それぞれの道には、それぞれの風土、気候、環境などを積み重ねた表情がある。それはまた人生にも似ている。道は人生、道の数だけ物語がある。野口おやびんが走って来た幾多の道を、想い出話と共に語ろうか
第18回・国道254号線
(2011年12月27日更新)
これまでR1からR20までのことを順番に書いて来たが、今回からはランダムに印象に残っていたり、走る機会が多かった国道や峠道などについて書いていこうと思う。まずはR254だ。俺の出身地である群馬県富岡市を通っている唯一の国道で、すでに記したR18やR17と同等以上に、バイクに乗り始めた頃から親しんできた道である(中学時代も自転車では短区間よく走っていた)。
バイクで初めて走ったのは16歳で原付免許を取ったときだ。田舎町を通る3桁国道だったが、当時は当然舗装されていた。家のスーパーカブでメインストリートを流したり、定時制高校で同級になった友人の何人かが、ネギとこんにゃくで知られる西隣りの下仁田町の出だったりしたので、下仁田までの10数kmを走ったり。それは2サイクル90ccツインのヤマハHS-1にステップアップしてからも変わらなかったが、利用区間は長くても20kmくらいだったろう。
TX500に乗るようになってから、範囲は広がった。18になった夏に上京するまでの時期は、東は藤岡市、西は下仁田町のもっと奥の長野県境に近いところまで延長された。それでも、50kmあるかないかだが…。
長区間走るようになったのは、上京して以降だ。R17のときにも少し書いたけれども、帰省時にR254を利用することもあったからだ。東京から富岡までの距離は110kmくらいで、R17ほど交通量は多くない変わりに、小さな街が続いていて道幅が狭く曲がりくねった区間も多く、川越から東京までの間は往路も帰路も混雑した。だからR17より多少時間がかかったのだが、時々利用した。
その後、帰省以外のツーリングでR254を利用することも少なくなかった。
2、23の頃、TX500からGS750EⅡに乗り換え、大学時代後半から、就職後数年の間は、学生時代のバイト先のバイク好き連中と10人前後で日帰りや一泊ツーリグを頻繁に楽しんでいた。箱根、伊豆、富士五湖方面が多かったが、埼玉北西部、群馬、信州方面にも出かけた。そして、群馬や信州方面へのツーリングでは、東京から高崎までR17を走って、その後R254を使うこともあった。
その後、20代後半からの10数年は帰省時に短区間走ることはあっても、ツーリングで利用することはなくなった。だが、子供達にあまり手がかからなくなった40歳前後から個人的なツーリングにまた頻繁に出かけるようになり、知り合ったバイク仲間達と、またひとりで、信州の白馬などへの行き帰りに比較的長い区間R254を走るようになった。
それは長野県の佐久の前後から、群馬県の藤岡あたりまでで、いつ頃からか“コスモス街道”とか呼ばれるようになっていた区間である。秋には道の両側に秋桜花が咲き乱れるのでそんな名が付けられたのだろう。
時々大型トラックなども通るが、全体的に交通量は少なめで、のんびりと走れる。特に佐久から峠まで、峠を下ってから下仁田の市街までの間はゆったりした雰囲気だ。
県境の内山峠はコーナーが多く、それなりに走りを楽しむこともできる。峠を中心に、霧や霧雨の発生が多く、その前後が晴れていても、峠に差し掛かると天候が急変して、カッパを着ないと結構濡れてしまったり…。
上信越自動車道が開通するまでは、特に夏の時期は、東京方面〜軽井沢の往復にR254を利用する車が多く(R18が混雑するのでその間道として使う)、藤岡〜富岡間も渋滞したが、上信越道の開通によって解消された。ただ、10数年前に富岡市街を迂回するバイパスが出来てからは、軽井沢や佐久方面に行く車の通行が多少増加したようだ。
ここ数年の間も、年に数回、ツーリングの帰路に実家に寄ったりして、R254を走っているが(富岡市内〜藤岡くらいまで)、バイパスが出来たためかつてメインストリートだった旧R254の交通量は少なく、軒を連ねた商店街に活気はない。日本中の田舎町のほとんどがそうであるように、バイパス沿いに大型量販店が点在し、地元の人達もそっちを利用するからだ。車社会発達の明と暗…。
ちょっと寂しいな。
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