西村 章が聞いた ゆく年くる年 MotoGP/技術者たちの2014年回顧と2015年展望−HONDA篇・後編

●インタビュー・文-西村 章 ●取材協力-Honda http://www.honda.co.jp/

―大変といえば、2014年からシーズン中のエンジン開発が凍結されることになりました。開発面では、前倒しでやらなければならないことが増えて、より多忙になったのでは?

「大変、の質が変わりましたね。でも、ちょっと整理された感はありますよ。というのも、今まではふたつの開発を同時に進めなければならなかったんです。そのシーズンの開発をしながら、来年のマシンも開発していました。たとえば、2014年のマシンの開発をしながら2015年の開発も進める、という具合です。だけど、2014年の開発が凍結されるようになると、14年のことは13年じゅうにやらなければならないけれども、14年は15年の開発に集中できる。だから、ふたつ開発するよりもひとつに集中するほうが、整理して進めることができるわけです」



国分さん

―エンジンの開発が停まる分、車体や制御の開発が大変になるのでは?

「そちらの比率はあがりますよね。ただ、エンジンが決まると、今度は何をやるかということもクリアになるので、目標や課題はよりシンプルになる。エンジンもやりながら、車体も制御も、となると、良く行っているときはいいんですが、ときどき『アレ?』って思ったときに、『戻ろうか?』『エッ、どこまで?』ということにもなりかねない。自分たちの歩いてきた道がわからないと、戻りようがないんです。
 開発って、必ず順調にはいかないものなんですよ。一歩進んでも半歩戻りながら、進んでいく方角をぶれないようにする。エンジンが決まると、何か間違いがあっても捜しやすいし、リカバリーも早くなる、と思っています」

―2014年に投入したオープン用マシンRCV1000Rのパフォーマンスは、国分さんから見てどうでしたか?

「開発時に狙っていたパフォーマンスは出せたと思います。ただ、あとから来た他社のオープン車輌と比べると、動力性能に差が出てしまったのは事実ですね。そういう意味では、私を含めてこのプロジェクトに関わった技術者たちは、ちょっと複雑な心境です」

―2015年のオープン用マシンRC213V-RSは、2014年のファクトリーマシンにオープン用ECUソフトを搭載したマシン、という理解でいいのですか?

「ざっくり言うとそうです」

―そしてギアボックスは、シームレスではなくコンベンショナル。

「そうです」

―ギアがシームレスかコンベンショナルかで、パフォーマンスはどれほど違うものですか?

「絶対的な差って、実はすごく小さいんですよ。加速計算やラップタイムでいうと、そんなに大きな差ではない、と我々は思っています。ただ、シームレスの場合はショックが少ないんです。コンベンショナルだと、シフトチェンジの際にどうしてもショックが出ますから、そういう意味では、シームレスだとライダーはスムーズに加速していると感じます。でも、タイム差は、皆さんが考えるほど大きなものではないんです。じゃあ、なぜ採用しているのかというと、二輪車は傾いた状態でシフトチェンジをしなきゃいけない。そのときにマシンを少しでも安定させることができれば、ライダーはどんどん加速していける。それがメリットなんですよ」

―それはタイヤライフにも影響する?

「ライフにはあまり影響しないですね」

―これは空想の質問になりますが、もしもMotoGPのトップライダーがコンベンショナルギアで走り、アベレージクラスのライダーがシームレスで走ったとすれば、コンベンショナルの方が速いですか?

「うん、速いでしょうね。ケーシーにもオープンのバイクをテストしてもらったときもありましたが、コンベンショナルが全然ダメだ、なんていう話は出なかったですから。制御の仕方は多少違うので、そこの感じ方は違ってくるけれども、シームレスから乗り換えて『これは全然乗れないね』とはならない。それは裏を返せば、そんな大きな差はない、とうことです。それくらい細かなところを詰めて行く作業が今のMotoGPの開発だ、ということでもあるのですが」

―制御といえば、2015年は前半戦いっぱいでECUソフトウェアの開発が凍結されます。その影響は?

「大きいでしょうね。でも、決められたことだからそのなかでベストを尽くす、ということですね」

―エンジンの開発凍結と、制御の開発凍結は、影響の大きさが違いますか?

