MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代、メインカメラマンとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。どんな話?

第36回 ミスター・バイクBGは“ウ○コ”の香りとともに

 
 今回は記念すべきミスター・バイクBG創刊号の巻頭特集ページのお話です。

 と、その前に少しだけBG前史のレクチャーを。
 ミスター・バイクBGとして一本立ちし、晴れて月刊化されたのは1986年12月号(11月20日発売。創刊当時は20日発売でした。ちなみに現在は14日です。お忘れないように)からでした。が、実はその前にミスター・バイク臨時増刊号として6冊も出ているのです。知っていましたか? ウィキにも出ていない(というか、項目自体が存在しない)この事実を。

  
 BG前史の記念すべき第1号は1985年6月号(発売は5月中頃)。このあと1985年9月号、1986年4月号と季刊で発行されました。表紙は、惜しくも2008年に逝去された広井てつお先生の書き下ろしでした。時はバイクブーム、ありそうでなかった中古車情報誌は好調な売れ行きを見せ、あれよあれよと1986年7月号から隔月刊に昇格します。
 この号から表紙はアイドルになり、しばらくは私が撮影を担当させていただきました。アイドル表紙の第1号は宮崎出身の布袋さんのお嫁さんになったあの人。9月号はAKBプロデューサーA氏の奥さんになったあの人。11月は国民的美少女の何回目かで優勝し、F1レーサーと結婚したあの子でした。
 そして、月刊化第1号となった1986年12月号は、最近よくサスペンスに出てくるあの人でした。
 みんなかわいい子でしたが、歳のせいか名前が思い出せません……どこのスタジオで撮影したかもまるで覚えていません。当時立ち会った編集部員によれば、私はアイドルと目も合わせず一言も喋らず、黙々とシャッターを切っていたそうです。モデルに声をかけないとは、なんたるシャイなあんちくしょうでしょう。それでもこれだけの笑顔の写真を撮るのですから、私のウデが恐ろしく素晴らしいことの証明です。
 しかし、月刊化2号目で表紙のカメラマンをクビになりました……つまり私のウデではなく、アイドル達のモデルとしてのプロ意識が恐ろしいほど高いからすばらしい写真になったということが、バレてしまったのです。一説によるとあまりに私が無口なので、アイドルが怖がったとか。ちくしょ〜ぅ、という悲しい記憶は、さっきまですっかり忘れていました。だから今回のお話も、全体の記憶がなく、覚えている所だけかいつまんだスーパーダイジェスト版です。



1985年6月号表紙


1985年9月号


1986年4月号
1985年6月「ミスター・バイク臨時増刊号バイクバイヤース・ガイドブック」がBGの原点に当たります。 1985年9月号。巻頭では信哉さんが中古車の試乗をやっています。 1986年4月号。早くも読者ページを開設。どうでもいい捨てカットを当時バイトしていた某有名漫画家が描いています。


1986年7月号


1986年9月号


1986年11月号
1986年7月号。別冊ミスター・バイクに昇格と当時に表紙がアイドルに。巻頭特集はスクーター。 1986年9月号。巻頭特集はオーバー200km/h。ミスター・バイクの香りがします。 1986年11月号。巻頭特集は第5話で真相を暴露? したNSRの特撮。

  
 月刊化第一号の表紙からしばらくは、バイクのパーツを少しだけ入れるような遊び心がありましたが、飽きたのかすぐにやめたように聞いています。そのころ私はすでに撮影していませんから知りません。表紙の話はもう、うんざりだ! ではなく、巻頭CB特集で北野 元さんの所に行ったときのお話です。
 現在四輪の大御所カメラマンに大出世したM君が編集担当でした。打ち合わせではイメージ撮影のみでしたが、現地(多分、高島平の団地の辺りだったと思う)で「ついでに走りの写真も」と言い出しました。コーナーリング撮影ができる場所など簡単に見つかる訳がありません。探している時間もありません。突然思いつきで撮れと言われても困るのです。カメラマンとしては恥ずかしいのですが、横走りしか撮れません。試乗する方も突然走れと言われても心の準備もできてないのです。しかし、北野さんは嫌な顔ひとつせずに走ってくれました。でも誌面では使われていません。「とりあえず撮っておいて」もよくあることです。



