。見開きで、どーんどーんどーんどーんと4発だーよ」 
 それはラフとは言いません。単におおまかなページ展開構成です。
「じゃあ、絵も決まったんですね」
「だはだは(An生さんが笑ってごまかす時に発せられる擬音)。ところでエトー君、ご相談なんだけど、どーしよっか。だーいたいは頭の中にはなんとか浮かんでるから」
 毎度のこととはいえ、早朝から目を点にしてくれます。
「トビラはKHがモウモウと煙出して加速している絵が浮かんだけど……5台の集合をうまく見開きでやって、カッコイイカスタムと煙の中の集合イメージで……だいじょーぶ、これから移動中に考えるから。で、トビラの撮影どこでやる?」
「場所も決めていないんですか……しょうがないですね。並走で撮りましょう。多分ゼロ発進で撮影しても絵になりそうにないから、三京(第三京浜)行きましょう」
 以前KHに乗っていたので、急加速するとモウモウと煙が出た記憶がありました。だから、並走しながら撮影すればなんとかなるだろうと思ったのです。
 こうなることは毎度のことなので、大まかな段取りは考えておきました。これもフリーカメラマンのお仕事と割り切って。
 

  
 話は逸れますが学生の頃、同級生と張り合って、信号待ちからKHのアクセル全開でクラッチを放したら、お約束の突然ウイリー。死ぬ寸前の目にあいました。余計なことをしてはいけないという見本のような出来事です。が、この何年後、高円寺辺りで信号待ちからDT200で急発進して、リアフェンダーぶっ飛ばすほど特大ウイリー竿立からそのまま転倒という「10点、10点、10点、10点、10点!」という満点の余計なことをして、大恥かきました。
 なぜ人間は、急発進したくなるのでしょうか。

 
 三京に入る手前で、ライダー役のひかると、ハイエースの運転手An生さんで入念に打ち合わせをしました。
「ひかる、50km/h位で並走して、合図したら一気に回転数あげて急加速な。車の少ないときを狙って撮るから。An生さん、ハイエースは一番左車線、KHは真ん中車線で」
 この二人にあまり詳しく説明してもどうせ忘れるだろうから、入念と言ってもこの程度です。場数は踏んでいる二人なので、やり始めればなんとかなるでしょう。
 この頃の愛機はおなじみのキヤノンF-1。当時のズームレンズは解像力が良好ではなかったのでレンズは単眼です。85mmくらいだったような気がします。単眼ですからフレーミングはハイエースとKHの車間が大事です。後部座席からカメラを構え、An生さんに「もっともっとバイクに近づいてーーーーっ!!」と大声で指示を出すのですが、窓全開なので風切音がうるさく聞こえていないのか反応が全くありません。車内に頭を引っ込め、耳元で叫んで指示を出すのですが、バイクのひかるはいくら叫んでも聞こえません。前へならえのジェスチャーで、この幅くらいこっちに近づけと指示を出しましたが、例によって、指さして大笑いしています。知らない人が見れば、おかしな人が車から体を出して前へならへとしか見えないでしょう。
 わたしがいい加減ブチ切れそうになった気配を感じたひかるは、二三度うなずくと急加速、が、2ストの急加速にハイエースが追従できるはずもありません。完全な企画倒れです。いらだちを感じながら何度か撮影を試み、手応えのないまま料金所に到着してしまいました。
 帰路はハイエースが先行し、KHが追っかけて急加速する段取りをしたら、これが正解。とりあえずトビラの撮影は終わりました。しかし、休む暇はありません。すぐに次の打ち合わせです。



1987年12月号
今回は使わなかったカットがかなり残っていましたので本邦初公開。まずは第三京浜。煙出せばいいってものではありません……


1987年12月号
集合写真の別バージョン。前ピンで、後ろボケボケ。なんでこんなの撮ったんでしょう?

