- HERO‘S 大神 龍
(2011.12.05更新)※写真をクリックすると大きくなります。
今年もこの季節がやってきた。
しまなみ無人島ショットガンパーティー。
毎回、恒例化するつもりはないと公言しながらも夏を過ぎたあたりからやってくる「いつやるの?」の問い合わせに「10月の終り頃」と同じような答えを返しながら結局、恒例化してしまっている。今年で5回目だったか、6回目だったか・・・確かそのくらいだったと思う。
そんなわけで今年もオレはしまなみ海道を会場となる無人島“見近島”へ向けて走っている。走っているのは併設された原付道ではなくETCゲートを抜けた本線。
誤解があるとマズイので言っておくがエイプで走っているわけではない。エイプはうしろの荷台で大量の荷物に囲まれて鎮座している。
本当ならエイプで島をつないで走りたいところなのだが来てくれる参加者を迎える主催として万全の体制を考えたならばその装備のすべてをエイプに載せて走るのはちょいと無理があり過ぎる事から軽トラにトランポしての道中というわけだ。
最近、全然エイプで走ってねぇじゃん、などと言われそうだがそんな事はない。
島に着くまでの間、ひとまずショットガンの話は置いておいて半月ほど前の話から始めようか。
* * * * * * * * * *
10月の3連休、オレは九州へ向けて走った。マシンはエイプだ。行き先は九州最西北端に位置する生月島。ここで毎年、開催されているモーターサイクルのイベントであるアイル・オブ・生月がこの連休がらみの週末に行われるはずだった。それがやむを得ない事情により中止となった。
だが、イベントの中止はオレにとってそこへ行かない理由にはならない。なぜならオレは生月島が大好きなのだよ。イベント事などなくてもそこへ行くだけの価値はある。
生月島を目的地に設定して3日間という時間を有効に使う旅のプランを立てたのだがその当日、初っ端からその計画通りにいかなくなった。理由はそれほど複雑なものではない。単にオレが寝坊しただけなのであるが・・・・
予定ではまだ夜も明けきらない時刻に家を出るつもりでいたのだがなんとか荷造りを終えて走り始めたのが午前9時半。大寝坊である。おかげで当初、のんびりと寄り道しながら走るつもりでいたのがひたすらに走り慣れた面白くもなんともない2号線を給油以外休憩する事無く走る羽目になってしまった。
なんとか日が落ちる前には九州入りしたものの最大の渋滞ポイントである博多市内に入ったのが夜の7時前後。週末で人も車も溢れかえった最悪な時間である。おまけにその先の202号線で事故をやっており渋滞の質はオレが経験した中では最悪なランクときている。
シェルパでの事故以来、安全運転を心がけていたオレだがこれにはさすがにブチきれてしまった。かなり強引なスリ抜けで博多市内を抜け唐津市に入ったのが8時半。
ここでひとまず待ってくれているはずのAki姉さんに電話を入れると「今、どこ? みんな待ってるから早くおいでよ」と。
いつも世話になってるAki姉には事前に行く旨は伝えていたが、みんなって何だ? 訊くとせっかくなんで都合のつく九州の仲間を何人か集めて宴会を始めたらしい。
プレッシャーである。この道中、一番の難所を抜けたからといって一息つく暇などオレには許されないらしい。202号線~204号線を経由して伊万里を抜け、生月島を目指す。夜の204号は交通量皆無でエイプはほぼ全開走行で距離を稼いでいった。乗り手の疲労など知るもんかとエイプはそのスピード、燃費ともに性能の衰えを見せない。
久しぶりのコイツとの長距離走だが毎度、そのタフネスぶりには驚かされる。
出発して13時間後の10時半、生月島湾岸ハウス着。元気なエイプとは対照的にオレはもうボロボロな状態だ。だがそんな事はお構いなしにすっかり出来上がってしまってる宴会の面々から食えや飲めやの手荒い歓迎を受け、宴に呑み込まれるオレなのであった。
翌日、睡眠もそこそこに午前中、島を走り回り昼を過ぎた頃、帰路についた。
本来ならもう一泊くらい島でゆっくりしたかったのだが時間の関係上そうもいかない。高速を使えないエイプであるがゆえに帰りも来たときのまんまの時間を要する。帰り道のモチベーションで来た時と同じ走りをするのはオレにとって健康上あまりよろしくない。
帰りは博多を避けて佐賀から久留米へと県道をつないで走ったのだが・・・まぁ慣れないことはするもんじゃないな。途中からわけがわからなくなり道に迷ってしまった。
やっとのことで3号線に合流して関門トンネルを抜けたのが夜の7時。まったくの裏目である。さらにはこの日の寝床として目星をつけていた秋吉台の道の駅へ行く道さえも間違えて迷走してしまい辿り着いたのがもう日付も変わろうかという深夜。まったく馬鹿馬鹿しくなるほどの無駄走りとなってしまった。
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