それぞれの道には、それぞれの風土、気候、環境などを積み重ねた表情がある。それはまた人生にも似ている。道は人生、道の数だけ物語がある。野口おやびんが走って来た幾多の道を、想い出話と共に語ろうか
第16回・国道19号線
(2011年10月27日更新)
R19を初めて走ったのは、'74年の夏だった。九州ツーリングの往路、群馬を出発した俺はR18で長野県に入り、その後塩尻辺りまで行って、そこからR19を南下して名古屋を目指した。当時は木曽路にあまり興味はなく妻籠や馬籠、奈良井といった昔の姿を留める旧中山道の宿駅だった地に立ち寄ろうとは考えなかった。
数年後にはGS750EⅡを駆り、タンデムで丹後/若狭方面にツーリングした折りに馬籠に宿を取り、島崎藤村の記念館なども見学するのだが、そのときは主目的地が九州だったので、そこまでの道筋は通過点くらいにしか考えてなかったので、特に観光してみたい、とは思わなかったのだ。
それでも木曽川の景勝『寝覚めの床』には休憩がてら立ち寄った。でもそれほど大したもんじゃないな、と思った。まだ若造でそのよさがわからなかったのだ。御岳山も木曽節で由緒ある山であるとは知っていたが、麓まで行って見ようとは思わなかった。
木曽福島だったか、南木曽だったか、夕暮れが迫りつつあったので、あるキャンプ場に入った。木曽川沿いの、赤松林が目立つところだったように記憶している。そこでテントは張ったものの、飯ごう炊飯するでもない野宿に近いような一夜を過ごした。食物は事前にどこかで買い入れたのだと思う。
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そのときの九州ツーリングは、じつは友人とタンデムで行くはずだった。ところが出発した当日、友人がリアシートで居眠りばかりして危なっかしく、1、2度注意したがそれでも直らなかったので、R19に入る前か入ってからか、覚えていないが、ある街で降ろして電車で帰らせてしまった。今思えば、いくらなんでもやり過ぎだろう。ちょっと休憩して仮眠をとらせてやればよかった。と思うけれど、当時はそういう優しさに欠けていた。
暮れなずむキャンプ場で、テントを張りながら、また、テントの中で眠りに着くまでの間、ずっとそのことを気にして、悔やんだり肯定したり…。ひとりになった寂しさもあって、俺も辛い思いをした。木曽路のR19号というとその時のことを思い出す。
木曽路のR19は前述した丹後/若狭方面への旅のとき以降も、何度も利用させてもらっているが、長野市〜塩尻市までの区間も旧中山道沿いも片側1車線でイエローラインの区間がほぼ続いていて、白バイが目を光らせていることが多い(地元の人や頻繁に利用する人には昔から知られていることだ)。また2桁の主要国道だから交通量も少なくない。で、遅い車がいても追い越しを躊躇し、ストレスが溜まることが少なくない。
移動のための道で、走りを楽しめる区間はほとんどないと記憶している。狭い山間を走っているから、快適に走れる脇道県道も見当たらない。走りを楽しむことが難しいルートなので、出来れば避けたい、と思うが、でも使わざるを得ない場合も出て来るわけで…。
直近では、3、4年前の夏に、丹後〜安芸の宮島〜小豆島〜姫路などに約1週間でツーリング(男3人)したとき、木曽路部分の短い区間R19を利用した。朝早く東京を発って、塩尻まで高速を使い、そこからしばらくR19で南下して、その後、山の中の3桁国道を使って岐阜県内の高山などを通り、福井へと抜けたのだが、午前9時頃だったか、R19沿いの道の駅で軽食&一服した。
言うまでもなく、R19号を走っているときはバックミラーに頻繁に視線を送り、白いバイクに世話をかけないように心がけた。都内はもちろん、四国ツーリングなどでもお世話になってしまったことがあるが、幸いにもR19ではこっちの注意力が優って、これまでに不要な切符をもらったことはない。
思い出したが、10数年前、女房と穂高の麓の温泉に車で旅行したときもR19を部分的に利用し、奈良井宿で木工品などを土産に買ったことがあったなあ…。
長野の白馬にバイク乗りの知り合いがいるし、木曽路は前述の宿駅などをバイクでゆっくり訪ねてみるのもいいと思っているので、R19の木曽路区間はこの先もきっとまた走ることになるだろう。
- 野口眞一