1986年12月号
1986年12月号。ついに月刊化。ミスター・バイクBGの誕生です。

  
 なんとか撮影も終わり、北野さんのお店でインタビューをするための帰路で事件は起こったのです。撮影車のCB72はおなじみ編集のAnさんがハイエースに載せて運び、私とM君は北野さんの車に乗せてもらって移動したのです。帰路、北野さんの車に再び乗り込むと、かすかにウンコの香りが。北野さんの車はまっさらの新車で、フロアマットは真っ白な起毛です。気のせいかと思いましたが、やはりウンコ臭がただよってきます。
 これは明らかにおならとは違いウンコ本体の臭いであると確信しました。しかも外からではなく室内です。犬か人はわかりませんが、誰かが地雷を踏んでしまったのです。北野さんもM君もウンコ臭を感じているようですが、誰も触れません。北野さんはさきほど会ったばっかりですから言いづらいでしょう。長い沈黙が続きました。ひょっとして北野さんが? もし本人なら仕方ないです。もしかして私? すーっと冷たいものが背中を走るのが解りました。私の座ったのは後ろの席。もし私だったら、車を降りたらすぐに謝って掃除をしなければ……気づかれないように右の足をそっと動かし、出来るだけ顔も動かさないように靴底へ目線を送りました。ああよかった、何にも付いてない。左も悟られないようにくまなく見たのですが、それらしき物体はありませんでした。
 容疑者は二人に絞られました。身の潔白が証明された私の気分は名探偵コ○ンです。北野さんは運転しているので、平然としているようにみえます。M君はそわそわしています。はは〜ん、なるほど。
 お店に到着するまでの5分が5時間にも感じるスリル満点の車内でした。到着するとas soon asでM君は素早く車を降り、ハイエースの方に走っていきました。北野さんは車を降りて、何気なく靴底を確認し、安堵の笑顔を私に向けました。やはり私の睨んだとおりです。
 M君はハイエースの影に隠れて、靴底を地面にこすりつけ、ぴょんぴょん飛び跳ねて靴のトレッドに入り込んだ異物を除去しようと必死で奮闘しているようです。ハイエースの後ろで見えないつもりでしょうが、音で何をしているのか丸わかり。しまいには水たまりで完全に証拠隠滅を図っていました。しばらくすると、「バイクが倒れていないか心配で、ハイエースの中を見てきました」と何事もなかったような顔で言い訳をしましたが、かすかに薫るウンコ臭が、すべてを雄弁に物語っていたことは言うまでもないでしょう。私も北野さんも見て見ぬふりです。なんという大人の対応でしょう。もしも小学生なら、スペインの宗教裁判を彷彿とさせる極刑は免れません。



1986年12月号巻頭
巻頭特集のふた見開き目が北野さんとCB72。ひと見開き目は後ほど。

  
 お店を後にした帰りの道中で、私はM君を問いただしました。
「犬のウンチ踏んだでしょ?」
 すると、今まで黙っていたM君が堰を切ったように話し出しました。バイクで転けたりすると、急にべらべらよくしゃべり出す、あの現象と同じようです。
「いやー、参ったよ。車に乗ろうとしたらウンチ踏んでるのに気がついてさー。取れるだけ取って、そのまま車に乗ったんだけどさ、北野さんの新車じゃん、だからマットを踏まないように、ずっと片足を上げてじっと耐えて、脚あげ腹筋の状態で『早く着けー、着けー』って祈って必死だよ。終いには、腹筋ぷるぷる震えて来ちゃってさー、もうだめかと思った時にやっと着いてさー。着いたら速攻で走ってハイエースの裏に隠れてさー、バイク点検するふりしながらさー、必死でウンチとって、仕上げに水たまりで洗ってきれいになった所で、バイク大丈夫だったなんてつぶやきながらお店に入って行ったよ」
「でも、バレバレだったよ。ところで汚さなかった? 車は」
「確認しました。汚れてません。大丈夫、大丈夫」
 と、いうことで一件落着? 無事編集部に戻りました。と、ここで話が終われば他人事なただのおもしろ話なのですが、そうは問屋が卸しません。問屋さんは卸しても、Anさんは卸さないのです。今日の撮影はこれで終わりではないのです。これから特撮が始まるのです。事の起こりは撮影前の打ち合わせでした。