「違いますねえ。メーカーによって制御のやりかたが異なるので、それが統一されるとなると厳しいですよね。エンジンは自分たちの基準に則ってどこまで開発するかを決めればいいから、極端なことを言えば、ある時期までなら何をやってもいいわけです。でも、ECUソフトウェアは『これを使ってください』と与えられるものだから、『これ、気に入らないんだけど』とは言えないじゃないですか」



国分さん

―今後は、他のメーカーと共同でECUソフトを開発していくやりかたになる。

「共同というか、お互いに意見を出し合って、ということですが、意見の合わないところや噛み合わないところも、おそらくは出てくるでしょうね。マシンが異なれば、制御の方法や考え方も当然異なりますから。そこで、いかに自分たちの側に引き寄せるかということも必要になるかもしれませんよね。そんなときこそ、中本(※HRCチーム代表 中本修平氏 編集部注)の出番です(笑)。
 ソフトウェアが決まると、そのソフトではどこが我々のマシンにプラスになるのか、マイナスになる部分があるのか、そのマイナスはゼロまで引き戻すことができるのか、と把握して対処することが必要になってくるでしょうね」

―世界選手権のトップカテゴリーは、メーカーにとって開発競争の場でもありました。それが、エンジンはシーズン中の開発が禁止になり、ECUソフトウェアは共通になり……と、どんどんエンジニアの触れることができる領域は少なくなっています。技術者として、この状況をどう思いますか?

「個人的には、そりゃあ、つまんないし、自由にできた方がいいですよ。ただ、ルールを決めてもらった方がそれに集中できる、という側面もあるので、そこは考えかた次第ともいえます。自由にやらせると差が出てしまい、メーカーはその差を出すために競争をしているんですが、ただ、経済事情などで世の中がそれを許さない方向にも向かっているので、与えられたルールの中で最大限に効率を上げなければならない。そういう意味では、開発のやり方は変わっても競争はなくならないですね」

―ニューマチックバルブを採用し、シームレスギアが導入された今、次のイノベーション、画期的な技術開発は何になるのでしょうか?

「いい質問ですね。考えてます。というか、何かやっていたとしても言えませんけどね(笑)。
 技術とは、ライダーが安全に、速く、安定して走れるようにすべきもので、特にレースの世界においては『ライダーの邪魔をしない』ことも重要になってきているのだろうと思います、制御も含めてね」



国分さん

―その反面、ミラノショーで発表になったRC213V-Sは、コンベンショナルギアでスプリングバルブという話です。MotoGPの現場で使用されている最先端技術は、今後、量産車にどんなふうに反映されていくのか、ということには大きな関心があります。

「そこは、我々が考えていかなければならない点でもあります。たとえば今のレギュレーションでは、ABSやデュアルクラッチはレースで使えないようになっていて、量産車の進んでいる方向とMotoGPのレギュレーションにアンマッチな部分があるのも事実です。だから、レギュレーションの整備も考えないと、量産車と離れていく可能性もあるので、そこを考えるのはメーカーに与えられた使命でしょうから、レギュレーションに関しても提案をしていきたいと思っています。量産車で使える技術はMotoGPで使うことができてもいいだろうし、MotoGPで開発を進めることによって量産車にフィードバックできればさらに望ましいですね」

―Moto3についても聞かせてください。Moto3のファクトリー活動は、今年からですよね。

「厳密に言えば、ファクトリーではないのですけれどもね。Moto3のHondaユーザーに新しいMoto3マシンを供給した、というのが表現としては適切かと思います。ファクトリーとは、少なくとも我々が直接チームを運営することを意味するわけですから」

―ファクトリーマシン、という表現でもない?

「レギュレーションに準じて2014年はMoto3の各チームにNSF250-RWを6台提供しましたが、2015年は12台供給する予定です。そういう意味では、市販レーサーのNSF250Rとは仕様が異なっています。かつて2ストロークの市販レーサーRS250Rに対してキット車のRS250-RWがあった、そのイメージが近いと思います」

―国分さんは、そのMoto3マシンのケアもしていたんですよね。

「今年は、かなりの時間をそれに費やしました。開発のスタートが少し遅かったのですが、開幕にはきっちりと間に合わせて、前半は直接指揮を執っていました。途中からはプロジェクトに渡しましたが、要所要所で現場に出向いていました。だから、Repsol Honda Teamのピットボックスとサテライトチームと、Moto3のピットと、ときどきオープンも覗きに行って、とぐるぐる回ってました」



MOTO3

―Moto3でチャンピオンを獲ったときは、かなりうれしかったのでは?

