一般的に見て、日本の人々は外国の文化、外国の人に対して免疫が少ないようだと日々感じています。
全くの初対面、「こんにちは、いい天気で」の挨拶の直後に「なに人?」と聞く無神経さ。
「いや、まぁ、アメリカです。で、やっぱりインジェクションになったCBR929RRはサイコーすか?」なんて話をそらそうとしてるにもかかわらず、「産まれは? なんでそんな日本語できるの?」と矢継ぎ早に追質問。
「もう長いですから……。フロントが17インチになって、タイヤ選べるからいいですねぇ」と軌道修正を試みるけど全く無意味。
「両親のどっちかは日本人でしょ。どっちが外人?」。
日本に来てから何度も聞かれてる質問にいい加減ウンザリ。
「母が」なんていかにもつまらなそうに答えても、そういう無礼な人は引き下がらないですよ。
「お父さんの産まれは?」
「英語できる?」
「やっぱり外人の方が恋愛対象?」
「あ、結婚してるんだ。相手はジャパニーズ?」
またこういう無神経な野郎はなぜか国籍をカタカナで言いたがる……。カッコいいとでも思ってるのか。
「いや、親父は米軍の海兵隊だったようで湾岸戦争で死んだそうです。
お袋は売春婦だったので顔も知りません。
僕は施設で育っていますので英語は喋れません。
そろそろアナタの929について話してもいいですか」
と、あまりにしつこい場合は実際にいる僕の友達の話を自分のことだと偽って話します。
その友達はこういう無礼な人をどうかわしているのだろう……。
だいたい、初対面の人に「アンタは新潟出身?」とか聞かないじゃん。ましてや相手がその話題を明らかに嫌がってたら、話題かえるじゃん。
そういった普通のやり取りのマナーがね、外人ってなると一気に吹っ飛ぶ。外人にワビサビは必要ないと思っちゃうんだろうね。
まぁ、こういうやり取りはいくらでもしてきたから、その時の思いつきでいくらでも話を作ってます。
「母はイタリア人なのですが、シシリー出身なので本当の意味ではイタリアンではなく、シチリアンですね。
しかしその前の世代はスペインのアンダルシアから来てるので、なかなかそのルーツは複雑です。
国籍だけでいえばイタリアンということで間違いありませんけど……。
父はモロッコの出ですが、その父、私の祖父にあたる人物はフランスからモロッコに移住した遺跡関係の研究員でした。
よって白人なのですがモロッコ国籍を取得しているのでこちらもなかなか複雑な生い立ちを持っています。
2世となった私の父と、母の二人が出会ったのがギニアで、あ、これはニューギニアではなくいわゆるオールドギニアですね、すぐに僕が生まれました。
生まれたのがギニアで、父がモロッカン、母がイタリアンだったのですが、父は息子にはモロッコではなく、将来はヨーロッパを軸に活躍して欲しいと考え、僕に当初フランス国籍を取得させようとしましたが認められず、母のイタリア国籍となりました。
しかし歴史が旧く、国籍よりも血筋を重んずるシシリーの親戚筋にはそんなことは認めてもらえず、結局イタリアに住むことはありませんでした。
その後両親は離婚して、母方の祖母のつながりでトルコに流れ、親日であるトルコから日本へと来ることになるのですが、まぁ、長い話なんです。
僕ですか? 今はアメリカ国籍ですよ」
……全てウソですが、相手にとっては別に本当でもウソでも関係ないですもの。
夜のビールの時に「今日モロッカン・イタリアン・シシリアン・フレンチ・ターキッシュ・アメリケンなジャパニーズに会ったんだぜ」って言いたいだけなんだから、なるべく多くの横文字の国名を発してあげればいいんです。旧い方のギニアがどこかって? 知らないよ、そんなこと。
もう一つのパターンは、
「アメリカ人です。両親とも。ミルウォーキーで産まれました。日本語は10歳から習ってますので、おかげさまで不自由なく喋ることができています」
などと言う場合。めんどくさい相手にはサッサとね。
さらに早く片付けたい時は、突然
「Sorry, I can’t speak Japanese」
と英語で話しはじめて日本語ができないフリをします。
いずれの対応をするにせよ、本心はなるべく相手にしたくない。
