MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代、メインカメラマンとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。どんな話?

第43回 「一刀両断!(記憶が)」

 
 今回の撮影裏話はミスター・バイクBG1988年6月号の刀特集です。今でこそ刀のムックや特集はごろごろありますが、当時はほとんどなかったように思います。まだまだバイクブームが続いており、1988年といえばレーサーレプリカブーム真っ盛り。なのにBGは、時代に背を向け絶版路線まっしぐら。絶版車ブームのきっかけの一端はBGが作ったと言っても間違いではありません。BGの巻頭特集で取り上げた絶版車は、翌月価格が跳ね上がったといわれたくらいです。だったら撮影前に絶版車を買い集め(CBX400Fは30万円台でいいタマゴロゴロありました)、翌月値段がつり上がったら売り払うインサイダー取引を毎月繰り返せば、中古車御殿が建っていたはずなのに。実際、そういうお店もあったとか、なかったとか。そこに触れるのは業界のタブー? ちなみにただの中古車情報誌としとてスタートしたBGを、絶版車誌に育てた初代編集長が現在コラム「順逆無一文」の主筆である小宮山さんです。キリンも「小宮山編集長ならば」ということで東本さんが描いてくれたと漏れ聞いております。寡黙な小宮山さんは編集長席でM1911(のモデルガン。だと思いたい)を磨いていました。

   
 時を1988年に戻します。いつものごとく特集担当のAn生さんから電話がありました。電話のやりとりは何度も再現し、みなさんも飽きたでしょうから編集部での打ち合わせあたりから始めます。なお、An生さんの未だに直らない、採れたての芹よりもあくの強い北関東訛りも、すでに飽き飽きしているでしょうから、最初の一行だけにしておきます。An生ファンのみなさまは脳内変換してお読みください。

 
「エトーくん、こーんどね、かーたなのとーくしゅうやーるんだよ」
「はい。それで、どんな写真を撮るのか考えてますか?」
「そんなこと心配しなくてもダーイジョーブだよ。だはだは」(「だはだは」はAn生さん独得の照れ笑いみたいなものだとお考えください)
「大丈夫じゃないから言っているんですよ。行き当たりばったりはかんべんしてください。簡単でいいですから、こんな感じに撮りたいという絵を書いてくれませんか」

「ちゃんと頭の中で書いたからダーイジョーブだよ。だはだは」
「それじゃCTスキャンしないとわからないじゃないですか!」と、ちょっと言葉を強め、鼻息荒目に言い返しました。
「もう、エトーくんは心配性だな。だはだは。1見開き目はポルシェ(↘語尾下げる)との併走です。次は首都高での走り、そのあとは置きとカスタム。カスタムはY君が撮ってくるからダーイジョーブだよ。だはだは」



1988年6月号
ミスター・バイクBG 1988年6月号。表紙は土屋里織ちゃん。当時、某2ストスポーツでぶいぶい走っていたそうです。今でも乗っているんでしょうか?