 
 なんということでしょう、ハイエースの窓にポツポツと水滴が落ちてきました。
「An生さん、降ってきましたよ。どうします、中止します?」
「なーに言ってるの。土砂降りにならないうちにやーるよ。編集部に戻ってバイク積んで往復するから、エトー君は先に多○川の土手で降ろすからどうするか考えておーいてね」
 いきなり丸投げです。が、これも想定内です。編集部からバイクが運ばれる間に、カメラに三脚を付けて脚立に登りアングルと配置を決めます。ぱらぱらだった雨はやみそうもありません。ハイエースは1台しかないので2往復してKHを運びました。その間にも雨の水滴がバイクに付きまくります。ペーペー編集部員が、何かに取り付かれたように一生懸命磨いてくれますが、追いつくわけもありません。5台のKHが揃い、アングルと配置が決まったので、雨を気にせずそのまま集合写真を撮影しました。

 
 また、話は逸れますが、BGは絶版車がメインです。ピカピカの新車ではなく、少々くたびれた車両を撮影することが多いので、クリーナーなどケミカル用品を駆使し、ペーペー編集部員が磨きまくるのです。私と同郷の現編集部員のH君などは、ペーペー時代から(今もペーペーですが)積み上げた経験と技術で、どんなヤレヤレバイクでも、撮影する間だけは新車のようにピカピカにするという、シンデレラのカボチャ馬車的秘技を身につけました。そんな秘技よりも、手っ取り早いのがAn生さんがどこかで聞いてきた禁断の技、CRC556です。油分ですから、一瞬はピカピカに見えるのです。味を占めたAn生さんは、ディスク板やタイヤまで556を噴き出したのです。その結果、どうなったのかは、ご想像にお任せします。

 
 さらに話が逸れますが、皆さんもぼちぼち疲れた頃でしょう。私がKHに乗っていた頃の失敗談で、コーヒーブレイクしてください。
 KHのサイドカバーには、2ストオイルの残量が見える小窓があります。初めて買った中古のKHをバイクの免許すら持ってない友達に見せたことが悲劇の始まりでした。彼は言いました「エトー、この窓が赤くなったら、オイル切れだから気をつけろ。焼き付くぞ」と。
 免許も持っていない彼以上に無知だった私は、その言葉を疑うことなく信じました。なかなか赤くならないので2ストオイルは長持ちするんだな-と思っていました。購入したのは冬で、次の年の夏休みに九州まで走って帰ったとき、岐阜県の大垣あたりで、突然エンジンがシャリシャリ言い出したのです。なんかおかしいと、近くにたまたまあったカワサキ系のバイク屋さんに行くと、オイルが全く入っていないことが判明。すでに軽く焼き付きを起こしていました。応急処置をしてもらったのですが、このまま走り続けるのはエンジンに悪そうだと、神戸からフェリーに乗った記憶があります。当時は、こんなものでした。

 
 集合写真が終わり、続いて煙を出すイメージの撮影なのですが、An生大魔神の神通力も通じず、どんどん雨が強くなったので一旦編集部に戻って天候待ちとなりました。編集部でごろごろしていると日が暮れる頃に雨は上がりました。
「エトー君、夜の撮影はできそうだね。いーきましょう。とりあえずカスタムのイメージ撮影やーるよ」
「えー、やるんですか? どこでやります?」
「信哉とよく撮影してるところでいーいんじゃない」
「あそこは信哉さんが俺の土地って呼んでる所ですよ。あとで信哉さんに怒られたら謝ってくださいよ」とぶつぶつ言いながらも、早く終わらせて、明日の撮影のために寝たいのでハイエースに機材を積み込んで現場に向かいました。
 今はどうなっているのか解らないのですが、川崎の某所にある夜景がきれいに見える場所です。車中で打ち合わせをしながら向かいました。
「どんな感じにします?」
「夜景ったら、Z2のときみたいに、きれいな夜景バックでーしょ」
 バ○の1つ覚えです。しょうがないので、考えてきた案を披露します。
「それよりも、バイクのヘッドライトつけて、光跡を引っ張るような絵はどうですか?」
「?」
「とりあえずポラ切ってみますから、それで見てください」
 今のようにデジタルで、撮ったら見られる時代ではなく、とりあえずポラ(=ポラロイド)で撮って、こんな感じですと、確認してから本番撮影に入るのです。
 現場に到着すると、雨がまたポツポツ降ってきました。しかしやるしかありません。ライトは雨に濡れると使えなくなるので、ハイエースの後ろドアを屋根代わりにして、その下にセットしました。本当はトレペ(=トレーシングペーパー)も貼りたかったのですが、雨なので断念しました。
 セッティングを終えて、三脚にポラカメラをセットします。前回お話しした多重露光と、その前にお話しした夜空の落書きを合わせた複合テクニックを使います。技術的には、画面の左にバイクをフレーミングし、シャッターをバルブで切ったらゆっくり雲台を回転して、画面の左のマーキングした位置で止めます。8秒で終わるように撮影しました。
 ポラを見せると「いーいんじゃない」ということで、さっそく本番。
「じゃあ本番撮りますね。少しバイク拭いてください」と言うまでもなく、ペーペー編集部員はキチ○イのごとく、水滴をぬぐってくれますが、再び雨が強くなりました。
「これ以上拭いてもダーメだね。こーのまま撮っちゃおう。雰囲気あっていーんじゃない」ということで、ささっと撮影を終了。編集部に戻ったらすでに23時を過ぎていました。



