Hi-Compression Column

おやびん道

それぞれの道には、それぞれの風土、気候、環境などを積み重ねた表情がある。それはまた人生にも似ている。道は人生、道の数だけ物語がある。野口おやびんが走って来た幾多の道を、想い出話と共に語ろうか


第3回・国道3号線



(2010年9月27日更新)

R1

R3=国道3号線は、北九州市門司区と鹿児島市を結ぶ一般国道で、延長は約392km。南北に長い九州の西側を走る重要な幹線(反対の東側はR10が北九州市から大分、宮崎県を通り鹿児島市を結んでいる)。福岡市や久留米市、熊本市など九州西部の主要都市もこの3号線でつながっている。

  これまで、九州はプライベートツーリングで3回、仕事で3、4回走っている。直近は7年前で、トラ・サンダーバードの後ろに娘を乗せて4泊5日の旅をした。

往復は太平洋を航行するフェリー(川崎〜宮崎/日向。今は運行されていない)を利用した。

その九州を南北に走る幹線道路のひとつがR3で、過去に3〜4回走行したことがある。

初めて走ったのは、前回のR2を走ったときと同じ74年の夏だった。

約1週間の日程でほぼ九州を一周したが、長崎など行かない場所もあり、R3も半分くらいしか走らなかったと思う。

しかし、前回のR2の時にも書いたように、1977年に2度目の九州ツーリングに友達と行ったとき、ほぼ完走した。

友達が熊本市と八代市の中間に位置する町の出身で、北九州市から寄り道せずR3を真っすぐに南下して、彼の実家にまず草蛙を脱いだ。その町もR3が通っていた。

門司港。

関門トンネルを出た九州側、レトロと焼きかカレーで売り出し中の門司港がスタート。

翌日は彼の実家から雲仙・長崎方面へ2台でツーリングに出かけ、もう一泊世話になった。

そして3日目。俺はひとりで奄美大島に渡るため、R3を南下し鹿児島港まで走ったのだった。

仕事で行ったときのことはよく覚えていないが、断片的にR3を走っただけだったと思う。

7年前に娘とツーリングに行ったときは福岡市の近くを走り、熊本市と鹿児島市にも寄ったので、そのときもあまり長くはないがR3を走っている。

70年代に走ったときは大きな街の周辺を除けば交通量はそれほど多くなくて、結構走りやすかったように記憶するが、7年前のときはやはり交通量が多かった。特に福岡市の近くは混雑した。

九州といえば、阿蘇山周辺に気持ちよく走れる道が多く、有名なやまなみハイウエイは最高である。

対して、R3で特にいい道だったと印象に残っている区間はない。幹線道路の場合それが多く、特にR3は地方都市を数珠つなぎで結んでいるからなおさらだ。

地図を広げて確認すれば、それなりの峠道もあるのかもしれないが、やめておく。

そういえば、R3ではないが、それとほぼ並行して造られた九州自動車道と中国自動道が関門橋を介して繋がった1984年の春、東京から東名〜名神〜中国自動車道と高速をつないで九州自動車道に乗り入れ、当時の終点だった八代まで一気に走ったことがあった。

伴走のワンボックスの性能が悪くてペースは遅く、大都市圏では渋滞に舞巻き込まれ、おまけに中国自動車から先は大雨になった。

ライダーは3人で、ほかのふたりは適当に交代したが、俺は一人で走破してやると意気込みそれを遂行した。

終点の八代に着いたのは11時頃だったか、日付が変わっていたか。本降りの雨が降り続いていた。

総走行距離は1200kmくらいだったと思う。

俺はもうくたくたに疲れ切って、その後数日間も、肩や腕はもちろん身体中が痛かった。

そんな思い出もある。

天文館。

鹿児島の繁華街、天文館のちょっと手間がゴール。


野口眞一
のぐち
バイクに乗って40年、二輪雑誌の仕事をして30年、の54歳。若い頃からツーリングが好きで日本各地を旅してきた。現在の所有車はトライアンフのサンダーバード(1996年型の水冷並列3気筒)で、13年乗り続けている。

[第2回国道2号線]
[第3回国道3号線]
[第4回国道4号線]
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