「半分半分だったんですよ。ライダータイトルを取れたのはよかったけど、コンストラクターは取れなかったですからね。だから、はたしてここで喜んでもいいものかどうか、という気持ちでした。でも、初年度で我々のマシンに乗ったアレックス・マルケスがチャンピオンを獲ってくれたので、ホッとした、というのが正直なところでしたね」

―KTMのマシンと比べて、マシンの戦闘力はどうでしたか?

「シーズン前半は、圧倒的に我々が劣勢でした。開幕戦でアレックス・リンスがポール・ポジションを獲得したのですが、レースではいろんなところが見えてきて、ちょっとこのままではまずいな、これでは上位に行けないかもしれない、という状態だったので、少し開発をてこ入れしました。少しずつ良くなってきたのはシーズン中盤からですね」

―では、いい感じで戦えるようになったのはどのレースからですか?

「カタルーニャで、少しパーツを入れました。それが良かったようで、アレックス・マルケスが独走で勝ってくれたのでホッとしました」

―最終的に、マシンパフォーマンス、性能でKTMに勝ったと思いますか?

「追いついた、同等に近づいたと思います。抜くのは難しいですね」

―では、2014年シーズンを振り返って、国分さんが最も印象に残ったレースは?

「……どうしても負けたレースが記憶に残ってしまうので、そういう意味ではアラゴンのMotoGPですね。あのときは現場にいなかったのですが、パソコンに向かって思わず叫び声をあげましたから。

 でも、いちレースファンとして言うなら、今年はMoto3がすごく面白かったなあ。やってるときは辛かったですけれどもね。開発当事者としてみると、16~17台がトップグループなんて、あんなレースはイヤですよ(笑)。でも、今年はMoto3を観る人が増えて、大勢の人から面白い、と言っていただけたのはうれしいですね。我々としては、独走で勝ってくれたほうが戦略的にもラクなんですけれども、いちレースファンとしての意見なら……、セパンのMoto3レースですかね」



アラゴンGP

―ある意味で、議論を呼んだレースですね。

「いちレースファンとして見るなら、あれはどっちもどっちで、意地の張り合いだったわけですよね。でもあの当時の私は完全にアレックス寄りですから、ちょっとカチンと来てました。でも、周囲から『国分さん、あのライダーは来年Hondaですよね』と言われて『……そうだそうだ』とかね(笑)。ジャック・ミラーのライディングをアグレッシブすぎると批判する人もいるけれど、それに対してアレックスが引かなかったのは、彼なりの意地なんですよ。ぶつかって転ばなくて本当によかったけれども、単純な意地の張り合いですから。18歳のライダーたちにそこまで求めるのはちょっと可哀想かな、とも思う」
(すいません、もう時間です、と広報担当者の声)

―では最後にひとつだけ。国分さんはミック・ドゥーハン時代に車体担当のエンジニアでした。マルク・マルケスとドゥーハンは、ともに圧倒的な強さを見せたライダーですが、両選手の似てるところと違うところは、どんなところでしょう?

「ふたりはキャラクターが全然違いますね。レースに臨む姿勢や、チームに求める雰囲気、マシンに求めるもの等々、ミックはすべてに対してストイックでした。彼の場合は特に、選手生命を脅かす大きな怪我でチャンピオンを逃してしまう苦しいシーズンを経験していますから、それもあってさらにストイックになっていったような気がします。それに対して、マルクの場合は、彼ももちろんストイックなんだけど、とにかくバイクに乗ることを愉しんでいる。どうやら今でも乗るのが愉しいみたいで、愉しいというのはすごいことなんだなあ、ということを改めて彼から学びましたね。ミックの場合は、人に見えないところでひたむきに努力をするタイプですが、マルクは皆を巻き込みながら愉しくやっていく。でも、目指しているところはふたりとも同じなんですよね」



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