MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代、メインカメラマンとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。どんな話?

第40回 バイテンポラ

 
 もう3月も半ばで、ネタ探しに四苦八苦しています。みなさんリクエストありましたらよろしくお願いいたします。でも、覚えていない撮影の方が多いのも事実です。
 今回のお話は、凄ーーく短めです。撮影秘話はほとんどありませんが、よろしければおつきあいください。
 ミスター・バイク1996年6月号の表紙撮影のお話です。1996年6月といえば、NINTENDO64が発売されました。その前月にはSMAPの森くんがオートレーサー転向を決めたそんな時代です。
 表紙になったオブジェは巻頭モノクログラビアで特集されている作品です。担当のおなじみホヤ坊(H下編集部員.注1)が世田谷をバイクでぶらぶらしているときに見つけたらしいのです。バイクパーツを素材にしたオブジェなのでネタになったようです。
 ホヤ坊の感覚というオーダーで撮影した記憶があります。作品を屋外に持ち出しどこかの公園で、ホヤ坊の思い描く世界を撮らされました。たしかジャングルジムにも置いた記憶があるのですがボツになったようです。そのあとでカラス? のオブジェを持って私の自宅の簡易スタジオに向かい、表紙の撮影をしたのです。


巻頭グラビア

巻頭グラビア

巻頭グラビア
巻頭グラビアの「鳥になった鉄の馬です。いい雰囲気だと思いませんか。

 
 この頃、欲しかった8X10(バイテン)カメラ(エイト・バイ・テンの略。8×10インチサイズのフィルムを使ういわゆる大判カメラ。)を手に入れたばかり。手に入れれば使いたくなるのが道理です。「これでポラロイド撮影(今時の人にはチェキといったほうが解るかもしれません)すれば、現像所に持って行く手間がかからないし、すぐに入校できるから」とか「今の世の中、バイテンポラ(8×10カメラで撮影したポラロイド写真)で撮影して入校することが流行なんだよ」とか「編集という時代の最先端を行く者がこの波に乗らないでいいのか? いつやるの、今でしょ!(←もちろん多少盛ってます)」など、思いつくことをベラベラとまくしたてて、いかにバイテンポラが素晴らしいかを必死で説明しホヤ坊を言いくるめて、めでたくバイテンで撮影することになりました。

  
 このバイテンというカメラ、結構デカいんです。ほとんどのみなさんは分からないでしょうから、ちょっと説明します。
 昔の写真館に行ったことがある人ならば、見たことがあると思うのですが、横森良造さんでおなじみのアコーディオン(これも知っている人が少ないかも)の様な蛇腹が付いたカメラです。
 私の持っていたカメラは折りたたみ式で縦横が35×25㎝位、たたむと厚さは8㎝位なのですが、広げると長さは40㎝位にもなります。銀座一の専門店で中古を15万円くらいで購入しました(ちなみにNINTENDO64の発売当時価格は2万5千円でした。安いのか高いのかよく分かりませんが)。

 
 ポラロイドを撮影するためには、専用のフィルムフォルダーに一枚ずつフィルムを入れて、撮影が済むと印画紙に転写するためのプロセッサーという機械に入れて現像をします。私の持っていた機械は電動ではなく手動でハンドルを回すタイプでした。フォルダーが2万円、プロセッサーが10万円、フィルムと印画紙がセットで2万円と、かなりの投資です。お金の話ばかりしているといやらしいですね。でも、カメラマンがいかにお金のかかる商売であるかを知っていただけるかと。

 
 当時、すでにデジタルカメラはありましたが、銀塩(普通のフィルムのカメラのこと)に比べまだまだ画質が劣っていました。写真のデジタル加工はすでにやっていましたが、元画像がフィルムや印画紙ですから、スキャナーで取り込んでデジタル加工したものを出力して入稿していました。だからポジで撮影すると、現像所に入れて上がりをチェックして、スキャニング屋さんに持ち込んで(当時高画質のフィルムスキャナーは100万円単位の高価な機械で、よほどのお金持ちカメラマンじゃないと持っていませんでした)、とかなり手間暇かかりました。しかもスキャン待ちの時間も長く、ひまつぶしにパチンコに行ってさらに大損までするのですからたまりません。ポラ入稿ならばフィルムスキャンにかかる時間と、パチンコでの浪費がなくなったのです。8X10が手に入ったとき、いかにうれしかったか、わかっていただけますでしょうか。