1988年4月号


1988年4月号
カスタム夜撮の別カットです。雨がすごいの解りますか。

 
「残りは、煙のシーンと夜の単体だーけだね。やればできるでしょ、エトー君」
 どこまでも無邪気なAn生さんです。いや、無邪気ではなく無邪鬼です。鬼です。
「煙のシーン夜明けね。天気は良いみたいだーから」
「えー、早朝からですか」
「編集部で寝ればいいでしょ」と押し切られてしまい、じっとり湿っていて、得体の知れない虫が時々死んでいる編集部の布団で仮眠しました。思い出すと湿疹ができて失神しそうです。
「エトー君、朝だよ。撮影いーくよ」
 早朝、多○川の土手に到着。いつもの土手に降りようとしたら、入口にチェーンがかかっているではないですか。土手に入れないのです。
「An生さんどうします?」
「こーまったね」
「横に隙間がありますから、そこからバイク入れましょう。An生さん、どんな絵にするか決まりましたか。早く決めないと日が昇っちゃいますよ」
「ん〜、そーだね、斜め後ろから見て、一斉にマフラーから煙を噴いて、しかも朝もやの中にあるとかーっこいいね」
 

 
まだ暗い中、ハイエースのライトをたよりに柱の横から慎重にバイクを土手に降ろし、5台並べ終わった頃には空も白み始めてきました。薄暗い中でカメラをセッティング。バイクをきれいに磨き終わった頃にはもう空は青から赤に変わろうとするお日様が昇る直前でした。
 煙幕花火に火を付けAn生さんと、ペーペー編集部員がバイクの周りを走ります。太陽は一瞬で登ってしまうので、緊張します。お日様が見える前から少しずつシャッターを切り始めます。
「An生さん、もっと低くナチュラルにお願いします」
「わーかってるよ。しーんけーんにやーってるよ!」
「もうちょっと、後ろから、そこじゃなくて、いや少し前めに」
「もう! どーっちなの」
 朝焼けの中、土手にはもうもうと煙。扇風機でもあればいいのですが、煙を自然に見せるのは難しいのです。街中だったら「火事だ!」と通報されかねません。日もすっかり上がって、犬の散歩をする人も現われたので、撮影は終了です。
 門の解錠時間は8時と書いてあります。搬入と逆の手順でせっせとバイクを出し、なんとか時間までに撤収できました。



1987年12月号


1987年12月号


1987年12月号
煙を扇風機もなしに回らせるのはほんとうに難しいんです。

 
「あとは夜のシーンとエンジン単体ですね」
「はーらへったから、デ○ーズ行こうーか」
 ということで、編集部近くのデ○ーズでモーニングを食べながら残りの撮影の打ち合わせをしました。
「バイク単体のイメージはどこで撮影しますか? いつもの等○力緑地ですか?」
「そーだね」もぐもぐ。
「どんな感じですかね」
「前に一台KHがあって、後ろに何台かうーっすら見える感じかな」もぐもぐ。
「後ろほとんど見えないと思いますよ。ライト一灯しかありませんから」
「いーよ、いーよ、だーいじょーぶだよ」もぐもぐ。
「エンジン単体はどうします? スタジオ借りますか?」
「エトー君のいたスタジオ安く貸してくれないの? 交渉しーて」もぐもぐ。
「交渉してみます。その方が良い写真撮れますし。絵はどんな感じにしたいですか」
「とにかくかーっこくよくね。エトー君にまかせるから。もう一品食べようかな。エトー君も食べる?」
「それよりAn生さんも少しは考えてくださいね。それとエンジンきれいに磨いておいてください。長い時間はスタジオ借りられないので」と念を押して打ち合わせを終了。夜の撮影まで時間があるので一旦家に戻って、とりあえずスタジオに連絡してから仮眠しようと帰路につきました。

