- 衛藤達也
NUDA! どーだー!(前編)
(2011年11月2日更新)
今回も信哉さんネタです。しかも今まで語られたことのない(と思います)下の写真、ミスター・バイク1987年12月号表紙撮影の裏話です。
スズキのコンセプトモデルNUDAが東京モーターショーに登場したのは1987年。ということは、約四半世紀も前の話ですから、もう時効ですよね、近藤さん。
いつもの場所で、いつもの顔で
また新たな悪巧みが
事の始まりは毎度の事ですが近藤編集長に呼び出された編集部。そしていつもの食堂に呼び出されると、其処には近藤さんと信哉さんがいつものごとく座っておりました。
いつもの場所でいつもの二人。しかし明らかに雰囲気が違っていました。
二人とも凄く何かを警戒して、しかも何か悪巧みを企てようとしている目で私をにらんでました。
『おい、エトー。すぐに、戸を閉めろ!』
あやしい。間違いなくあやしい。
すでに数多くの修羅場を経験し、鍛えられた私のあやしいアンテナはバリ3(もちろん当時はこんな言葉ありません。ケイタイはまだまだ、あってもバカでかい自動車電話の時代です)。また、何か凄い企画を考えている事がひしひしと伝わってきました。
『誰かに聞かれたらまずいから、早く戸を閉めてすわれ』
近藤さんが叫びました。そんな大きな声出したら誰か来ちゃうんじゃ……座るやいなや急に小声でささやきました。
『そろそろ、モーターショーだな』
「ハ、ハイ……」
ん、んん……そうか、またまた2年に一度の撮影地獄の季節がやってきたのか。
毎度の事ですが、モーターショーのプレスディは月末。という事は6日発売のミスター・バイクは締め切りを軽くぶっちぎった状態です。
2年に一度の超ビッグイベントを翌月まわしに出来るはずもなく、中国の新幹線(もどき)もびっくりの超特急進行でムリヤリぶち込むというパターンが恒例でした。
一日ですべてのバイクを撮影して、すぐ現像所に持ち込んで上がりを待って(まだデジカメではなく銀塩ですから)、すかさず印刷所にぶち込む荒技をやるのか。
ちょろちょろっといやな汗が出てきます。こういうドタバタ仕事より、じっくり構えてじっくり撮影するのが好きなんですよ、ほんと。
それにも増してイヤーな予感。
『あのよう、エトー。今度な、スズキがモーターショーに出すコンセプトマシン。これ、スッゲーかっこいいんだよなー。でだ、信哉を横に立たせて撮影して表紙に使おうと思うのだ』
なんだそんなことか。それならじっくり構えて撮影できる。ほかに問題でも?
『でも、信哉が横に立ってるの撮っておもしろいか?』
「んんん……まあ、普通ですよね」
すると信哉さんが、にゅーっと身を乗り出して言いました。
『どおだい、俺様が跨がるってーのは!』
「跨るっ……いくら何でも、跨るの無理に決まってるじゃないですか。だってコンセプトマシンですよ。モックアップでしょ。壊れたらどーすんですか。メーカーの人に怒られますよ。僕知りませんよ、何かあっても」
ところで、私は、今でも僕という言葉をちょくちょく使うのですが、信哉さんにこの「僕」を突っ込まれました。
『僕ちゃんかよ、オメーいつまでもガキみてーだな』
「私のいう僕は、ボクはボクでも下僕の僕ですよ。つまり、信哉さんを敬って使っているのです」と返しました。もう、そのくらいのことは出来る関係? になっていたのです。
信哉さんは凄くうれしそうな顔をしていました。そーいえば、信哉さん、手下とか奴隷とかいう言葉が好きだったなあ……。
話がそれちゃいました。
すると近藤さんがニヤニヤしながらのたまいました。
『実はな、エトー、スズキに電話したらOKくれたんだよ。ミスターだけってな。言ってみるもんだよな』
え? そんなことあるんですか?? あっけにとられていると、急に早口になりマシンガンのように続けました。
『でだ、これはここだけの話だからな。他社は無論、うちの編集部員にも話すなよ。絶対秘密厳守! 撮影時間は15分。搬入日してセッティングが終わればOKのようだ。無論他社も来ているから気づかれないうちにちゃっちゃと終わらせろ』
「どうせ撮るならきっちりライト組みたいのですが。いいですか?」
『それは大丈夫だろ。セットできる様に頼んでみるわ。でもな、いいか、セット組むのはいいが、機材を倒して傷を付けるようなことはするなよ』
なんだかおもしろいことになってきました。
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