1996年6月号表紙
1996年6月号。巻頭特集はデイトナウィークで撮ったカスタムとP-ZONEのお手軽企画。


大判カメラ
もう使う事もない、といいますか、そろそろ使えるフィルムの入手も困難になりそうなので、何年か前にオークションに出品したところ、なんと22万円で落札されました。※写真はイメージです。


mac
私がマッキントッシュを導入したのは1994年。PM8100が出た年だったと思います。本体85万円。ナナオのモニター60万円、AGFAのスキャナー80万円、フォトショップ2.5が15万円、増設メモリ32MB×2枚で39万円。s信用金庫で250万円借金して買いました。このお話もいずれまた。


1996年6月号
表紙の写真はありませんでしたが、グラビア特集の写真はまるごと残っていました。しかしエトさんの記憶にあったジャングルジムの写真はありませんでした。ホヤ坊もまだまだ新鮮です。

 
 しかしこのカメラで撮影するとなるとこれまた結構な手間がかかります。4X5の4倍の画面サイズです。6ッ切り(ほぼA4サイズ)までの撮影ができます。黒い布をかぶってスクリーンを覗いても、顔が近いとなにも見えないのです。30㎝位離れるとやっと見えるのですが、画面の中心は見えても周辺は暗くて見えないのです。四隅を確認しないと全体像がつかめないので視線を変えるために、1人チューチュートレインのうように体の位置を変えるのです。外から見たらまるで獅子舞です。

  
 この手のカメラは、絞り値を最低でもF22(数字が大きくなればなるほど絞りこむ=ピントの合う奥行きが深くなる)くらい絞らないとピンが甘くなるのです。絞り値を上げるということはかなりの光量が必要になることでもあります。この時はトレペ(トレーシングペーパー)越しに2400Wフルx2台3灯の大光量で撮影しました。ブレーカーは基本契約では最大の紫色(東電の場合は10A赤、15A桃、20A黄、30A緑、40A灰、50A茶、60A紫とブレーカーが色分けされています。あなたのお宅は何アンペア?)なのですが、クイックでストロボをチャージするとブレーカーが飛んでしまうので、必然とスローチャージです。シャッターを切ると、ストロボが「ボワッ」とうなるような感じです。カメラの横でカメハメ波か波動砲を打たれているような感じといえば、かなりオーバーですが、気分的にはそんな感じということです。カメハメ波も波動砲も撃たれたことないからわからないという、超リアリストな人は嫌いです。そんなこというのなら、そもそもそんなものが、現実にあるわけないじゃんと言い返してやります。

  
 今回の被写体は黒く暗く、しかも背景も黒という悪条件で、画面を覗いてもはっきり見えません。ライトをかなり当てないと見えないのです。普通のカメラなら、確認のためポラを切る(ポラロイド撮影をする)のですが、なんてことはできません。なぜならばポラ=本番なのです。そんな無い無い尽くしの中で、ロゴやキャッチコピーが入るであろう位置を考えて構図を決めて撮影したものがこの表紙なのです。かなり苦労した割りには「なんだかよくわからない」という、ああ無常な声が多かったことも、付け加えて今回のお話はここまで。

●注1
社員旅行で行ったフィジーで、浮かれすぎたのか、それとも恋の炎に焼かれたのか、過度の日焼けによって帰国便を待つナンディ国際空港のトイレで失神。同時に失禁してしまったところを空港職員に発見されたようです。そのまま救護室に運ばれ、自力歩行が困難なため、帰りの飛行機はFクラスかCクラスにアップグレードかと、みんなにうらやましがられたのですが、バッタチケットの航空会社がそんなに甘いわけもなく、車いすで普通にYクラスへと運ばれましたとさ、という経験の持ち主(一部噂も混入)。本当の日焼けの原因は注2参照。

