「断捨離」
(2011.10.21更新)
「断捨離」なる行動が女性を中心に流行っているらしい。
断捨離とはヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。
単なる片づけとは一線を引くという。
●断=入ってくる要らない物を断つ
●捨=家にずっとある要らない物を捨てる
●離=物への執着から離れる
(以上、wikipedia)
景気が悪くなると考え方がマイナス指向になり、これまでにも景気が悪化すると「節約生活のススメ」やら「清貧の思想」といった摂生術の本がベストセラーになったりしました。
今年の春以降は、大震災と放射能汚染の拡大で精神的にまいっている人も多いようです。
マァ、景気が悪くなったのは平成に入ってずーーっとですし、国家の成熟と産業空洞化と軽量化の余波で少子化なのに就職難だったり、本屋もバイク屋も少なくなって、本は立ち読みで済ませ、あとはネットで情報収集なんてのが当り前になりまして、さらには情報の発信も出来ますし、パソコン通信→ホームページのBBS→2ちゃん→mixi→今どきはツィッターで24時間大サワギ。今ではケータイが生活の大部分にまで浸透して、21世紀を謳歌しています。
花札やパチンコやタバコやバイクやクルマでは無く、重度のケータイ依存なんですね。
情報は瞬時に伝わり、拡散されてしまうので政治家の世間話が失言騒ぎになって辞任を余儀なくさせられたり、「そういう時代じゃない」「盆栽のようなバイク」てな日本国内市場での正論も1次情報から大きく離れてキーワードが独り歩きするし、個人がいちいち噛み付いてコメント出すしで賑わって、アッという間に消費されて忘れ去られるようです。ネットの発信者って正体隠して遊んでるだけなんですけどね。
んで、不景気のほうは先の大震災でトドメを刺され、さらには円高も進み、ユーロも半端無くボロボロになり、上昇指向もエリート階段も液状化でパァ。そのあとで断捨離に出会った方も多いのでしょう。
断捨離は過去の精算にはうってつけですし、物欲も性欲もテキトーに抑えられます。
バイクはジャマ、コケると死ぬで、クルマはエンドレスの借金だ、円高の余波で大衆を踊らせて儲けたのは過去のハナシだ、巨乳と肉食女子の増加は米国産牛肉の飼料へのホルモン剤添加が原因だ(?)なんてこともバッサリと捨てちゃいましょう!
こうして整理されたモノは、結局はヤフオクで救済されてウチにもやってきます。
26年前のTY250Rのリアフェンダーが割れちゃったので探していたら、同じぐらいの値段で部品取り用の実動車が出ていたので買っちゃいましたよ。
その方も部品を剥ぎ取ったあとだそうで、スプロケットやフロントホイールはTY250Sスコティッシュのものが装着されていたりでしたが、よく見ればKATOのサイレンサー付きであったりで結局は安価に購入できたワケでして、まさしく捨てる神あれば拾う神あり。群馬県まで引き取りに行って道中を楽しみ、売り主とは別の話題で盛り上がりで両者ともに満足でした。
■ハラ キュウゾウ
- 秋の陽はつるべ落とし。日没が早くなりましたので日中の活動時間はかなり減少しています。えっ? 井戸もなければ釣瓶もないって? 野暮ですなぁ。これから紅葉ですけど線量高いので裏山トライアルで汗流すか。
元々は、イイモノを買うのがスジなんです。代用品とかコピー品、安売り品はすぐに壊れるか飽きられるので、流行に大きく左右されないモノを選ぶ。背伸びして男の60回ローンでもなんでもいいから手に入れる。
そこから先は個人の才覚でして、ドレスアップや改良やメンテナンスを施し、消耗品は定期的に交換。レーサーなら酷使してやったほうがイイ。知らずに愛着が沸いてくるようなモノは、いつしか謎の同居人として定位置を与えられ、盆栽化してもなお存在感を主張します。
悔しいのは、手入れさえ完全ならバイクや盆栽のほうが長生きすること。逆に手入れをしてやらないとすぐに不調になって朽ちていく。
その差は大きいのですが、人が介在してあげることで朽ちて捨てられる運命は遠ざかるワケです。
断捨離もいいですけど、イイモノなら捨てる必要もなく、必要なのは見せびらかしと若気の到りと感違い。書を捨てずに街には出て、経済をまわして行く努力はもっと必要なんですけどね。
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