MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代、メインカメラマンとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。どんな話?

第37回 撮って呑んで呑んで撮る

 
 今回は、ミスター・バイク1994年7月号、平さんと信哉さんの表紙と対談の裏話です。

「エトー、平さんと対談することになったわけだ。対談と表紙の撮影の仕事ぶんどって来たからよ、頼むぜ、おう」
 信哉さんが平さんと対談を企画して撮影を私に発注してくれました。ありがたいことです。平さんは現役を引退し、ミスター・バイクで試乗レポートなんかをやり始めた頃だったと思います。

「対談はどこでやりますか。編集部ですか?」
「かしこまった感じの対談なんかやりたくねーからよー。本音で話してぇから、酒飲みながらやりてーな」
「なら、しぶやがいいんじゃねーっすか?」担当のホヤ坊が目をキラキラ輝かして提案しました。
 しぶやというのは編集部から歩いて10分ほどの焼き鳥屋です。今もあるのかどうかは定かではありませんが、若鶏のとり皮が抜群に旨いのですが食べられるのは月曜日だけ。しかも開店と同時に行かないとすぐ品切れになる超貴重品でした。このため毎週月曜日はしぶやの日と決め、ホヤ坊と二人でキッチリ午後5時にはカウンターに座っている、まさに「今日もしぶやで5時!」を繰り返していました。私はフリーカメラマンなので何の問題もないのですが、一応サラリーマンであるホヤ坊が、毎週月曜日定時退社前なのに焼鳥屋にいるというのも剛気な話です。
 そんなわけで、しぶやの大将とも仲良くなっており「すいません、かくかくしかじかで撮影と対談をさせていただきたいのですが」という話もすぐにOKがもらえました。こんな日がいつか来るに違いないと(なワケはない)、せっせと通っていたおかげです。

 まず表紙を撮影、その後午後5時半頃から対談を始めて混み合う7時前に撤収すれば、さほどお店に迷惑をかけることもないと段取りました。本来ならば、まず対談をして意気投合してから表紙が自然な流れですが、あまりにハイリスク。小心者の私にそんな冒険はできません。その理由は、最後まで読んでいただければ「なるほど、エトーの言うことはもっともだ」と賛同していただけることでしょう。

 当日午後4時半頃、私は早めに道具を持ってゴーイング、ライティングをセッティング。グゥグウググウゥと、店の前でストロボをセットし終えた頃、平さんと信哉さんがやってきました。

 
「ではさっそく。まだお酒を飲んでいませんが、いいお酒飲んだなーっていう雰囲気でお願いします」すると信哉さんが、ニヤリとして「エトー、ちょっと待て。俺たちは役者じゃねーんだから、いきなりそんなこと出来ねーよ。でだな、とりあえず一杯乾杯してからでもいいだろ」と言いました。そういえば平さんはすごくマジメな人だということを思い出しました。一杯くらい飲んだ方がリラックスしていい絵になりそうです。「じゃあ、一杯だけですよ。ライティングとカメラセッティングしますから、ホヤ坊が呼びに行ったらすぐお願いしますね」と二人を店内に送り出し、カメラを移動したり、ライティングの微調整をしたり、荷物を整理したりしました。15分ほど経過したのでぼちぼちかなと店の中をのぞいてみれば、すでに二人の前には空になった大ジョッキが2つ並び、3杯目を飲もうとしていました。すぐに意気投合したようで、腰を落ち着かせてしまいそうな危険な予感、このままじゃ表紙の撮影できないと、前記の予感が的中しそうな危険を感じ、すぐにホヤ坊に呼びに行かせました。 



1994年7月号
今回のお話はミスター・バイク1994年7月号です。バイク雑誌で呑み屋……今ならば……。

 
 急激に2杯も飲んだからか、二人とももう顔が赤らんでいました。「顔が真っ赤ですよ。酔っぱらい顔の表紙で大丈夫ですか」「エトーよ、これはだなリアリティを出すために二人して急いで飲んだからだ。リアリティーだよ。問題ねーだろ」「なるほど。リアリティを求めるなら問題ないですね」絶対そんなことはないとは思いながら……ほんとは早く飲みたかっただけじゃないですかなどと、言えるわけもありません。「では、ナチュラルに、あるがままに。お願いします」「エトー、なんか注文が多いな。ようは普通に楽しくしてろってことだろ」そう言って二人は凄くいい笑顔をくれました。



