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中村圭志
中村圭志
1970年 東京生まれ。19才から本格的にドラッグレースを始め、1993年から全日本ドラッグレース選手権シリーズ戦にPBマシンで参戦。1994年に初優勝。その後8度のシリーズチャンピオンに輝く。近年は日本にもっとドラッグレースを普及させる為JD-STERを立ち上げ現在に至る。
レッドモーターhttp://www.redmotor.com/
東京都北区西ヶ原4-6-2 TEL03-3915-0953

(2011.7.12更新)

※写真はをクリックすると大きなサイズになります。違うカットが見られるものもあります。

2011 アメリカ参戦記

ドラッグレースの本場アメリカで初めて走ったのが1999年。最初は1回走ればもう二度と走る事は無いと思いながら、気が付けばほぼ毎年行ってる様な感じです。 

やっぱりアメリカには凄い魅力が有って、行く度に全てが新鮮でスケールがでかい。 

アメリカには約140箇所もドラッグコースがあり、ほぼ毎週と言ってよいほど何処かでレースが開かれてる。

団体も幾つかあって有名なのがNHRA。

この団体は4輪がメインだけど2輪では自分が持っているプロストックバイククラスがあって大体400mを6秒後半から7秒前半で走る。

今回出場したレースはマニファクチャーカップと言って、以前AMA PROSTARに協力していたショップや企業が協力して作った団体。 なんかJD-STERと似ています。



規模は大きくて今回は約500台位が参加しています。

クラスは一番上がTOPFUELクラスで、有名なのがスパイダーマン。もちろん今回も出ています。

次に自分が出場したPROCOMPクラス。

このクラスは3つのカテゴリーが集まったクラスでマシンの差が大きい。ファニーバイクやプロモディファイはターボやNOSをばんばん使ったマシンで馬力は推定400~600PS。

自分が乗ったのはプロストックバイクでNA仕様350PS。しかしこのクラスのみ200mで戦うのでリアクションで勝てる可能性もある。

あとはここ最近凄く人気のあるプロストリートクラス。JD‐STERで言うとシュートアウトクラスにあたる。

隼やZZR1400に巨大なターボをつけて600PSを発生させて400mを7秒前半で走る。もちろんウイリーバーも付いてなくセルモーターでエンジンをかける。

なんか待ち乗りも出来そうなバイクです。だから名前にもストリートと言う文字が入るらしい。



前置きはこのくらいにしてそろそろ本題へ。

今回は4月7日から12日までの渡米で実際にサーキットに居たのは金土日の3日間。

ジョージア州のバルドスタと言う田舎町にあるsouth Georgia motor sports park。

アメリカのコースでもかなり路面がフラットできれいなコースで有名。

メンツは昨年も同行したクラスフォーの横田さんとお客さん2人で親父4人旅となりました。 今回は機会があって全員がライダーです。

自分はコンプリートマシンの15インチプロストック。 他の3人はZX14のストリートマシン。

面白い事にZX14をレンタルした仲間はあのリッキーガドソンのチームからレンタルなのでそっちのピットに。

自分は毎回レンタルさせてもらっているゲイリーさんのピットで結構離れた場所でバラバラの行動です。

ろくに英語が出来ない自分は毎回通訳なしでチームに入るので、最初はドキドキだったけどだんだん慣れて、良い英会話スクール的な感じかな。自分も横田さんみたいにペラペラ喋れるようになりたいな!!

そのゲイリーさんの次男坊がLEと言って何と昨年のNHRAプロストックバイクのシリーズチャンプ。

そのLEが今回親父のゲイリーさんと一緒にわざわざ来てくれて、自分のクルーをしてくれた。

全米チャンプが俺のクルーですよ。夢のような体験なので全日本チャンプの自分としてミスはしたくない。



金曜日に練習走行と午後から予選が2本。土曜日は午前と午後に予選が2本。もし予選が通過すれば日曜日の決勝ヒートに出場できると言う仕組み。

まず練習の1本目は400mで計測。で、スタート直後にホイールスピン。

なんか違和感を感じながら7.5秒。昨年のベストが7.3秒だからまだまだ。

マシンにはデータロガーシステムなるものを搭載しており、回転数・クラッチスリップ%・リヤホイールスピード・加速Gセンサー・クランクケース内圧・排気温度・O2センサー・アクセル開度センサー・等などあらゆるデータが取れるようになっている。

逆を返せばライダーのミスが全てばれてしまう。

走行後にすぐにデータを吸い取ると、スタート直後にアクセルが戻っている。おそらく加速Gが強すぎて右手が動いているようだ。

当然アクセルが全開じゃないとパワーが落ちる。パワーが落ちるとリアホイールスピードが落ちる。そうするとロックアップクラッチの効きが悪くクラッチが滑る。当然車体は前に出なくタイムが落ちると言う構図になってしまう。

