Hi-Compression Column

あんときの真美

(2011.5.31更新)

前回からの続きである。

高樹 澪さんが『スターどっきりマル秘報告』(フジテレビ)に出演することになった。もちろんドッキリを“仕掛けられる”のだ。

ワタクシたちミスター・バイクが、仕掛け人なのだ。責任重大である。

トーシロのワタクシたちにそんなことが出来るんだろか?

マネジャーのフタバさんは、軽く言うのだった。

「大丈夫ですよ、中尾さんなら。いつもの口八丁手八丁で」

どーゆー意味だろ?

で、古いミスター・バイク誌を探した。

‘83年の春から夏頃だろな、と見当を付けた。

記憶をたどると、たしか寒くはなかった。

‘84年になると、ワタクシはゴーグル編集部に移っていた。

バックナンバーを見りゃ簡単に見るつかるだろう。


……、ところが、どこをどう探せどそんな記事は出てこない。


一緒に仕掛け人となった、当時の編集部員・石井“ワシ”俊也君にメールを出した。

すぐに電話があった。

ヒマなのかしらん? 少し心配になった。

「'83年か'84年ですよ。季節は春先です。間違いないです。ワシ、花粉症でくしゃみしてましたから……。そう言えば、ディレクターさんもくしゃみしてましたねぇ」

だが……、'83年にそんな記事は発見できない。

あっ! ラジマガかもしれない!

当時我が社は、月間『ラジオマガジン』(モーターマガジン社刊)も編集していた。そっちで掲載したのかも……。

石井君から、今度はメールの返信が来た。

“さて、イロイロ思い出してみようとしたのですが・・・サッパリです。
 年齢的に脳細胞のかなりの部分が“死滅”しているみたいで、先の電話で、
「ミスター・バイク」のモノクログラビアだと断言しましたが、それさえも、
 怪しくなってきました。もしか「ラジオマガジン」で掲載したのかも?
 その場合でも、関連記事を「ミスター・バイク」でやってるハズですが・・・
 何故か、ディレクター氏が吊り橋の上でポーズした写真の記憶があります。
 可能性として、どっきり!のついでに、旅っぽい(?)グラビアのページを
「ミスター・バイク」に掲載したかもしれません。そのディレクター氏が、
 やたらと杉の花粉でクシャミしていたので、取材時期は春だったと思います。
 ホント、お役に立てずにスミマセン!”

ってことだ。ホンマやで。

ラジマガ、探すか……。

ところが、我が社にラジオマガジンのバックナンバーが、ない、ない、ない。

ワタクシ、数冊持ってたが、'80〜'81年の創刊当時のものだった。

我が社には、資料関係をきっちり整理してくれる人がいる。小宮山さんと青山君だ。

青山君が写真やカタログ関係を担当している。

小宮山さんは、我が社の製作物の管理──特にほとんどすべての“目次”をファイリングしている。

ワタクシはそれを“地獄の目次録”と呼んでいる。

依頼すると、すぐに目次録が出てきた。

ラジオマガジンだけじゃなく、ミスター・バイク、タルガ、ゴーグルなどなど、定期刊行物から別冊まで、’76年の我が社設立以来の“記録”が、ここにある。

'82年、'83年、ついでに'84年の目次を見る。

それらしきモノも、ない。だけど、懐かしいなぁ……。

が……、‘82年12月号に、高樹 澪の名前が……。

“本誌・中尾 編集者の役得でやった。誌上私情デート”???

なんじゃ、こりゃーーーっ!

“ダンスの相手は、うまく選びたい”がメインタイトル。

情けない……。


ラジマガの編集長は近藤健二さん。'82年12月号を探してもらうことを依頼した。

実は……これこれこーで……、高樹 澪さんのドッキリのね……ミスター・バイクだと思ったんだけど……この'82年12月号の企画は違うと思うんだけど……ラジマガ探してみてくれますぅ?

数時間したら近藤さんから電話。クイックリーなレスポンスだ。有り難い。

「くっだらないページやってたんだな、とりあえずスキャンして送ったから」

で、ドッキリでした?

「違うね!」

そっかぁ……。'83年とか、'84年とか、見てもらえますぅ?

「しゃーねぇなぁ」 送られて来たのが、このページだ。

ラジマガ’82年12月号

たしかに、ひどい……。

つーか、この企画を通して、ページにすることをオッケーしたのは近ちゃんじゃんか!

しかし、まるで記憶にない。

ワタクシ自身も、消し去りたい企画だったのかしらん。

ラジオマガジンの‘82年12月号の表紙写真を見ていただきたい。


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松本伊代ちゃんだ。

ラジマガ’82年12月号表紙

♪いよはまだぁ〜じゅうろくだからぁ〜

ワタクシ、こーいっちゃなんだけど、伊代ちゃんに関しては五月の蝿よ!