1994年7月号


1994年7月号
表紙の未使用写真が見つかりました。これは平さんの表情がイマイチ硬いです。 見つめ合う二人バージョンも。なんか変ですね。

  
 表紙撮影が終わると、次は対談と顔写真です。テーブルにつくなり「まあエトーも一杯飲め」となりましたが、仕事はまだまだこれからです。本当はものすごく呑みたいのですが、ここで誘惑に負けて呑んで撮り損なったりしたら、今後お仕事がなくなります。でも呑みたい。そんな葛藤をしながら写真を撮ります。不思議なことに、カメラを構えると呑みたい気持ちを忘れて仕事に集中できました。私も成長したものです。

 そういえば、以前とあるミュージシャンのインタビューに近D編集長と行ったときのことを思い出しました。この時も居酒屋でした。近D編集長は「今日は仕事だから控えめに」などと言いながらチビチビ呑みでインタビューをしていたのですが、ミュージシャン達はかなりの勢いで呑み続け「我々ばかりが呑んでいる。これで対等な話が出来ようか、否、出来るわけがない」と、正しい酔っぱらい論理を唱え始めたのでした。しかし近D編集長も大人です。まあまあ、となだめすかしてインタビューを続けていたのです。ところが、いたずら心にぼわッと火が付いた私は、近D編集長がちびちびと呑んでいたビールのコップに、お酌をするフリをしてこっそりとどっさり焼酎を注ぎ込んだのです。 

 まあ、ぐっといきましょう、ビールだと思ってぐいっと呑んだのが焼酎のビール割。3杯ほどのんだあたりで効き目が現われました。あっという間に酔っ払った近D編集長は「もういい。俺は酒を呑む」と言い出し、日本酒をガンガン呑み始めました。幸いインタビューも撮影もほとんど終わりでしたから、まあいいかという感じで見ていたのですが、突然説教を始めたのです。しまった! 急激に酔っ払った近D編集長は説教魔に変貌することがあるのです。これがまたしつこくて、めんどくさいのです。よりにもよってこんなときに……「さあ、撮影も無事終わりましたよ。今日はこの辺で帰りましょう」となだめたのですが、「うるせーんだよ!」と目が完全に座っています。

 
 これはヤバいことになった……全員で目を合わせ、ご高説ごもっともでございます。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。とてもすばらしいお話でしたと平身低頭。なんとか話をまるめて、その隙にお勘定を済ませ、近D編集長をかついで私のクラウンステーションワゴンに押し込みました。
「何だよ、もー帰んのかよー。まだ終わってネーぞ!」と興奮気味だったのですが、一騒ぎすると疲れたのか、急に静かになって寝てしまいました。

 もうすぐ編集部、これで一安心と思ったその時でした(お食事中の方は、これ以後をご遠慮ください)。
 突然液体とも固体ともいえない独特の物体がフロントガラスに付着しました。いったいなにが起こったのか、運転していた私は理解できません。ちらり助手席を見れば怪獣が火炎を吹くかの如く、間欠泉が勢いよく温泉を吹き上げるかのように、勢いよくゲ○の第二波を噴射する光景が映し出されました。ごぼごぼボボボーっと聞こえるその音の中で「エトー、ごめんな」と小さな声も聞こえたような気がしました。「大丈夫ですか」と慌てて車を左に寄せて止めてティッシュボックスを渡したら「エトー、ごめんよー、ごめんよー」と半泣きで掃除を始めました。こっそりたっぷり焼酎をまぜまぜして酔わせた罪悪感もあり「もうすぐ編集部着きますから」と優しくなぐさめて、車を発進させたのでした。
 翌日、酸っぱい臭いが充満した車内のドア内側スピーカーメッシュカバーには、ぎっしりとゲ○が詰まっていました。今度は私が半泣きになりながら、つまようじで一つ一つのほじくりだしたのでした。 



