Hi-Compression Column

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衛藤達也

1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。
写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。
フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。
12年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。
小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。

第6回 続々・衛藤達也さん

ギャラリーとか個展とかアトリエとか、そういう分野とは縁がないと思っている方、多いんじゃないでしょうか。それはともかく、バイクのイラストとか写真とかだって立派な芸術です。このコーナーでは、そんなみなさまの作品を紹介させていただくギャラリーです。じっくりとご覧下さいませ。
(12月10日更新)

 先月の撮影秘話も好評でした。アナログ当たり前の昭和カメラマンは編集者の無茶振りと真っ向勝負していたんですね。  今月も再びエト・カメラマンに登場していただきます。
「ネタがないんだろ?」って、失礼な! 
 三十数年の歴史だけは長いミスター・バイク、ネタは山ほどありますが、肝心の語り部がいないし、写真がないだけです(致命的)。


 今月のお話は、悪の化身のような編集者「アンジョー」さんではなく、極悪の権化(=優れた編集者)のI井さんのお話です。
 I井さんは1980年代、今でも語り継がれる多々の伝説の企画を立案をした人です。
 過激(=読む方はおもしろい)な企画はリスクも大きく、実行するフリーライター、カメラマン、バイト、下っ端編集者は、きつい撮影で身体くたくたになり、本が出れば、版元、取次、メーカーさんに怒られたり、読者ちゃんに怒鳴り込まれたり、果てはK察のごやっかいになっちゃった人もと、泣かされた人は数知れず……
 そんな中に、当時駆け出しカメラマンのエトさんもラインアップされていたのでした。
 では、語っていただきましょう。プレイバック1985!(このコーナーの企画意図がちょっと変わってきたような気もしますが……気にしない気にしない。ポクポクポク、チ〜ン)




「初めてだったんです……それなのに……」な話--

画像01

※当時誌面に掲載された写真の原板は発見できませんでしたので、偶然残っていた別カットを。これの方がカッコイイと思いますが



 あれはちょうど、スタジオマンをやめてフリーになった頃,ミスター・バイク編集部に出入りし始めた頃でした。
 1985年7月号の巻頭400cc特集の撮影をした時の話です。
 大田区雪ヶ谷にあった編集部(庭付きの大豪邸。今はでっかいマンションになっている)に朝早く集まり、バイク8台で箱根へ行って撮影をして帰ってくるという話でした。

 まだまだ駆け出し、ミスター・バイクで活躍するあんな方、こんな方々とは、ほとんど面識がありませんでした。しかもどちらかと言えば人見知りのウブな青年(当時は?)だったので……実は、これミスター・バイクの巻頭を一人でまかせられた初めての仕事で、とても緊張していました。

 全員が集合した所で箱根に向けて出発。でも、現地についてから撮影だろうと社用車ハイエースの後部座席のんびりしていたら、助手席のI井さんが振り返り言いました。

「エトー、行きの東名でも撮影するワケ。バンの後ろの戸を開けて撮るワケ」(「〜ワケ」はI井さんの口癖)

 ん? 後ろの戸を開ける!? 

 高速道路の併走撮影でサイドから窓を開けて撮るのならばそんなに怖くないけど、後ろのドア開けて撮るって、なんかの違反になるんじゃない?(ちなみに高速道路での前席シートベルト着用義務化は1985年9月から) 
 いやそれよりもファインダー越しに、被写体に近づこうとうっかり前に出ちゃったりしたら
……落ちて死んじゃうじゃん……
 ふんぞりかえるI井さんとは裏腹に“これは大変だ”と後部に移動、タイダウンを引っ張り出してトビラ前にバッテン状に張って、何度も確認して、たぶん落ちないだろうという張り具合に調整して、準備万端整えました。

 そうやって撮った写真が巻頭特集の扉ページを飾っった←これです。


 この撮影にはちょっとした(その時はちょっとどころの騒ぎではなかったけど)エピソードがあります。信哉さんが前に書いていたので覚えている方もいると思いますが、当事者のカメラマン視点でお話しておきます。



 後部ドアを閉じて、やれやれと思っているとI井さんは
「エトー、トンネルの中で撮るワケ。絶対いるワケ」と何度も繰り返すではないですか。
編集者の命令は絶対。撮らねばならない。さあ、トンネルがきた。失敗は許されない。後部ドアを再び開けて何枚か撮影したそのとき突然、

「ひゅ〜ぅうううううううう〜」

風を切り裂くパトカーのサイレン音が聞こたんです。
赤灯もチカチチと見えたんです。
うわぁヤバい!捕まる。怒られる!!!

→「絶対に必要なワケ」と撮らされた割にどーでもいいような扱いで「殆どカメラマンの見栄」と愛のカケラもないキャプション。さらに名前も誤植って……さすがミスター・バイク
 

 必死の思いで、ホントに死んじゃうんじゃないかという勢いで後部ドアを閉めドキドキしていました。
 そして、撮影できたのはほんの枚数だけ。
 今のデジタルカメラならば、すぐ確認出来きますが、フィルムは現像するまでわからない。
 撮影環境の悪いトンネル内で果たして写っているのか、「絶対必要なワケ」と言われたたのに……小心者(当時は)の私は不安で不安で。でも、もう撮影できない。あきらめるしかなかったんです。

 後でわかったのだが、このとき私が聞いたサイレンは信哉さんが口まねで発した物でした。

 じゃあ、私の見た赤灯は何だったのだろう???

 信哉さんのイタズラは何度も経験することになるのですが、信哉さんの走りを間近で見たのはこれが最初でした。
 信哉さんの乗ったバイクの後輪から白煙が出ていました。なぜ煙が。4サイクルなのに。どーして、なぜなんだ。バイクが壊れてしまったのか。最初は何をやっているのか全くわかりませんでした。
 あとで、聞いて驚いた。ヘーキな顔して 一言。「リアロックさせただけのことよ」
 へ? 何を言っているんだこの人は。リアロック?高速道路で???????これを 聞いてこの人は普通の人ではないと思いましたよ。

 コンプライアンスが叫ばれる今日では、絶対に出来ません。
 まだ信哉さんも私も若かったころの話です。時効ということで、笑って読み飛ばしていただければ……
 みなさんはけしてマネしないでください。    

 なんだかんだで一人異常に疲れた撮影であったことを思い出しました。ふうっ。


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●メール tatsuyaetoh@gmail.com
 


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