■ミュージシャンになるべく
夢抱き上京したバカ編 その1
え〜、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
こんなくだらないコラムを果たして何人が読んでいるのか皆目見当もつかないのだが、今回からは多くの読者(約3人)より要望のあった、『ミュージシャン編』を書いてしまおうじゃんよ。
つーわけで、しばらくバイクの話はほとんど出てこない。「バイク関係のWebだぞ!」とかお怒りの声も出そうだが、まあ皆さんもほんの箸休めのつもりでご一読いただくと良いかと、勝手に進めていくのである。
あれは今から20年チョイ前、当時22歳だったオレは、それまで生まれ育った名古屋で地道にバンド活動をしていたのだが、「プロになるには東京に出ねば!」と一念発起!! 浜田省吾の歌のごとく、ベースギターとボストンバッグを抱え、四年通った大学も中退して、幼なじみがちょうど東京の大学に通っていたのでヤツを頼り、ほとんど家出状態で上京をした。
だが! この時点から波乱は始まっていた!!
ベースギターとボストンバッグと先ほど書いたが、実は作曲用のシンセサイザー(デカイ)も丸ごと一台持っており、右手に重いバッグ、左肩にベースギターを下げ、左手でクソ重いシンセサイザーを持ってヨタヨタ歩くという、とてもカッコ良く単身東京の地を踏む、とはいかない状態で、右も左も分からぬ東京駅に降り立った。
そこでとりあえず、頼りになるのは東京農工大に通っていた幼馴染みのハラダ(実名)のみ(現在は某自動車会社の開発部所属。偉くなったもんだ)。
彼からは事前にこう言われていた。
「昼間はバイト先のカラーズ(その後のオレの人生を狂わせた危険集団編プロ)にいるから、学芸大学の駅まで来て、そこから事務所に電話くれれば迎えにいくよ。夜だったら、たぶん大学にいるから国分寺の駅までJRでおいで。そこで人に聞けば、大学の場所分かるから」
つまり『昼間→カラーズ行き=学芸大学駅』『夜間→東京農工大行き=国分寺駅』となるのだが、これを紙に書かず、うろ覚えでどーにかなると考えて上京したオレがバカだった。
しかも東京に着いた瞬間、人は多すぎだしこれからの人生どーなるのか、など頭の中はオーバーヒート状態。
最終的に夜遅くだったにも関わらず、オレは幼馴染みの言葉を勘違いして電車に乗り込み、なんとか学芸大学駅を目指した(すでに皆さんは大間違いにお気づきだろう)。
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そして午後10時を過ぎた頃、オレは目黒区にある学芸大学駅に到着した。
ベースギターとシンセサイザー、デカいバッグを抱えてもうヘロヘロ。
ここで、弱った脳がさらにこんがらがっていた。
お気づきの通り、ハラダが夜にいると言ったのは東京農工大であり、行くべき駅は国分寺駅。
しかしオレは夜の10時に学芸大学駅にいる。
その理由の一つは単純明快、『学芸大学』という駅名と、『東京農工大』がごっちゃになっていたのだ!(言うまでもなく両者はまったく関連性なし)
しかし、そんなコトすら認識できる知能レベルではなく、また当時は携帯電話なぞまったく無いため、公衆電話をまずは探さなくてはならない。
しかし、これがなかなか無い!
どころか! 電話すべき番号を書いた紙を無くしてしまったのだ!!
どーすんだ、オレ。と、すでに疲れ果てた体にムチ打ち、とりあえず東京農工大まで歩いていけばなんとかなるはずと、駅前にあった交番に、ロン毛にジーパン、ブーツに荷物たっぷりという、怪しさ全開のスタイルで道を聞きに入った。
「すみません。東京農工大に行きたいんですが、どの道を行けばいいんですか?」
「は?」
「いえ、だから東京農工大だってば!」
「何大学だって?」
くうっ、まったく使えねえ公僕野郎だ! 近所の大学くらい覚えとけってんだ!! とイラつくオレを尻目に、オマワリは地図を片手にのたくら調べ、ついに、彼は恐るべき言葉を口にした。
「東京農工大はこの駅じゃないよ」
その瞬間、オレの脳内シナプスがプチプチと一気に繋がっていき、ハラダから教えられていた記憶がフラッシュバックの如く蘇った。
『東京農工大=国分寺駅→夜間』
嗚呼、なんて間違いを……。重い荷物をドッサリと落とし、うなだれるオレ。事情を察してか、オマワリさんはこうなぐさめてくれた。
「お兄さん、気を落とさないで。東京は広いからね。がんばって国分寺まで行きなさい」
生まれて初めて警察のお世話になった(?)22歳の夜。その後オレは、最終電車ギリギリでなんとか国分寺駅に着き、精根尽き果てながらも東京農工大まで歩いてハラダと合流した。
オレの音楽人生、最悪の幕開けである。
(もちろんつづく)
- アッキー加藤