巻頭特集

巻頭特集

巻頭特集


巻頭特集


巻頭特集


巻頭特集
これが巻頭のCB特集。わかったようなわからないようなCBチョイス。最後の見開きは、太っ腹なヨンフォアのプレゼントじゃなくてモニタープレゼント(景品表示法からの逃避……)。ヨンフォアが当たったラッキーな方、いまどうしていますか?

  
「エトーくん、特集の最初の見開きなんだけどさ、CBのカーッコイイ写真で決めたいの。ヨンフォアと新型CBR400Rの絡みね」
「じゃあ、ヨンフォア越しにズーミングで、抜けにCBRがあるなんてどうです?」
「ん〜?? どーんな感じ? 絵に描いてくーれない」
 簡単な絵を描いたら「いーんじゃない。そーれでいーこうよ」ということになったのですが、実際に撮るのは簡単ではありません。
「スタジオじゃないとできないかもしれません。後ろが真っ黒になる所じゃないと」
「むーりだね、そんな予算なーいよ。後ろが真っ暗ならいいんでしょ。夜だと会社の前の道、車も人も通らないからできるでしょ」
「会社の前の道路ですか」
「だーいじょーぶ、滅多にこないから」
 車がこないなんて、そんなことはないだろうと少し疑ったのですが、スタジオがダメならやるしかありません。

   
 撮影当日、夜8時頃から準備にかかりました。確かに車の通りはほとんどというか、準備している間、全くありませんでした。確かに辺りは真っ暗で余分な光はほとんどない好条件です。
 まずバイクをセットしてフレーミングを確認します。アングルが決まった所でライティングにかかります(ここから専門的になりますが、めんどくさいので説明しません。解らなければ解ったようなフリをして読み飛ばしてください)。まずはヨンフォアの前後に当たるサイドライトを決め、キミーラのMサイズのバンクをブームを使ってトップに仕込みます。結構重いのでブームが少しばかりしなりますが気にしません。
 カメラは6×7を用意しました。最初は4×5でやろうかと思ったのだが、ズーミングができないということで6×7にしました。
 準備が出来たら撮影です。1回目はまずストロボを光らせてヨンフォアを撮影し、多重露光ボタンを押して静かにフィルム巻き上げレバーを動かします。
 2回目はモデリングランプを利用して、ズームリングをロングからワイド方向に移動させてスロー撮影です。ワイドになった所でヨンフォアとCBRと入れ替えます。そして再び多重露光ボタンを押し、静かに巻き上げレバーを動かす。
 3回目、ライティングをトップライトだけにしてCBRを撮影します。再度多重露光ボタンを押して静かにフィルム巻き上げレバーを動かします。これで1カット目が終了です。
 次は、3回目から逆の順番で撮影します。これを10回繰り返して撮影は終了です。何をやっているのかよく解らないでしょうが、とにかく手間がかかって面倒なことは解ってもらえたことと思います。
 ポラを切って、露出を決め、2台のバイクのセンターをほぼピッタリ合うように調整できたら本番です。車や人が来ないことを祈りつつ撮影を始めました。



1986年12月号巻頭
巻頭特集のひと見開き目。同じフィルムに10回多重露光を重ねた力作です。いかがでしょう?

  
 夜の9時頃スタートした撮影は、12時を回る頃にやっと終わりました。たった1カット撮るだけでです。今と違ってフィルムですから、現像が上がるまでちゃんと思惑どおりに撮れているのかドキドキものでした。

   
 この撮影が無事に成功したため、Anさんはどこでも簡単に特殊撮影できると勘違いしてしまい、わたしは以後、路上特殊撮影カメラマン生活にどっぷり浸かって行くのでした。


衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

●webサイト http://www1.bbiq.jp/tailoretoh/site/Welcome.html
●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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