Hi-Compression Column

おやびん道

それぞれの道には、それぞれの風土、気候、環境などを積み重ねた表情がある。それはまた人生にも似ている。道は人生、道の数だけ物語がある。野口おやびんが走って来た幾多の道を、想い出話と共に語ろうか


第10回・国道10号線

(2011年4月26日更新)



R10
R10=国道10号線は北九州市と鹿児島市を結ぶ一般国道で、延長は約465km。国道3号線とは反対側の九州の東側を通っていて周防灘や大分湾、日向灘、鹿児島湾など海岸沿いを走る区間と、それ以外の山間部や市街部(バイパスが多い)の区間が入り交じる。●撮影─衛藤達也

国道10号線は`74年夏の九州ツーリングの時、初めて走った。約1週間ほどかけて九州を回り、R3と同じように、R10も全線ではないが半分くらいの距離を部分的に走ったと思う。

たとえば鹿児島湾沿いとか、宮崎〜延岡間、別府〜北九州間とか。

なんせもう36〜37年前のことなので記憶は曖昧になっていて、忘れてしまっていることも多く、阿蘇の麓でキャンプしたことや、佐多岬のある大隅半島の根占近くの民宿に泊まったことは記憶に鮮明に残っているのだがほかのことは印象が薄かったからなのかよく覚えていない。

別大バイパス
別府湾沿いの別大マラソン(別府大分毎日マラソン)で有名な別大バイパスは国道10号線のバイパス。

でも、前述の区間はその時に多分走ったであろうと思う。長崎など一部を除いて九州をほぼ巡ったのだから…。

数年後の2度目の九州ツーリングの時の記憶も薄れていて、往路にR3をほぼ走り、奄美大島から帰った後は、多分、九州の東側を走って帰路に着いたと思う。

同じ道を帰路にも使う、ということが当時からあまり好きではなかったので、全線ではないけれど、R10をベースにルートを決めたと思うのだ。

3度目にR10を走ったのは`80年代初頭で、二輪雑誌の仕事で九州に行ったときだ。

川崎からフェリーでカメラマンとその助手的な少し年下のヤツと3人で霧島やえびの高原周辺をツーリング取材した。



右上へ

バイクは当時のハーレーだった。車種はうろ覚えだが、ローライダーと何かだったと思う。

日向か宮崎にフェリーで着いて、そこからR10をしばらく走ったはずで、都城周辺でもR10を使ったと思う。

その時は2泊くらいしたと思うが、どういう宿に泊まったかはすっかり忘れてしまった。

えびの高原のワインディングと景色のよさが印象に残った。

えびの高原のツツジがきれいだったから、時期としては初夏の頃だったのだろうか。

その後は、何度か九州に仕事がらみで出かけたが、R10を部分的に走ったような走ってないような。

`90年代前半の頃、某雑誌の企画イベントで、数人のスタッフとともに飛行機で宮崎に行き、日南海岸のある場所でイベントを行ったことがある。

そのときはレンタカーを借りて空港からホテル、またイベント会場に移動し、その企画の担当責任者が運転したのだが、R10は確実に使ったと思う。

記憶に残っているのは8年前の夏休みに、当時中学3年生だった娘と九州ツーリングに出かけたときのことだ。

トライアンフのサンダーバードでタンデムだった。行きは川崎〜宮崎、帰りは日向〜川崎、というフェリーを利用し(数年後にその航路は廃止になってしまって残念)、九州で4泊した。

初日、到着は夕刻だったので宮崎のホテルに泊まり、2日目は内陸に入って熊本に行ったが、短区間R10を走った。

その後天草〜雲仙〜佐賀に行き、高校時代の友人宅にお世話になり、4泊目は福岡と大分の県境沿いの街にある知人宅に泊めてもらった。

そして最終日、やまなみハイウエイから阿蘇周辺、高千穂を経て、日向に向かった。

好天で気持ちよく走ったが、午後はフェリーの時間に追われ、延岡から日向までR10を急いだっけ。

7時頃出航だった帰りのフェリーにどうにか間にあった。

ちょっと忙しない最終日になったが、景色のいいルートが多かったし、お天気もよかったので楽しかった。

九州はまたバイクで走りたい、と思っているのだが、かなうかどうか…

門司
国道10号線の起点は国道3号線との重複区間。国道3号線は南側を周り再び終点の鹿児島で接続する。

topへ
野口眞一
のぐち
バイクに乗って40年、二輪雑誌の仕事をして30年、の55歳。若い頃からツーリングが好きで日本各地を旅してきた。現在の所有車はトライアンフのサンダーバード(1996年型の水冷並列3気筒)で、13年乗り続けている。

[第9回 国道9号線]
[第10回国道10号線]
[第11回 国道11号線]
[バックナンバー目次へ]
目次
↑クリックするとMBHCC目次に戻ります
バックナンバー目次
↑クリックするとバックナンバー目次に戻ります