だって自分の家族構成や生い立ちなんてペラペラ喋るものじゃないし、家庭ってのは複雑だから知り合って間もない人に対して詳しく聞くのも失礼だと思うからね。
なるべく効率よく。なるべく簡単に。
Cut the Mustard
Cut the Mustard とは、そういう意味です。簡潔に、簡単にことを済ませる。もしくは事柄を片付けるのが容易な様ですね。
マスタードを切る行為が、なぜそういう意味になったのか……想像しにくいですが、諸説ある中から有力なものを一つ。
※ ※ ※
マスタードの起源はローマの時代だと言われている。
ヨーロッパに紅茶やコショウなど、様々な文化をもたらした大航海時代以前、シルクロードを行き来した行商人が中東・シリア付近で栽培されていたカラシ菜の種子を持ち帰り、それを当時のローマ人が好んで食べるようになったとされている。
このカラシ菜は東西で人気となり、西洋ではその種子をすりつぶして使い、東洋では葉の部分を薬味として使うようになる。
すでにヨーロッパを征服し終えていたローマは、戦争から解放されて食文化も発達してきていた。
中東から持ち込まれたカラシの種子をどう使うか、趣向を凝らして料理に生かしたそうだ。
当初から葉ではなく種子を使用したローマ人だが、この種子はなかなか固く、これを潰す作業は男の作業員による力仕事だった。
これは当初のアイロンと同様、重い、鉄の道具により衣類をプレスしていくように、やはり重い道具で硬く、そして小さくて潰しにくいカラシの種子を一生懸命に潰していたのだ。
そして当時のカラシは貴重品だったため、この作業に当たる作業員は誇りを持ってこの重労働に臨んでいた。
ローマ時代のおかげでヨーロッパ中にカラシを食す文化が浸透したが、その後のローマの衰退とともに、カラシを重視する文化はドイツの方へと移っていく。
ドイツのソーセージに代表される様々な肉料理にカラシがよく合う、と、多種類の種子を混ぜ合わせてオリジナルのマスタードがたくさん生まれることになった。
しかしこの時代はまだ手作業によるカラシの種子つぶしが主流で、まだまだ一般家庭に浸透するものではない。
様々なブレンドを重ねることでオリジナルの味を作り出していく紅茶の愛好家のように、一部の高貴な人たちによる趣味と言える存在であった。
この風潮を転換させて、マスタードをヨーロッパ全土、そして世界へと広めたのはイギリス人だった。
イギリスの淡白な料理にとって香辛料は必須である。大陸で流行っているマスタードを何とかイギリスで、大衆に広めることはできないか。そこで発明されたのが、カラシを粉末にする技術だった。
カラシ種子には油分が多く含まれるため粉末にすることは難しいとされていたが、この技術の確立によりマスタードは広く浸透するようになるのである。
今までは高貴な香辛料として扱われ、かつその製造に関わっていた男連中はそれにプライドを持っていたマスタード作りだが、機械化によりこれら男連中は突然無職となる。
これを面白がったのが世間の主婦たちだ。というのも、この技術を確立した人が女性だったこともあり、今まではカラシ製造に関わっていたことを鼻にかけていたイケスカない男どもに対して「カラシを潰すのがそんなにすごいか! 女性が粉末技術を確立したおかげで浸透したじゃないか。アンタがいくらプライドを持ったって、家にカラシを持って帰ってきたことはないじゃないか」とやり返したのだ。
以来、女性の力を再確認する時、そして時にプライドばかり高くて役には立たない男どもを小バカにするときに「カラシを潰すのは大変ですねぇ」とヒソヒソと言い合い、クスクスを笑ったそうだ。
※ ※ ※
昔は大変な作業だったものが、今は(女性の発明のおかげで)簡単になった。それを語源に、Cut the Mustardは簡単・効率的・容易・スピーディ、などという意味で使われるようになったんです。
マスタードそのものを切る行為ではなく、マスタードの種子を潰す行為、そして種子からマスタードを作り出す行為を指しているわけですね。
コトがはかどる様。
スコップの穴掘りに対して、ショベルカーの導入。
ロングツーリングにあたり、エイプ50ではなくGL1800を選ぶ。
「That will cut the Mustard!」
(そりゃ効率的だ!)
と言いましょう。
- ミセス・クレメンツ