●注2
その社員旅行でAn生さん(注3)主催のトローリングに参加したことがことの起こりでした。
「エトーくん、トーローリングしない?」と、栃木ナマリストのAn生さんに誘われました。
「いくらですか?」「4000円だーよ」「えらい安いですね。メキシコでは(注3)2万円でしたよ。大丈夫ですか?」「ダーイジョーブ。D祖神のKさん(現社長)に頼んだんだからダーイジョーブ、ダーイジョーブ。イークよね」「他に誰か誘いました?』「ホーヤ坊と、Hーやし(現BG編集部員)のよーにんだーよ。あーしたハーチ時に集合ーネ」
朝、ロビーに集合して、An生さんに先導され砂浜まで行くと小汚いポンポン船があり、真っ黒に日焼けしたおっさんと小学3年生くらいの子供が乗っていました。
「An生さん。まさかこの船でトローリングじゃないですよね。沖でトローリング船に乗り換えるんですよね」答えが返ってこないのです。聞こえない振りをしているのです。10分ほどして、もう一度An生さんに確認しました。「そろそろ乗り換えの船が来ていい頃だと思うんですが」「じーつはねエトーくん、元気が出るテレビがロケに来ていて、船ぜーーんぶ借りられちゃってこれしかなかったの」「え! 詐欺じゃないですか。トローリングじゃないんですか。このボロ船じゃできないですよ」
それから、20分近く走っていると船がエンジンを止めました。水が澄みきっていて海底がものすごくきれいに見える所でした。ふと脇を見ると、ウミガメが優雅に泳いでいるではありませんか。反対側を見ると今度は真っ黒いウミヘビがにょろにょろ泳いで行きます。珍しいものを見て興奮していると、船のおっさんが直径30㎝位のリールを渡しました。リールには釣り糸と少し大きめの針が付いていました。おっさんはジェスチャーで、これで魚を釣るんですばい、というポーズをします。え? 3人の6つの瞳がAn生さんを非難します。
「何ですかこれ! これでカジキ釣れって言うんですか!!」するとおっさんと子供がいきなり海に飛び込みました。あっけにとられていると、2人揃って手には魚を捕まえているではないですか。船にあがるとすぐさばき出し、切り身をハリにつけろとまたゼスチャーです。餌を獲りに潜っていたのです。こんなに簡単に魚が捕れちゃうんですか? これ以上An生さんを問いつめてもしょうがないのと、簡単に釣れそうな気がして黙々とつりを始めました。
1時間ほど糸をたれていましたが、誰1人として釣る事はできませんでした。釣れるわけないのです。こんなに透明度が高いのだから魚にバレバレです。幸い屋根があり日影で安心していたのですが、南国フィジーをナメてはいけません。半袖、短パンではじわじわ紫外線が当たってくるのです。さらに2時間ほど全く釣れません。場所移動しても釣れません。飽きてきたのでおっさんに、トローリングがしたいと片言の英語とジェスチャーで伝えると、見た目はトローリングに使う竿みたいなものを持ち出してきましたが、このボロ船では無理です。疑似餌もありません。しょうがないので、もう帰ると伝えると、子供がそそくさとリールを回収し、帰途につきました。このままホテルに帰ればただの笑い話ですが、船が疾走しはめると、ホヤ坊は舳先にあぐらをかいて座ったのです。7分の短パンで、タオルを最近の土方のあんちゃんのようにかっこ良く巻き、気分はサブちゃんか、鳥羽一郎だったのでしょう。
やはり日影にいても日焼けしていたようで、部屋に戻ると太ももの皮が引きつった感じで体が熱くなってきました。まずいと思いバスタブに水を溜めて1時間ほど水風呂で冷やしました。ホヤ坊はそのままベッドで眠ってしまい、だんだんに痛みが増して目が覚めたのですが……時すでに遅し。さらなる悲劇がホヤ坊を襲うのです。

注3
フィジー旅行の前年、メキシコでのクジラ観光船ツアー中にたまたまツアーガイドが流した釣り糸にバショウカジキが引っかかり、それを奪って釣り上げたことで自分を一流の釣り師と勘違いしている人。
その船とは別に1人2万円も出して船をチャーターした私と、ホヤ坊とHーやしと馬N崎。午前8時、出航と同時に放出されたホヤ坊によるスイカまじりの大量の撒き餌(注4)につられて来たシイラを、Hーやしと馬N崎が釣り上げました。
が、その後夕方の4時まで海鳥を追いかけながら、釣り糸を垂らしてみましたが、結局何も釣れず。帰港後、An生さんが釣った(と言い張る)魚をごちそうするパーティに誘われたが悔しいから行きませんでした。ちなみにシイラを釣った2人、持って帰ったが始末に困ったらしい。シイラの行方について誰も知りません。

注4
釣りの前日、メキシコのホテルに着くや否や、おなじみI井編集部員が何処からか拾って来た四角い板をテーブルに乗せ、防音のため毛布を引き、瞬時に雀卓を作ってしまったのです(麻雀牌は日本から持参)。その時点から2位抜けで次の日の出航まで打ち続けましたが(注5)、珍しいことに私の一人勝ちでした。負けた腹いせに飯を食わせろという若者達に朝食を振る舞ったのですが、ホヤ坊は負けた悔しさと、時差ぼけで朝からステーキを鬼のように喰らい、仕上げにスイカを大量に摂取してお腹パンパンにして船に乗ったのでした。

注5
メキシコ以降、徹夜麻雀が大流行し、わざわざ日本から小型の卓を持って行き到着から帰国までずーっと麻雀をやっているといういったい何しに海外に行ったんだろう状態となりました。フィジーでも毎晩毎晩徹夜で麻雀。元来嫌いではないホヤ坊は帰国前夜、全身やけど状態の痛みに耐えながらも、麻雀を一晩中打ち続けたのでした……そして翌日の空港で(注1にもどる)。

衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

●webサイト http://www1.bbiq.jp/tailoretoh/site/Welcome.html
●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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