1994年7月号


1994年7月号


1994年7月号
対談記事です。平さんといえば、我々世代の大ヒーローです。そんな人がべろんべろんで信哉さんと本音対談。大きな話題になりました。とはいえ、これも今ならコンプライアンス的にボツになるようなカットもあったり……昔はよかったなあ。単純に。

 
 宴たけなわ、対談も順調に進み、小一時間過ぎた頃に信哉さんは言いました。
「もういいだろ。エトー。十分だろう。もう呑めよ。なんかあったら俺が責任とってやっから。さあ呑め」

 
 すでに私以外はみなさん仕上がっていました。撮れた手応えも十分で、自分でももういいだろうと思ったのですが一応編集担当のホヤ坊に「いいなホヤ坊?」とお伺いをたてました。「もう、いいっすよ。大丈夫でしょう。呑みましょう」いうので急いで機材をしまって、あっという間に普通の呑み会になりました。
 とはいえ、信哉さんは結構呑んでべろべろに見えたのですが、あとでちゃんと対談を原稿にまとめたのですから、さすがです。

 予定通り7時を過ぎた頃、呑み足らないということで河岸を変えることになりました。店を出て右手にアルミカメラバック。左手にアルミのストロボケースを担いで歩き出したのですが、突然平さんがカメラバックを奪い取り、肩ひもをおでこに掛け、トランクを背中に回して歩き出したのです。やはりレースをやっていたことはあり、首の力は半端ではないと感心しましたが、全日本の元チャンピオンになにかあっては大変です。返してくださいとバックに手をかけると、突然走り出しました。それこそ転んで怪我でもされては大変です。慌てて追いかけると急に立ち止まりました。そして突然目の前の家のインターフォンに指を……「知り合いですか?」「知らない」といってまた走り出しました。
「元全日本チャンプがピンポンダッシュで逮捕」明日の新聞の見出しが頭をよぎります。まずい、と追いかけると、突然普通に歩き出しました。どうやら酔ったふりをして私たちを驚かせていたようです。お茶目な人です。

 編集部に戻り、機材を置いてフィルムの整理をしていると「石川台(編集部の近くの商店街)のカラオケボックスに行くことになったからよ。終わったら後から来いよ」と、ぞろそろ出かけて行きました



1994年7月号
平さん、信哉さん、ホヤ坊に、あれ? 近D編集長もいたんですね。記憶にないので、呑むだけ呑んで先に帰ったのでしょうか??


1994年7月号
カメラバックを強奪した平さん。このあと突然「盗んだバックで走り出す〜♬」


1994年7月号
エトさんが写っている、というこはこれは平さんがシャッターを切った? ある意味たいへん貴重な一枚。

 
 遅れてカラオケボックスに行けば、すでに大盛り上がり状態です。
 トイレに立つと、受付のお兄さんに「お酌をするおねーちゃんはどこにいるの?」と、平さんが絡んでいました。
「元全日本チャンプカラオケボックスで大暴れ」 明日の新聞の見出しが頭をよぎります。「ここはカラオケボックスですよ。スナックじゃないですよ」と、なだめて部屋に連れ戻もどしました。
 早い時間から急ピッチで呑んだ後に全開で歌ったので、激しく酔いが回って来たようです。阿鼻叫喚の大騒ぎでした。

 日付も変わる頃「そろそろお開きにしませんか。平さんだいぶ疲れているみたいですし」と言うと「じゃあ、車呼ぶか」と、信哉さんは編集部に連絡を入れました。いつの間にか迎えまで手回し済みとはさすがです。すぐに編集部のハイエースが来ました。スライドドアーが開くと平さんと信哉さんが転がり込むように乗り込みました。走り去るハイエースのテールランプを見て、短いようで長かった、長いようで短かった、とにかく今日の仕事が終わったという気がしました。

 今回のお話、お名前を伏せようとも思ったのですが、顔が出てしまうとしようがないのでそのまま書かせていただました。早いものでもう20年も前のことです。時効成立ということで、平さん、信哉さん、どうか平にお許しください。


衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

●webサイト http://www1.bbiq.jp/tailoretoh/site/Welcome.html
●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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