それぞれの道には、それぞれの風土、気候、環境などを積み重ねた表情がある。それはまた人生にも似ている。道は人生、道の数だけ物語がある。野口おやびんが走って来た幾多の道を、想い出話と共に語ろうか
第4回・国道4号線
(2010年10月27日更新)
R4は一桁国道のなかで、これまでに最も多く走っている道かもしれない(R1も同じくらい多いと思うが)。
地理的に近いこともあるし、個人的なバイク旅でも仕事でも東北地方に行くことが多く、部分的に利用することがほとんどだが、数十回は世話になっているだろう。
そして苦い思い出もある。
それは35年前の夏だった。
俺は前年の九州ツーリングに続き、1975年の夏、北海道ツーリングを計画した。
当時、道が続いているならフェリーに頼らず走るのが正道と考えていた俺は、青森までR4をひたすら走り、青函フェリーで北海道に上陸、と決めた。
夕方6時に東京を発って空いている夜中に距離を稼ぎ、翌日の昼頃には青森に着いて、フェリーで夕方には函館に。その後2週間の日程で岬と湖を中心に巡る、という予定だった。
東京〜青森750km弱を18時間かけて走破することは、それほど無謀な計画ではなかったと思う。
その日、荷物をTX500にくくりつけ、予定通り夕方6時に東京・目黒を出発した。
混雑する都心部をパスするため首都高速で入谷まで行き、その後R4を北上した。
埼玉県内は交通量が多かったが、栃木に入ると流れはスムーズになり、北関東を抜けて東北南部の福島に入った頃には、走る車は遠距離トラックがほとんどで、ペースアップ。
道もバイパスがあったりで、1時間に50km前後走れて、予定どおりに距離をかせぐことができた。
ほぼ中間点の仙台に着いたのは夜中の2時か3時頃だったろうか。
それまで給油のついでに一服するくらいで夜食も短時間ですませていたが、19歳と若かったので疲れは感じなかった。
宮城県から岩手県に入り明け方には盛岡を過ぎていた。順調だった。
二戸市街に入った頃は7時を過ぎて、通勤の車で交通量が増え気温も上がって、ゆっくり走っていると眠気が出て来た。
少し仮眠をとろうとしたが、そうすると眠れず、再び走り出して少ししてからだった。
両瞼が閉じた。ガシャンと言う音とショックで気が付くと、TXと俺は道路左の縁石を越えて少し低い空き地に転がっていた。
近所の人が救急車を呼んでくれた。怪我は大したことなかったがTXは無惨だった。
そこは金田一という町で青森県境までもう少しのところだった。
事故ったのは8時頃で、昼頃までに青森港に着けそうだったのに…。
病院で先生に、1週間は入院しないと、と言われ、北海道上陸はかなわぬ夢となった。
1週間後、退院直前に地元のバイク屋さんで修理してもらったTXに傷めた左足を引きづりながらまたがった。
R4は使わずに日本海まわりで群馬の実家に帰り、しばらく通院して傷を癒し、東京に帰った。
そして翌年夏、同じようにR4をほぼ全線走って青森まで行き(無理せず途中で一泊した)、前年の計画を踏襲して、北海道の旅を実現した。
直近でR4を走ったのは今年の夏、3泊4日で息子と東北ツーリングに行って何度か部分的に使ったが、今後もR4はそういう形で利用していくだろうと思う。
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