 
 夕方編集部に再び集合して等○力緑地へ向かいました。この頃、まだ大型ストロボは使っておらずNationalStrobo56のマニュアルタイプしか持っていませんでした。江古田にあった丸井林(以前にも書いたことがあるかもしれません。3階建ての百貨店です。あのマルイとは関係ないようです。今もあるのでしょうか。ストリートビューでも見てください)で購入しました。ちなみに、牛丼の松屋一号店は江古田でした。牛丼と生姜焼き定食=B定食とか言っていたように記憶しております。当時5万円近くしたものがなぜか1万円で売られていました。同じ型でもオートが付いたものは6万円程していましたから、ストロボメーターがないと撮影できないマニュアル機という代物だったので売れ残った在庫処分だったのでしょう。
 3×6の自家製塩ビ枠にトレペを貼り、遠くに置いた発電機から引いたコードに500ワットセット、電球をモデリングランプ代わりに使って撮影しました。もちろんセッティングはすべて一人でやるしかありません。ライト一灯、レフだけの単純なセッティングです。塩ビ枠を支える大きめの脚など持ってないので、上の方からのライティングができず、下からのライトという、前回お話しした刀の時と同じライティングです。しかもライトスタンドに引っかけてあるだけなので、少しでも風が吹くと倒れてしまうお粗末なセットでした。
 今ならもっとまともな写真が撮れたでしょうが、機材もさほど持ってなかったし、このあたりが限界でしょう。警備員が見回りに来ることもなく、順調に撮影は終わりました。編集部に戻ったのは23時ころでした。

 
 残るはエンジン単体だけ。An生さんほど強引ではないのですが(無茶苦茶な理論で、押し切ってしまう横暴、いや、粘りを横車を押すに例えて「An生が車を押す」と言って恐れられていました)無理を言って安くしてもらったスタジオに夕方到着。
 エンジン単体と言えど結構重く、3人で抱えてスタジオに運び込みました。
「An生さん。エンジンあんまりきれいになっていませんね。ライトを当てるとばれますよ。きれいに磨いといてくださいって、あれほど念押したのに」
「エトー君、だいじょーぶだよ。どっちから撮るか決まってから仕上げるから」やはり、予想した通りで、ちょこっと不機嫌になってしまいました。
「で、どうやって撮ればいいんですか」ちょっとだけ強い口調になりました。

 
 An生さん相手に怒ってもしょうがないので、すぐに気を取り直して提案です。
「ただ台の上に置くだけはおもしろくありませんね」
 実はほとんど決めていました。何週間か前にここで撮影アシスタントをやりました。その時は溶岩から光が漏れているという撮影でした。内容の説明は難しいのでしません。その時使った溶岩をスタジオで一時保管するみたいなことを言っていたので、使用許可をもらっておいたのです。
「An生さん、実はここに溶岩があるんですけど、その上にエンジンのせるのはどうですか? 荒々しいトリプルと、燃えるような溶岩。背景は赤くして」
「そーれでいこう。かーっこよく撮ってーね」
 An生さん、こういうのベタなのが大好きなんです。ということで3人で重たいように見えて、実は軽い溶岩を持ち出し、その上にエンジンを載せるセットを作りました。エンジンも溶岩も借り物なので壊したら大変です。傷がつかないようにウエスをクッション代わりにして、安定するようサイコロ(サイコロの形をした撮影用の小道具)に載せます。本当は煙を使って雰囲気を出そうと思っていたのですが、エンジンと溶岩が見えなくなるのはもったいないように思えたのでやりませんでした。ちなみに映画の世界では、とある薬品を使って煙を効果的に出しています。水と混ぜるとおもしろいほど煙が出ます。これを知ってから煙シーンの撮影は、ほとんどこの薬品を使いました。この煙を間違って吸い込むと激しくむせますが、有害ではないと思います。たぶん。
 この後、各年式のタンク単体とか、スガヤのチャンバーとかもろもろ撮ったような気もしますが、ほとんど憶えていません。
 というわけで、最後の撮影も終了。都合3日間にわたる「都内引き回しの刑」は幕を下ろしました。書いてみると、案外たいしたことなかったですね……今回の撮影思いで話はここまで。では、また。



1987年121月号
原版です。これはそのあと何度か使い回わされたので、見たことのある方もいらっしゃるのでは?

衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

●webサイト http://www1.bbiq.jp/tailoretoh/site/Welcome.html
●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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