Hi-Compression Column

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衛藤達也

顔写真
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。12年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。
NUDA! どーだー!(後編)

(2011年12月2日更新)

その瞬間、会場にざわめきが

撮影日前日。またまた例の食堂に呼び出され、詳細に作戦会議をしました。

『エトー、ライトセットの件はOK出た。でも、あまり大掛かりにはするなよ。トレペ(トレーシングペーパー=ストロボの光をやわらかくしたり、均一に回り込ませたりするために使う)とかは張れないからな』

「わっ、わかりました」

『じゃあ、段取りを話すぞ。カメラセッティングが終わったらマシンの単体を撮影をする。多分、回転台に載っているからいろんな角度に回してもらって、部分も同時に撮る。そして最後に信哉が跨がる位置にもどす。その時間帯はうちだけの撮影時間になっているので他社は終わるまで来ないだろう。もし来ちゃったら丁重にごまかして何処かに行ってもらう。これは、エトーお前の仕事だからな。カメラマン同士なら何とかごまかせるだろ?』

「……でも、JPさんやらの大御所カメラマンが来たら……僕には無理ですよ。ここは近藤さんにお願いします」

『JPか、しょーがねえな。わかったよ。で、信哉の出番だ。スキを見てぱっと跨りさっと撮る』

「もし他社に見られたら、どーするんですか?」

『ミスター・バイクが、スズキさんが知らないうちに勝手に跨がって勝手に撮った。これはもうたいへんけしからん! ということになる』

『なるほどな、じゃあ、俺様が悪者になるって訳だ。ふーん』

『なっ、頼むよ信哉。なっ、なっ、男だろ』

『おっ、おうっ!』

信哉さんは男という言葉に滅法弱いのを知ってか、さすがは古ダヌキ(と言われているらしいです。私が言ったんじゃないですよ、近藤さん)、近藤さんがうまく丸め込んだ様に見えました。


当日。搬入は朝から始まっているのですがセットが出来上がるのは夕方以降らしくかなり長い間待ちました。信哉さんは早くから撮影用衣装であるバトルスーツを着て待機していました。記憶では朝からずっと着ていました。そういう人なんです信哉さんは。

モーターショー
NUDA真正面!

そろそろ仕上げが終わりそうだという頃、いよいよNUDAとご対面。でも、これから始まる大仕事を前に、第一印象はそれほど残っていません。

さっそく機材のセットを開始します。が、二輪雑誌業界は大概が機動力のあるクリップオンストロボが主流で、大型ストロボを使っての撮影はスタジオ以外ほとんどやりません。ストロボ用の傘を広げてスタンドを作り始めると他社のカメラマンが、なにがはじまるんだ? またミスター・バイクがなんかやらかすんじゃないか?? と寄って来ちゃいました。

物珍しそうにストロボを見て「今日は何やるの?」と興味津々。

私は、時間がない! 忙しいんだ!! 的な光線を最大限に発射しながら、10倍増しの忙しさで機材をいじっくりまわし、同期や後輩カメラマンには「ごにゃごにゃ」と適当にごまかし、「ほんと時間ないから、ごめん!」ととどめを刺して退散させることに成功しました。心配した大御所カメラマンは搬入日には現れず一安心でした。

カメラマンはなんとかごまかせたものの好奇心の塊である他社の記者は、その横でバトルスーツを着て立っている信哉さんを見逃しません。

『なぜ、搬入日にバトルスーツを着ているの?』

じろりと記者を見据え信哉さんは『今日はバイクで来たからこの格好なんだ』と、なんで当たり前の質問をするというように堂々と答えました。

そうこうするうちにOKが出て撮影が始まります。信哉さんは近くでコンセプトマシンを見て、この角度で撮れ、この部分を撮れと指示してくれます。端から見れば、厳つい服を着た人が撮影指示を出しているのがとても不思議な光景に見えたことでしょう。

とはいえ、ありきたりな撮影風景。まさかこの後、厳つい服を着た人がとんでもない事をしてしまうとは、誰一人思いもしなかったはず。

ラスト5分、ミスター・バイクの独占時間だから撮影できないなと他社さんが去ったスキを見計らい近藤さんが吠えました。

『エトー、いいぞ。スズキの人もいなくなったぞ。やっちゃえ!』

ポラはすでに切ってあるので露出もOK。小心者の私はドキドキなのに、信哉さんはゆっくりと展示台に上がってきました。

そして何気なくマシンの横に立ちポーズを決めます。周りにいた数人は、その光景をぼーっと見ていました。

遠くから『何だこいつ。何やってんだ』『そんなとこに上がったらいけないんだぞ』『あーあ、すごく怒られるよ』そんな視線を感じます。

信哉さんはスローモーションのようにゆっくり自然にコンセプトマシンに跨がったのです。

その瞬間、あっ! という声にならない声をを背中に感じつつシャッターを切りました。

モーターショー
資料管理能力がゼロに等しいMB編集部になんと、当時の写真が残っていたとは。誌面では使わなかった未公開カットを四半世紀を超えて初公開。信哉さん若っ!

『オイオイいいのかよ』『大丈夫なの』『もっとまずい事をしてるぞ』『スズキさーん勝手に大変な事やってますよ。いいんですかー』

次第にざわめきが広がる頃、『エトー、もういい。大丈夫だろ。終わろうぜ』、絶妙のタイミングで近藤さんがOKを出します。

モーターショー
これも未公開カット。余裕の信哉さんに対して、シャッター切るほうはドキドキ。

信哉さんもシールド越しに目で『OKか?』と尋ねます。

「OKです。大丈夫です」と言うと同時に近藤さんが友達の輪の合図を信哉さんに送りました。信哉さんは、何事もなかった様にNUDAから降りました。

強盗だって帰り道は怖いと言います。信哉さんは強盗ではありませんが普通なら、大あわてで降りてくるのに、なんて信哉さんは男らしいのだろうと再び感心しました。


大抵のことをやっても、もはや驚かれないのがミスター・バイクでしたが、1987年12月号が出た時、一番驚いたのは他社のみなさんだったのではないでしょうか。


当時のミスター・バイクだからできたのであろうこの撮影。近藤さんと信哉さんの企画力と行動力はすごいものがありました。

今ですか? あの頃とはあまりにも環境が違います……同じ土俵で比べちゃいけないほど……でも、きっとまた、なんかやらかしてくれるに違いない。そう信じています。

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