非常にシビアな所で毎回悩ませられる。でもライダーのミスであってメカニックのミスじゃないから改善を求められる。

昨年もそうだったが何回か乗るうちに体が慣れてきて後半には満足いく走りが出来てタイムも上がるようになる。

日本の路面とは全く違い、全然凸凹が無くゴムシートの上を走っている様でグリップ力も雲泥の差がある。最大加速Gは3~4Gが一気に襲い掛かる。それがたまらなく毎年はるばる渡米している気がする。

何と言っても怖いのがスタートしてフロントが上がりそのまま3速位まで浮き続け、着地した瞬間にフロントタイヤが大きく横にスライドする。

日本とは違い加速力が凄まじいので、フロントタイヤが着地時に路面に追従せず、少しでも車体が不安定だとフロントタイヤが1m位流され車体が転倒する位傾きながら加速を続ける。

何回も足を出しそうになるがスピードはすでに200km/h近く出ている。まるで氷の上にフロントタイヤが着地するようだ。

ゲイリーさんに対処法を聞くと「アクセルを開け続ければ元に戻る。みんな我慢している」との事。日本のサーキットでは体験出来ない現象がこっちだと当たり前のごとく起き、みんな淡々とこなしている。

やっぱり日本だけで満足はしていられないし、井の中の蛙になりたくなく、毎年本場に来て悔しい思いをお金を払ってしている。でもそんな体験が自分の物になり、日本のドラッグ界にフィードバックすれば、みんなのレベルも上がると思う。

午後からは予選1本目。ここからは200mでの計測だ。まーまー走れて4.7秒。

予選でも相手は居てやっぱり凄まじいターボマシン。スタートはリアクションで前に出ても60フィート付近でぶち抜かれる。悔しいが仕方なく相手の背中を見て走る事となる。

自分は予選の間隔が長いので、その間に仲間の映像や写真を撮りまくる。

仲間はストリートマシンのZX14でマフラーとエアーシフター、ローダウン位なので連続走行が出来て3日間で20本近く走行していましたね。なんか凄くうらやましかったなー。



全員の走行が終わりホテルへ向かう。ちょっと話がずれちゃうけど、毎回こっちにくる度、ホテルとサーキットの往復のみ。

今回は4回とも夕飯はステーキハウス。 みんなも聞いた事あると思うけどこっちのステーキはでかい。 毎回全て完食したためしがなく量が多い。

夕飯の帰りにスタンドによってビールを買ってみんな一つの部屋に集まり、今日の反省点や楽しかった事で大盛り上がり!! 毎回コレが楽しいんだな。明日の予選最終日に向け期待をしながら就寝。

日本のレースとは違いアメリカのレースの朝はゆっくり。自分達も朝食を済ませ8時頃サーキットに着くも、まだほとんどのモーターホームは静かで寝てるか、朝食中と言った感じ。9時から予選が始まるのにのんびりしていてせわしなくていい感じ。

そうこうしているとゲイリーさんのトレーラーの扉が開いて一日がスタート。土曜日は朝から気温が上がって辛い一日になりそう。 

アメリカでも南に位置するここは、夜は15度位まで下がって上着が必要だけど、昼間は平気で30℃を超えて真夏。

で、予選3本目。少しづつタイムは上がっているがここで予選ボーダーが4.4秒。 自分のベストがここまで4.6秒。まだ少し届かない。いや、この0.2秒がもの凄く大きい。

予選最後の4本目。今まで言われてきた事や、やりたい事をスタート直前までお経の様に唱え、頭と体に叩き込みスタート。

真っ直ぐスタート出来、シフトミスも無く今まででも快心の走り。ゲイリーさんも気合が入っており、走行前にスプロケをショートにしたり、シフトrpmを上げたりして気合入りまくり。ここで4.4秒出さないと明日は無い。

結果4.6秒。スタートでスピンしてしまった。

嬉しかったのがゲイリーさんが自分に謝ってきた事だ。セッティングを出し切れなかったと言ってきた。

っと早くから自分が安定した走りが出せればセッティング出せたかも知れないのに。でも少し走りを認めてくれたのかな?

日本人にもきちっと走れるライダーが居るという事をアメリカでも知って欲しい とも思った。

結局予選通過ならず。ゲイリーさんが次に来る時は、NOS付きマシンを用意して4.3秒出そうなって言ってくれた。 きっと来年もここのスタートラインにいる事だろう。


公式webサイトJD-STER


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