 
「あいかわらず大雑把ですね。それは構成じゃないですか。もっと具体的にどんな写真が欲しいのかお願いしますよ。首都高の走りはイメージ出来ますけど、ポルシェとの絡みはどうするんですか。まさかポルシェが通りかかるのを待って撮影なんてことじゃないですよね」
「だはだはだは。そんなわけないでしょ。ダーイジョーブだよ。だはだは。ちゃんとポルシェも手配済みだから。朝イチで首都高の走りを撮って、そのまま中央高速乗って相模湖くらいまで往復してポルシェと絡み撮って、そのあと多摩川に戻って置き撮って、部分を撮って、最後に夜のシーン撮って、おしまい。ちゃんと頭の中で段取りもできてるっていったでしょ。ダーイジョーブだよ。だはだは」と、鼻息も荒く即答でした。
「もう手配も段取りも出来てるんですか? ど、ど、ど、どうしちゃったんですか! 熱でもあるんじゃないですか? なんか落とし穴ありそうな予感がするんですが……」
 いくらなんでも通りがかりのポルシェを待って撮影なんてあるのか? と思うかもしれませんが、前記のように(その一例は第35回を参照)当時の(たぶん今も)An生さんは「人生万事塞翁がAn生。成せば成る成さねば成すまで待たせようカメラマン」方式撮影は当たり前で、奇跡的になんとかしてきた(なってきた)恐ろしい強運の持ち主なのです。だから撮影前に手配済みなんて信じられないことでした。
「あとね、ポルシェはいろんなカット撮ってほしんだ。東本さんが描くための資料にしたいんだって」
「誰が運転するんですか? ちゃんと運転できる人じゃないと撮れませんよ」
「ダーイジョーブだよ。だはだは。刀はひかる(伊勢光。どんな奴かは第27回を参照)、ポルシェはY君(某四輪誌から当社へ里子に出されていた運転だけは上手い人)だから。だはだは」
「首都高もひかるですか?」
「N村くんだよ」
「ロバくんですか? まだ新人でしょ。大丈夫ですか。緊張して無茶しそうだから、張り切らないように言っといてくださいよ。心配だなあ」
「ちゃんと言っておくから、ダーイジョーブだよ。だはだは」
「置きはどうしますか。普通に撮ればいいんですか?」
「バックに新幹線入れたいの。矢みたいにスピード感あふれるように。それを夕景と夜景でかっこよくね」
「ホントに必要なんですか夜景カット、ほんとに使うんでしょうね?」
「そんなことまだ、わからないけど、とりあえず撮っといてくれる」
 出ました。古今東西ほとんどの編集者の口癖「とりあえず撮っとけ」です。たくさん撮らせる人ほどノーアイデアで、ほとんどがボツになります。カメラマン泣かせの一言です。
「……わかりました。じゃあ、首都高→ポルシェ→置きと部分→夕陽→夜景の順ですね。1日で終わらせるとなると時間との戦いですね。前に多摩川の出口のチェーンを閉められて帰れなくなったことがあったじゃないですか。ちゃっちゃっと済ませましょう」
「今の時期は、日の出5時頃だから 4時集合ね」
「早いですね。ロバくんまだ子供で一度寝たらなかなか起きませんよ。遅刻したらアウトですよ。寝坊しないよう編集部に泊めといてください」
「ダーイジョーブだよ。だはだは」



刀特集


刀特殊
モノクロページは刀の解説記事。読み返すと明らかに間違っている記述もちらほら。こういう間違いが、後々一人歩きして(Z2メーターの純正キーホルダーとか)よけいな混乱を招いた訳で。 連載マンガの「キリン」は第18話。ついにポルシェとの死闘が始まります。たまりませんねこのカット。まさに東本先生ワールド満開! ぜひ総天然色で見てみたい。しかし、なぜ違う雑誌に移ってしまっ……ごほごほ。

 
 撮影当日、早朝、編集部に着くとロバくんが「いい~っす」と寝ぼけ眼でいつもの物怖じしないタメ口で挨拶してきました。まったくもってこいつの度胸はハンパではありません。社員旅行で海外に行った時など、普通なら単語を羅列して会話しようとするのですが、「あのさー、朝飯どこで喰うの? ねー教えてよ、どこなの、ねー」と100%日本語とジェスチャーだけで押し切り、なぜだか伝わってしまうのです。人見知りという単語も彼の脳内にはありませんから、誰とでも仲良くなるのですが、これが災いして某大御所先生を激怒させたことがありました。その後始末のため、時の上司がひーひーとかけずり回ったそうですが、ロバくんは「なんで?」と我関せずだったとか。恐ろしいことです。私には絶対出来ないず太さに驚かされました。

 
 そのN村くんがなぜロバと呼ばれるようなったか、それは以前キリン(本物)の撮影をしに多摩動物園に行った時のこと、たまたま目の前に現れたロバの髪型と前日散髪したN村くんの髪型が全く同じで、私が「お前の髪型、ロバと一緒じゃん」と言ったのがそもそもの始まりでした。そのロバくんも今ではすっかり大先生になって、各方面で活躍しています。



