Hi-Compression Column

バイクの英語

今月の一言

“get the baby a new bonnet”

(ゲット・ザ・ベイビー・ア・ニュー・ボネット)


(2011年2月24日更新)


 誌面があった時から数えて、今回が52回目になるみたいです「バイクの英語」。
 最初は「トンコツ大盛ニンニクビタビタ! を英訳して」と発注されたコラムですが、なんだかこんな感じにおちついちゃいましたね。
 いつもの読者さんありがとうございます。
 でも今月はちょっと展開が違う? かな?


タイガーマスク世代では全然ないので、「伊達直人」って言われても全然ぴんと来ない。

なにやらプロレス? の話で? 本名が伊達さんで? 普段はトラの格好をしていて? 恵まれない子供に優しかった? とかいう話なんですか? 不勉強ですみません。若くてすみません。

そんな話に引っ掛けて、全国の児童養護施設にランドセルやら文房具やらおもちゃやら色々と届いているそうですね。伊達直人って名乗って。

いいじゃんすか、いい話じゃんすか。

しかもこれを真似て、こういった寄付が相次いでるんですってね。

悪い事も連鎖しますが、こういった善意が連鎖するって素晴らしい!

ところが、僕は驚くのですが、週刊誌や新聞、そして新聞の投稿欄などでこの行為を「愉快犯」などという人がいるんです。

愉快犯ってウィキペディアによると
「愉快犯(ゆかいはん)とは、人(社会)を恐慌におとしめて、その醜態や慌てふためく様子を陰から観察する・あるいは想像して喜ぶ行為を指す。その行為が法に抵触するか否か、するとすればどの法に抵触するかは、実行した行為による」
  なんですって! へぇ、こういった行為をそういう風に受け取る人もいるんですねぇ。

中には、「普段から寄付活動やボランティア活動をしている人もいるのに、こういった思いつき行動の人がクローズアップされるなんて」という意見もあるけれど、日常的にそういうことをしている人はクローズアップされたいのかしら……。

どうも伊達直人とその行為がメディアに取り上げられていることに対するヤッカミ感がぬぐえないなぁ。

一方で施設職員からは、「ランドセルとかもいいけど、実際には必要なかったりする。できれば現金が欲しい」という超現実的な意見があったり、他にも「物を送ってくれるのも大変ありがたいけれど、施設の子供たちはその送ってくれた人と触れ合いたいのだから、タイガーマスクがしたように実際に触れ合って欲しい」という意見もあるそうです。

後者はごもっとも。前者もまたごもっともでしょう。

特に前者はね、今の時代モノは溢れていて、「物を持っていることが貧困」という名言も最近耳にしました。

確かに、クリスマスプレゼントとか何が欲しいって言われても何もほしくない……。

ポテトチップスがいいな、とか、ビールの6缶パックがいいな、なんていう、食べ物ばかりが思い浮かんじゃう。

永く残るモノとか、使うモノって趣向がピンポイントになってきているから、本当に欲しかったものと微妙に違うものをもらったりしちゃうと困っちゃう。

もらった手前、転売したり他の人にあげちゃったり捨てちゃったりってのは難しいですからね……。

やっぱり現金なのかなぁ。あ、いや、大きいもので欲しいのはありますよ。

例えばクロスプレーンのYZF-R1が欲しいとかね。GSX-Rでもイイヨ、とかね。

でもなかなかクリスマスプレゼントにもらえるものじゃないし、GSX-Rでも「K4がいい」「K1はイヤダ」とかあるじゃない……。

そう考えるとランドセルや文房具だって、もちろんもらって喜ばれるものが多いとは思うけれど、どっちかって言うと現金なのかもしれないなぁ。



[第7回“Gungy”]
[第8回“get the baby a new bonnet”]
[第9回“off the top of my haed”]
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なんでこんな話を書くかって、筆者は大学時代の4年間、地域の児童養護施設に毎週ボランティアに行ってたんですね。

