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衛藤達也

顔写真
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。12年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。
信哉さん、やはり貴方はすごい人。後編

(2011年7月15日更新)

男らしい表紙の作り方

で、本題の表紙。表紙の打ち合わせということで、近藤編集長と信哉さんに呼び出された。

「あのよー、エトー、“男らしい写真”が表紙になるといいと思ってるんだが」

(この頃、なぜか信哉さんと近藤さんは“男らしい”という言葉に惚れ込んでいたようだ。何かあると“男らしい”を連発していた。特に信哉さんは女性が大好きだが、女々しいという言葉が嫌いとが解った)。

「それでだ、俺様が(信哉様は自分のことをこのように申しておりました)VMAXに跨がり白煙を上げて、ウイリーして、しかも俺様の背中にはデッケー鎖をくくりつけてだな、いかにも発進する寸前。で、横でコンドーさんが発進の合図を男らしく叫んでいる瞬間の写真を表紙にしたい。でだ、オメーできるか?」

出来るかといわれてもあの頃の私は仕事に(特に外ロケで大きいことをすることに生き甲斐を感じていたので)ハ、ハイ。とパブロフの犬状態で返事をした。すでにいくつも大きな外ロケをこなしていたので、どんな感じで写真をどう撮るかの算段はできた。

その1、VMAXがウイリーした一番カッコイイ瞬間を撮る→何回かやればその内何とか一枚位よいのがとれる。

その2、白煙を凄く上げる→スモークを焚く。

その3、そんなことをやっていても怒られない場所を探す→信哉さんの土地で何とかなる。

が、現実問題としてやはり、何度もウイリーとバーンナウトを繰り返すのは効率が悪いしバイクにもよくない。すると機械の天才信哉さんはコロンブスの卵のようなことをのたまった。

「じゃあ、バイクをウイリーのまま固定してその場で白煙が出来る様にバイクをしちまえばいいんだな」

そんなこと出来るんですか?

「俺様に出来ないことはない。もちろん全てではないからな。お前に突っ込まれる前に言っておくが」(その頃のファイヤーロードには、私が信哉さんの言葉にツッコミを入れまくっていたことがよく書かれていたような気がする)。

しかし、ウイリーはどーするのですか?

「それも、考えてきた。多分、大丈夫だ」

なるほど……それは、一般の人には考えつかない仕組みであった。

現場には、信哉さん、近藤さん、私、てご(大分弁でアシスタントをこう言う。一度信哉さんにアシスタントを「今日のてごです」と紹介したら凄くウケて気に入ったのか一時よく使っていた)のTさん(本職はイラストレータ。てごなんていうと、ほんとは怒られる)。

カメラ周りは私一人でこなしていたのでTさんの役目は私のてごではなく、信哉さんのてごとして遠くのほうでがんばっていた。

テスト撮影を含めて、6X7フィルム2本(20カット)を撮った。その内、煙を出して本格的に撮影したのは10カット位だったか。

こうして、信哉さんの天才的なアイデアで、あのとてもかっこのいい男らしい表紙に仕上がったのでした。

あの頃のミスター・バイクには、こういう舞台裏がたくさんありました。

ではまた。思い出したらお話しします。

表紙

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