- 中村圭志
(2011.2.24更新)
※写真をクリックすると大きくなります。撮影─徳永 茂
第1回 ようこそドラッグレースの楽しい世界へ。
みなさんをご案内するアテンダントの中村です。
みんなゼロヨンって聞いたことあるよね?
じゃドラッグレースとゼロヨンってどこが違うの?
結局同じ様な事だがドラッグレースってちゃんと規則に則って閉鎖されたサーキットでやることなんだよね。
昔は郊外や海沿いなんかの公道で違法にスピードを競い合ってたけど、1990年代に入って富士スピードウェイでちゃんとした団体が公認レースとして開催するようになったんだ。
恥ずかしい話、自分も昔は公道ゼロヨンあがりで街中じゃちょっとは自信があってよく幕張や南部市場なんかに顔出してブイブイ言わしてたんだ。
仲間から富士スピードウェイに誘われて初めて出場したのが1991年頃かな?
心の中では「どーせいつも通り一番だぜ!」と思いながら・・・結果はぼろ負け。
やっぱりサーキットで走っている人達はめちゃめちゃ速いし上手い。こてんぱんにやられました。
そこで自分は心を入替え初心に戻って一からドラッグレースの道を突き進もうと決めたレッドモーターの中村です。
こんにちは。ちょっと前フリが長かったですね。
1993年、ドラッグレースの歴史が大きく動いた。
昔と今で何が一番変わったかって言うとやっぱりマシンかな?
基本的にルールは昔とあまり変わらない。やっぱり400m速いもの勝ちって感じ。
マシンは`90年代初めは速いマシンとして印象深いのがZZR1100やGSXR-1100。
2ストなんかもまだバリバリで500Γ乗ってる速い人もいましたよ。
あの当時9秒台出せる人なんてそうそう居なくて、ストリートクラスは軒並み11秒台が多かった気がするね。
そんな中でもチームイエローコーンと言うチームは速かったなー!!
アメリカから本場のマシンとノウハウを引っ張ってきていきなり8秒台をポンポン出しちゃうんだ。
それを目の前で見ちゃったから自分のテンションはいきなり最高潮!
それまではRZやNSRで頑張っていたけど、我慢できなくて翌年には同じようなマシンをアメリカから入れちゃいましたよ。
それが1993年。ちょうどその年からプロストックバイククラスがMFJ全日本選手権シリーズに加わったんだ。
俄然やる気が出るよね。
当初のクラス分けだけど一番上のクラスがPBクラス(プロストック)。専用シャーシーでウイリーバーが付いていてめちゃローダウンしてある一見何のバイクだかわからないあれ。
A級ライセンスが必要で限られたライダーしか参加できないクラスでもあり、バイク界の最高峰クラスね。
多いときは月3で参戦! 我ながら恐ろしい……
次にSBクラスって言ってライセンス無しでも走れる市販車改造の無制限クラスだったかな?
大体タイムは9秒後半から10秒前半位。
その下がSSクラスって言って、そのまま乗って来て出れちゃう様なマシンが出れるんだ。
マシンはZZRやGSXRやFZR1000が多かったかな。タイムも11秒台からそれ以下かな?
今考えると当時は排気量が大きくても1100cc止まりだよね。いまなんか1300や1400ccが当たり前だもんね。
そのレース団体は4輪とも併催でTOPFUELやFUNNYCARや本物のジェットエンジンを積んだJETCARなんかも走る超ビッグレースが年間7~8回全国で開催されてたんだ。
特にPBクラスに出ていた自分は全日本戦だからもー大変。シーズン始まると全国を渡り歩くんだ。
でもドラッグ好きにはたまらない物があるよね。
多い月には他のイベントとも合わすと3回とかいう月もあったかな? 今考えると恐ろしいよね?
そんなレースが内容や団体が変わりながらも続けられ日本のドラッグレースの支えとなり今も続けられています。
2輪だけのドラッグレースがしたい!! そしてJD-STERが始まった
そんな中2003年春。何処からとも無く「2輪だけのドラッグレースがしたい!!」って言う声が上がりました。
自分も前々からそれは思っていた事でしたが中々重い腰が上がらず迷っていた所の話でしたね。
じゃー立ち上げだ!! って思ったがどーやって運営したらいいかわからないし、スタッフはどーしよう等々。乗り越えなきゃいけない事が山ほどある。
一人じゃ無理だなーと考え、クラスフォーの横田さんに相談し、それじゃ「一緒にやっていこうか」という話になり、賛同してくれた仲間達が続々集まってくれた。
「これなら出来るっ!」て、確信したね。やっぱりレース仲間って最高だよ。
みんなの熱い気持ちが伝わってきてその年の真夏にJD-STER第一戦が開催されました。
2輪だけのドラッグレースだから時間もたっぷりあるし、クラス分けも細分化でき平等化も図れる。
来てくれたエントラントみんなに優勝してもらいたい(無理だけど)。
そんな有志の人達が集まって立ち上げたみんなの団体です。
ただ私と横田さんはそれを後押しする役目の担当と思っています。
今年で丸8年が終わりました。
JDは今後の日本の2輪ドラッグレース発展に向けて更なる努力をしていきます。
さー次回からはJDのレースの内容やマシンの紹介なんかが続きますよ。
ドラッグレースとは、1/4マイル(402.33m)の直線をいかに速く走れるかを競うモータースポーツ。
50年以上前にアメリカ合衆国カリフォルニア州で誕生したレースであり、現在、二輪最高峰クラス(プロストックバイク)ではゴールライン到達時に時速300kmオーバー、到達タイムは7秒を切る6秒台を実現し、圧倒的な速さを誇ることから「地上最速のレース」と呼ばれ、3大アメリカンモータースポーツの1つとなっている。
本場アメリカでは、モータースポーツの原点として多くの人々から愛されており、誰でも技量に合った楽しみ方をできるとあって、レースやイベントの度に数万人の観客を動員するほどの人気があるモータースポーツ。
日本国内でも、スクーターから大型バイクユーザーに至るまで参加型モータースポーツとして人気を集めており、近年のモータースポーツ界の中では安定した人気を有している。
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