それぞれの道には、それぞれの風土、気候、環境などを積み重ねた表情がある。それはまた人生にも似ている。道は人生、道の数だけ物語がある。野口おやびんが走って来た幾多の道を、想い出話と共に語ろうか
第一回・国道1号線
俺は群馬の田舎町に生まれ、`74年の夏までそこで暮らしていた。その2年前に免許を取ってバイクに乗っていたものの行動範囲はまだ狭く、100km以上離れているR1を走る機会はなかった。だが、`74年の夏に18歳になった直後、俺は初めてR1を走った。
九州へひとりツーリングに出かけ (群馬から長野・木曽路〜名古屋〜紀伊半島〜山陽道〜九州一周で、帰りは山陰から京都〜飛騨〜信州というルート)、往路、木曽路のR19を南下した。
その後、名古屋から紀伊半島の付け根の三重県まで至るまでの間に、数kmか数10kmかわからないがR1を走っているはずなのだ(記憶はあいまいだが)。
その旅を終えてからすぐに上京し、目黒区内に1年半ほど住んでいたので、その頃は乗っていたTX500でたまにR1を短距離走ることもあった。
ある程度の距離を走ったのは`75年になってからだった。バイク仲間と箱根方面に何度かツーリングに行き、金がもったいないから東名高速なんか使わず、第三京浜〜横浜新道(R1のバイパス道路でもある)〜R1で小田原まで。その後も駅伝コースのR1を走って芦ノ湖や大観山へ登ることが多かった。
R1の大半を走ったのは`77年、2度目の九州ツーリングのときだ。W3に乗る友と一緒にTX500で出かけた。
第三京浜〜横浜新道のルートで西走し、箱根の峠を越えてからもひたすらR1を利用して名古屋泊(友の親戚の家で世話になった)。早朝に出発したので都内や神奈川県内の通勤ラッシュは免れ、そのあとも静岡県内は結構バイパスが出来ていた(と思う)から結構いいペースで走れた。
適当に休憩しながら夕方には名古屋に着いたと記憶している。翌日ももちろんR1を使い、大坂まで。延べ500km以上は走っただろう。
最近、R1を走る機会は減っているが、R1はやはり箱根峠が面白い。神奈川側の駅伝ルートはタイトなコーナーが延々と続き、交通量は多いが走り応えがあり、若い頃は結構無茶な走りをしたことも…。
七曲がりの旧道は道が狭く勾もRもキツいので俺はあまり好きではないが、好むライダーも多く、ローリング族御用達の時期もあった。それが原因で二輪通行禁止にもなった。
箱根新道は高速コースだが、有料だし(最近無料になったが)トラックが多いので自分のペースで気持ちよく走れないことが多い。静岡側はRが比較的大きいコーナーが多く短い直線も混じる。静岡側から登ると追い越し車線がある区間も多いので大型トラックも苦にならない。
ともあれ、今後も何かに付けてお世話になることが多いであろうR1である」。
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