実は僕も中学校から大学卒業まで10年間、寮で生活してきているので共同生活に対して抵抗はなかったのですが、この子供たちと絶対的に違うのは好きでしてるのかそうじゃないかでしょう。

たまにそこの子達に街で会う事もあったのですが、賽銭泥棒をしたりしていて驚いたことがあります。

衣食住は揃ってるけど、そうじゃないちょっとしたお金が欲しかったんですね。

会うとちょっとぐらいお小遣いをあげるようにしてましたが、彼らには甘えてお小遣いをもらう相手もいないのだな、と感じた次第です。

そんな経験を思い出すと、やっぱりランドセルじゃないのかもしれない。

「おっす~!」とたまに施設に現れて、そして街であえばお小遣いをくれるような、そんな「親戚のオッチャン」的な存在が欲しいのかもしれないな。

そうなると、先述の「後者の方」、「触れ合って欲しい」というのも正解でしょう。

ともかく、この伊達直人ハヤリは色んな見方があるだろうけど、やっぱりステキなことでしょう。

善意ばかりで、多少のエゴはあったとしても悪意はないですもの。

こんな行為をするのがバイク乗りだったらいいなぁ、なんて思ってます。

……長い前置きになりました。

こんな調子じゃあいつまでも
Get the baby a new bonnet
できないぜ!

   ※    ※    ※


「Bonnet」とは車のボンネットではなく、欧米の赤ちゃんがかぶってる帽子です。

ヒラヒラふわふわのものが多く、「大草原の小さな家」なんかに出てくるイメージのアレですね。

田舎のおばぁちゃんが畑で農作業してる時にかぶってる、ツバがついてるけど首周りもすっぽりと被う帽子に似てるかな? あんな形状をしているのは、昔はベビーカーなどなく、赤ちゃんはカゴに入れて持ち運んだわけでして、まずは日差しから赤ちゃんの頭を守ること、そして当初はガーゼ生地でできていて、汗を拭いたりよだれを拭いたりするにも使ったそうです。

また、当時は帽子だけではなく前カケ的な機能も併せ持っていたようで、食事の際には食べ物で汚れることも多かったのです。

こういった使い方をされていたBonnet、現在のファッションアイテムとしての使われ方ではなかったため当時はかなりの消耗品で、オムツと同様複数枚を常備しておくものだったのですね。

よってオムツと同様に入手もしやすく、安価なベビー用品でした。

「get the baby a new bonnet」とは「赤ちゃんに新しいボネットを買ってあげる」という意味です。

使い方としては、男連中が仕事を長時間サボった後の「さぁ、こんなにサボってちゃあ日が暮れちゃうぜ!」といった場面ですね。

「こんなにサボってちゃあ赤ちゃんに新しいボネットを買う金すら稼げねぇ」という意味です。

この使い方をきっかけに、ノンビリした状況、もしくはダラダラと続いてきた状況から「さぁ!やるぞ!」と気持ちを切り替える時に、掛け声的に使います。

そうですね、冒頭で筆者が、正解のない伊達直人議論をダラダラと述べたような、そんな状況から心機一転! 真面目に「バイクの英語」を始めましょうか、と「よし、This isn’t getting the baby a new bonnet」と言ったようにね。

この語源は、とか、諸説ありますが、とか、そういったいつもの流れはありませんでした。

しかも今回の言い回し、長くて日常的に使えません。

ていうか、日常的に英語を使わないために忘れつつある筆者は、たまにこの言い回しを使うときは大抵カミます。

よってあまりオススメできないですね!

来月はもっと簡単なのをやりまーす。




エルブ・もう・あの
バイクの英語
色んなゲストが行ったりきたりして書いてくれる当コラムですが、誰もいないときに「もう、あの、誰もいないんですか?」と控えめなストーリーを書く担当。実は過去52回中43回ぐらいを担当しているのだ。一本書き終わると次号でやろうという言い回しを思いつくのに、次に書く機会には忘れてしまってる。書き留めてもその紙をなくしてしまってる日陰ライター。


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