それぞれの道には、それぞれの風土、気候、環境などを積み重ねた表情がある。それはまた人生にも似ている。道は人生、道の数だけ物語がある。野口おやびんが走って来た幾多の道を、想い出話と共に語ろうか
第11回・国道11号線
(2011年5月30日更新)
初めて四国をツーリングしたのは`76年の4月末から5月上旬にかけての、いわゆるGWだった。
そのときR11を初めて走った。一人旅でバイクはTX500だった。
`74年夏に九州を旅し、翌年夏の北海道は途中の事故で果たせなかったが、`76年の夏に北海道に行くぞ、と決めていた。そして、その前のGWの連休に、四国に行こうと思ったのだった。
日程は5泊だったろうか。
東京を出発し、高速道路を一部利用したかどうか忘れてしまったが、一気に1日で四国まで行ったわけではなく、初日は`74年の夏の九州ツーリングの帰路に投宿して世話になり、気に入った京都大原の民宿に泊まったように思う。
そして2日目、神戸から船で淡路島に渡り、再度フェリーを利用して四国に上陸した。
明石海峡大橋も大鳴門橋もまだなかった。
徳島からはR11を瀬戸内海沿いに高松へ向かった。
途中で夕方になった。同時に雲行きが怪しくなり、宿を求めることにした。
だが民宿などは見当たらず、どうしたものか…。
すると『モーテル』の看板が。
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バイク旅の男ひとりでは断られるかなと思いつつ、ダメもとで頼んでみるとOKだった。夕食は近所のラーメン屋さんですませた。
翌日はR11号を松山まで走り、お城を観光したようにも思う。
そのあと、多分R56を使って宇和島を経由して足摺岬へ。
岬近くの土佐清水のドライブインのようなところで昼飯を食べたが、そこで地元の(といっても土佐清水ではなく四国のどこかの町の)タイガーカラーのZ2乗りと知り合いになり、岬まで短距離だったが一緒に走った。岬観光後すぐに別れたが、そのZ2乗りは俺より少し年上に見えた好青年で、走りもよかった。
岬を後にして再びR56を走り、高知に向かった。桂浜とそこに建つ坂本龍馬の銅像を見たかったからだ。
で、高知に着く前に夕暮れてきたので、海沿いの街で民宿を探した。何軒かの看板が目に入った。ある宿に飛び込んで問うと、相部屋でいいならOKだと言う。GWなのでやはり混んでいたのだ。
先客を少し案じたが、数人の学生グループだというので、他も混んでいるだろうからと思い、世話になることにした。
学生は3、4人だったか。同年代で、近畿から一緒に車で来ているとのことだった。
柄の悪いのはおらず、俺を快く迎え入れてくれ、同年代ということもあってすぐに打ち解けた。夜ふざけて遊んだり、翌朝は一緒に写真も撮った。
四国での3日目。予定通り桂浜に行き、はりまや橋や高知城にも立ち寄って、高知を後にしてR55で室戸岬を経由して徳島へ。
徳島の手前で夕方になって、どこかで泊まったはずだと思うが、それはすっかり忘れてしまった。
また、帰路は多分、徳島から和歌山にフェリーで渡り、その後は最短距離のルートを選択したと思うのだが、名古屋の手前あたりの小さな街で一泊した。
その最終泊がまた思い出深い。夕方、雨が降り出した中、宿を探し始めた。がみつからず、偶然通りかかったホークⅡ乗りの高校生の少年に親切にしてもらい、結局、彼の家=部屋に泊めてもらうことになった。
夕食もいただいたしありがたかったなあ。もうああいうことは経験できないだろうと思う。
最終日は悲惨だった。
昨夕からの雨は本降りになり、東京までのR1はずっと土砂降りで、対向車線からも雨水を浴び、ボロカッパは用をなさず、ずぶぬれで寒さに震えながら夜東京に着いた。
当時、学校のある近くの板橋に引っ越したばかりだったが、そこまで帰るのも面倒で辛くなり、途中で電話して、目黒の定時制高校の友人のところに泊めてもらった。
友人が数人集まり、銭湯で温まってから皆と酒宴をして、気持ちも身体もさらに温まった。それもいい思い出だ。
- 野口眞一