ん?

五月蠅い、すなわちウルサイよ。

ワタクシ、“伊代番”でしたから、ラジマガ時代は。

彼女がデビューする前だった。'81年の始めの頃だったと思う。当時の所属事務所、ボンド企画で「今度デビューする松本伊代です、ヨロシクお願いいたします」と懇意にしていたマネジャー氏から紹介されたのだった。

セーラー服を着た、可愛い女の子だった。

その年の10月には、♪いよはまだぁ〜じゅうろくだからぁ〜の「センチメンタル・ジャーニー」で歌手デビューしている。

ちなみに小泉今日子、堀ちえみ、早見優、中森明菜、石川秀美などと同期だ。

ワタクシ、ラジマガも手伝っていたから、'80〜'84年頃のアイドルたちの写真は、結構撮っている。

東京・南雪谷にあった我が社には、デビュー挨拶で、よっく新人歌手やタレントが来ていたもんだった。

で、編集部の中や、周辺、遠くても多摩川(車で5分)で撮影したのだった。

そうそう。

山下久美子さんには、風呂に入ってるところを撮影した。

デビュー曲が『バスルームから愛を込めて』だからだが、ベタ過ぎるでしょ。

一番の想い出は、やっぱり松田聖子ちゃんにお手製のハンバーグを食べさせてもらったことだ。

ホントです。

目の前で、挽肉をコネコネして、ペッタンペッタンして、ジュージューしたハンバーグを食べたのだ。

あれは何年だったっけ? 近藤さん。

で、なんだっけ?

ああ、“本誌・中尾 編集者の役得でやった。誌上私情デート”のハナシね。

ラジマガ’82年12月号

う〜〜〜、覚えてない。

写真を見ても思い出さない。

スマン。

で、“スターどっきりマル秘報告”だ!

ワタクシ、もう一度ミスター・バイクのバックナンバーを探した。

見つからぬ。

近藤さんから電話。

「'84年まで全部見たけど、ないね。やっぱりミスター・バイクだろ?」

時間は過ぎる。

“あん時の真実”の締切も迫る。

「小宮山さん、もう一回、目次録を見せてもらえますか?」

'82年をダメ元で探す。

ダメ。

'83年を、隅から隅まで見る。

隅っこにも、なさげ。

ゴーグルに移った'84年を、確認してみっか。

間違いなく、モノクログラビアでやったよなぁ……。

ん?

んん?

んんん?

“高樹 澪の東京のスイス食べ歩き”って、なんだ?

目次だけじゃ想像もつかぬ。

'84年6月号か。

ワタクシ、こん時はいないから無理もない。

念のためにバックナンバーを見る。

38ページ、ね。

ん?

んん?

んんん?

なんじゃこりゃーーーーっ!

あったぁーーーーっ!

その見開きページに、見覚えのある秋川の橋が写ってる。

ああ、たしかにこのお店に行った……、ふむふむ。

うん?

それにしても、澪ちゃん、髪が短い。

ボクの中ではロングヘアだったのだが。

そーか!

『スチュワーデス物語』のために長い髪をバッサリ切ったのだった。

うわっ! あの黒猫を抱いた写真も……。

そして、次のページをめくる……。

『スターどっきりマル秘報告』だっ!

長くなった。

とゆーわけで、あん時のホントへ続くのだーーーーっ!


東京エディターズ代表取締役社長兼
WEB Mr. Bike代表
『中尾祥司拝。』
中尾祥司
ミスター・バイク誌の創刊からのメンバー(あん時ゃ下働きだったけど)。当初はフリーライターとしての契約だったが、「アイツの一ヶ月のギャラ、高いんじゃないか? 社員にしちまえ!」とゆー、今は亡きボス渡辺の天の声で目出度く正社員に。ちなみに給料は5万円弱だった(あん時ゃツラかった)。それ以前は、某政党の運動員(あん時ゃパクられそーになった)、シロアリ退治業者(あん時ゃ、「奥さん、ホラいましたよ」と用意してたシロアリを見せるよーな汚いマネはしなかった)、新宿ゴールデン街の某バーでバーテンダー(あん時ゃ呑めた、今は下戸……なんでやろ?)、そして「サイナラサイナラ」の淀川長治さんの映画の本を作る手伝いをして編集と関わる(あん時ゃ、「私は嫌いな人に会ったことがない」無垢な青年だった)。とゆーわけで、あん時ゃあーだった、こーだったとゆーハナシをしよう。あ、顔写真で、なんでマスクをかぶっているのかとゆー真相もおいおいに、ね。

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