Hi-Compression Column

HERO`S Meeting Report

HERO‘S 大神 龍
HERO`S Meeting Report
年齢不詳
職業フリーライター
見た目と異なり性格は温厚で性質はその名の通りオオカミ気質。群れるのは嫌いだが集うのが大好きなバイク乗り。
時折、かかってこい!と人を挑発するも本当にかかってこられたら非常に困るといった矛盾した一面を持つ。おまけに自分の評価は自分がするものではないなどとえらそうな事を言いながら他人からの評価にまったく興味を示さないひねくれ者。
愛車はエイプ100、エイプ250、エイプ900。


京都笠置、花見宴  届け!我等の想い”
(2011.4.27更新)※写真をクリックすると大きくなります。

4月の第二週末深夜。ドシャ降りの中、大阪の街のど真ん中2号線上でまたしてもシェルパのエンジンは止まった。

川湯の時とまったく同じ症状だ。

川湯越冬野宴の帰り道、何の問題もなかったためそのままにしていたのがよろしくなかったという事なのだろう。

だが問題はない。

前回でその対処方法は学んでいる。

で、そんなドシャ降りの中に夜な夜などこへ向かっているのかって? 目指すは京都笠置。

行って何をするかと言えば花見だ。

この大変な時に何を呑気なと言われそうだが基本的にオレは能天気なオオカミ男なのだよ。

だからと言って東日本を襲った大災害を無視してるわけでも他人事ととらえてるわけでもない。

あれから一ヶ月が経とうとしてる今でも根本的な問題は解決していない。

復興にしたってこの先、何年もかかるだろう。

そしてその負担は被害を直接喰らっていないオレ達にも当然かかって来る。

いや、むしろかかってくる前に自発的にその負担を負うくらいの事はするべきだとも思う。

だが・・・それとこれとは別だ。あちこちでイベント事などの自粛が言われているがネガティブな発想からは負の要素しか生まれてこない。

こんな時だからこそたいした人数じゃないにしても集まる事に意味はある。

で、大雨の深夜に走る意味は? と聞かれれば混雑した昼間の大阪市内を走るのが嫌だっただけである。

雨は計算外だ。

なんとか再スタートし2号線から163号を経由して笠置キャンプ場に着いたのが朝方4時。

だだっ広いキャンプ場にはテントが二つ。

今回主催のオークボ君とスイセイのものだ。

2人で前夜祭をやっていたらしい。

オークボ君はひと月ほど前に結婚したばかりでそれまでがその準備で忙しくあまりバイクに乗れていなかったため今回は相当に気合が入っているのだろう。

それにしてもまったく物好きな。

そんな事を考えながらオレは衰える事のない雨の中、テントを張り転がり込んだ。


今回、主催はこの2人。オークボ君(左)は新婚ホヤホヤ。おめでとうございます。末永くお幸せに!
今回、主催はこの2人。オークボ君(左)は新婚ホヤホヤ。おめでとうございます。末永くお幸せに!。
毎年、多くの花見客で賑わう笠置キャンプ場も今年は朝のうちはガラガラ。昼からの天候回復後は結構な人出でしたが
毎年、多くの花見客で賑わう笠置キャンプ場も今年は朝のうちはガラガラ。昼からの天候回復後は結構な人出でしたが。
早朝3時に家を出たと言う高知のタカジンさんは豪雨の中を走っての現地入り。その道中、オレ同様エンジン不調に見舞われたらしい
早朝3時に家を出たという高知のタカジンさんは豪雨の中を走っての現地入り。その道中、オレ同様エンジン不調に見舞われたらしい。
朝起きて軽く朝食をとっていたオレ達の前に現れた小さなカメさん。これは何かのお告げか!?
朝起きて軽く朝食をとっていたオレ達の前に現れた小さなカメさん。これは何かのお告げか!?。

翌朝、昨夜ほどではないが雨は降り続いている。

毎年、花見スポットとして多くの花見客で賑わうこの笠置キャンプ場も自粛ムードに加えこの悪天候でガラガラだ。

そんな状況の中でもオレ達の花見は結構な人数の集まりが予想されていた。

東日本の震災で多くの仲間が直接の被害を被った。

それに対し、何かできる事はないかと広島の風神ことコウタンと愛媛の星野氏がささやかながらの募金と寄せ書きに少しでも多くの協力を求めてこの手の集まりを繋いで走ると表明し、それに呼応する声が多く聞かれていた。

そしてその呼応するやつらは単なる賑やかしではない。来るといったら必ず来るようなやつ等ばかりだ。

案の定、昼を過ぎたあたりから続々とおなじみのヤツ等がキャンプ場に流れ込んできた。

その中でがんじー、吉岡氏とは一週間前に東京で会っている。

吉岡氏はオレと会った翌日に仲間の手助けに東北まで足を運んでいた。

その吉岡氏が持ち帰った情報の中に悲しい知らせが一つ。

震災後、収容された遺体の一つが仲間の高橋伸一氏と確認されたという。

オレ自身は特に親しかったというわけではない。

だが昨年、福島での“狂宴”で共に酒を呑み同じ釜の飯を喰らいこれからという人物だっただけに残念でならない。


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