刀特集


刀特殊
新幹線とのツーショット。ぜんせん覚えていませんが、構図バッチリじゃないですか? しかもよく見たら夕景は0系で、夜景は2階建てが入っているようですから、当時最新鋭の100系でしょう。ちゃんと撮り分けているじゃないですか。間違いなく偶然でしょうけど。

 そんな寝起きのロバくんに、今日の段取りを説明しました。
「絶対に無茶しないでね。かっこいいポーズだけで十分だからね。ハイエースから右行けとか左行けとか手で合図出すから見落とさないようにね。他の車とかいて移動できないときには絶対無理しちゃダメだよ。回りの状況よく確かめて車線変更ね。無茶しちゃダメだからね。首都高でコケたら、怪我じゃ済まないからね。ハンカチ持った? ちりがみは? お財布落とさないように。行く前にトイレ済ませておいてね」としつこいくらい釘をさしておきました。今でこそあちこちでインプレをばんばん書く大先生ですが、まだ新人でそこらのあんちゃんに毛が生えた程度でしたし、当時は編集部員が誌面に出るとやたら張り切って興奮して、意味もなくカッコつけて、挙げ句にすっ転んでしまうことが多々ありました。特にAn生さんは革ツナギを新調して試乗会に行くと、必ずコケていたような記憶があります。

 
 ここで併走して撮影する時によく使った手の合図の一部を説明しておきます。
 指先を下にして4本指でおいでおいで→カメラの方に近づけ(ちなみに外国人にこれをやるとなぜだか離れていきます)。
 手のひらを相手に向け広げる→停止またはカメラとの間隔を現在位置でキープ。
 手のひらを横にして腕を伸ばし指をちょいちょいと動かす→少しづつ近づけ(この合図を両手で、特に女子に向かってやってはいけません)。
 手のひらを横にして腕を振る→下がれ。
 というように、色々な合図を出してカメラとライダーと位置関係を微妙に修正しながら撮影するのです。
 



刀特集
早起きして、気をもんで、大声張り上げて、イライラさせられて、そんな結構な苦労をして撮った割には、イマイチな仕上がりでしたが、みなさんの感想はいかがでしょうか。努力はいつでも報われるとは限らないのです。

 
 しかし、うまくいかない時もあります。そんな時は大声で叫ぶのですが、ヘルメットをしているし走っているのですから聞こえないことのほうが多いのです。最後の手段は、カメラを構えるのをやめてライダーを凄い目つきで睨むのです。すると何かが伝わるようで、以後スムーズに伝わるようになるのです(ただし、相手によっては以後全く意思が通じなくなることもあります)。
 ライダーには伝わるのですが、困ったことにハイエースを運転するAn生さんに指示するのが実は大変です。後部シートから身を乗り出して撮影しているので(当時は後席シートベルト着用の義務はありませんでした。コンプライアンス的には……でしょうが、それこそ当時はそんなこと誰も考えてもいませんでした)、大声で「An生さん右行ってーーーー、今度左ーーーーっ、スピード落として、聞こえてるーーーっ!!!」と叫んでも風音にかき消されてほとんど聞こえていないのです。あまりに聞こえていないようなので、運転席のすぐ後ろに戻り、目が完全に釣りあがって怒り気味に耳元で「みぎーーっっっっっっ!」と、大声で叫んでしまいましたが、返ってきたのは「ぜんぜんきこえないよ。だはだは」と呑気なものでした。が、言い争っている時間も無いのでキレ気味に「わかりましたもういいです。合図出しますからバックミラー見ていてください」と、こんな具合でしたから、この撮影だけで精根尽きてしまったようで、このあとはまったく記憶に残っていません。

 
 今、改めて写真を見返すと、ああすればよかった、こうすればよかったと反省点ばかりです。しかし、当時はこれが限界(特に精神的に)だったのではないかとも思います。今ならもっと上手に撮れそうな気がしますが、体力的に絶対に無理でしょう。
 中途半端で申しわけないのですが、ほんとにすっぽりと記憶が抜け落ちているので今回はここまで。


刀特集
刀特集のトビラは見開きでど〜ん! こんなにカッコイイ写真なのにポジがまるごと行方不明……とは。

衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

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