Hi-Compression Column

真美

原宿ホコテンに突如現れた
思想なき前衛ライダー
「ザ・モヒカンズ」って何だ?
まだまだつづく第2回


第一回では「かくしてワタクシたちは、雨のそぼ降る2月中旬の日曜日原宿ホコテンを歩き出したのだった。」で終わっている。

だから、当然歩き出すところから始めなければならない。

が、書き忘れていたことがあった。歳は取りたくないものだ。

問題の「モヒカン刈り」である。

記憶は至極曖昧だが、たしか笹塚だか幡ヶ谷だかの床屋さんで刈ってもらった。

みんな同じモヒカン刈りじゃ芸がないってんで(芸か?)、それぞれ創意工夫のモヒカンにしてもらった。

ワタクシは、一見フツーの坊主なのだが、後頭部にオシャレ心を発揮して、ひらがなの「し」の字に刈り込んでもらった。

「しょうじ」の「し」なのかどーかも、忘れちゃった。


『ひと群れの髪だけを残して刈りあげた頭、奇抜な化粧。これが「モヒカンズ」のトレードマークだ』

と、1982年4月号13ページの本文冒頭にある。

頭の次は「奇抜な化粧」である。

かすかな記憶を頼ってみる……。そうだ! ちゃんとヘアメイクがいたんだ! 

ちょうど映画『爆裂都市』(石井聰吾監督作品。で、この4月号の表紙を石井監督と出演者の戸井十月さんが飾っている)でヘアメイクを手伝った“ヘアメイクの卵”の女の子が、「きゅあ〜っ! 面白そう!」というんで手伝ってくれたんだった。

口紅塗った。頬紅さした。……ミョーな気になった。


編集部員5人の準備は、何となく整った。気持ちの準備は、また別だけど。

残りの3人の「モヒカンズ」である。

5人じゃ心許ない──ってどーゆー根拠か知らないけど──から予備軍を雇った。若い衆である。

彼等は、『爆裂都市』でガヤをやった男の子たちだ。

「モヒカンは、イヤです」って、俺たちもキミたちも「モヒカンズ」なんですけど!

「その代わり」と、若い衆A君は言うのだった。

「眉毛剃るんならいいっすよ」……。

と、いきなりジョリジョリ剃っちゃった。

怖い、ですね、人間、眉一つで、イヤ二つで、こーも変わるものですね。

写真を見て欲しい。「モヒカンズ」全員集合である。

これを見て、「ああっ! これはあそこじゃん!」と分かるヒトはいるかしらん。

ホンダ本社前である。ま、正確にゆーと、本社脇の駐車場側なんですけど。


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諸事情により写真をクリックしても大きくも小さくもなりません。ざんねんでした。



恥ずかしいから人目のないところで写真を撮ったのだった。情けない。当時ホンダ本社は原宿にあったのだ(現在の京セラ原宿ビル)。

「あのぉ、ミスター・バイクですけどぉ、ちょっと車とバイクを止めさせていただけますかぁ?」

風体に似合わず、低姿勢でお願いした。快く要望を聞いてくださった当時の守衛様、ありがとうございました。


次はファッションだ。イマイチ決まってない、ってことが分かった。って、現地で分かんのかよっ!

ホンダ本社の斜向かいに『チョッパー』があった。クールスのリーダー・ヒデミツさんがやっていたショップだ。

「ヒデミツさん、革ジャンとかアクセサリーとか、貸して」

「どーしたの、その頭」

「いやいや、企画でね、いろいろあんですよ、詳しくはいえないけど、とにかく、何か貸して!」

「好きなの持ってって」

いいヒトだ。いい時代だ。


モヒカン刈り、奇抜な化粧、バイカーらしいファッション──キマった!

「モヒカンズ」は、こうしてできあがった。


本文はこう続く。

『竹の子、ローラーに続いて原宿に出現した第3の族「モヒカンズ」は、今年になって急に、その数が増えだしている。平均年令は28〜29歳。そのほとんどが、職についている。……』

このときワタクシ29歳になるちょっと前でした。職にもついてます、ミスター・バイク編集部員ですけど。


かくしてワタクシたちは、雨のそぼ降る2月中旬の日曜日原宿ホコテンを歩き出したのだった……。


(続く。9月末までには更新する予定です)
東京エディターズ代表取締役社長兼
WEB Mr. Bike代表
『中尾祥司拝。』
中尾祥司
ミスター・バイク誌の創刊からのメンバー(あん時ゃ下働きだったけど)。当初はフリーライターとしての契約だったが、「アイツの一ヶ月のギャラ、高いんじゃないか? 社員にしちまえ!」とゆー、今は亡きボス渡辺の天の声で目出度く正社員に。ちなみに給料は5万円弱だった(あん時ゃツラかった)。それ以前は、某政党の運動員(あん時ゃパクられそーになった)、シロアリ退治業者(あん時ゃ、「奥さん、ホラいましたよ」と用意してたシロアリを見せるよーな汚いマネはしなかった)、新宿ゴールデン街の某バーでバーテンダー(あん時ゃ呑めた、今は下戸……なんでやろ?)、そして「サイナラサイナラ」の淀川長治さんの映画の本を作る手伝いをして編集と関わる(あん時ゃ、「私は嫌いな人に会ったことがない」無垢な青年だった)。とゆーわけで、あん時ゃあーだった、こーだったとゆーハナシをしよう。あ、顔写真で、なんでマスクをかぶっているのかとゆー真相もおいおいに、ね。
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