Hi-Compression Column

順逆無一文

『抜本塞源』

(11月28日更新)

神宮外苑の“軟式グラウンド”で行われたイベントに出かけた。大型の仮設テントなども導入した大がかりなイベントだった。

会場と背中合わせの場所にある絵画館前には駐車場があるのを知っていたので、当然そこにバイクを止めるつもりで。

イベント会場には開場前から入場待ちの列ができていてなかなかの盛況の様子。で、絵画館前駐車場に向かった…。

前のクルマに続いて受付をしてもらおうと進むと。いかにものオヤジが「バイクは駐車はできないよ!」のひとこと。「できませんよ」でもなく、「できないんですよ」でもなく。

「ここら辺にバイクを止められる駐車場はないですか?」と聞いても「無い!」の素っ気ない返事。さらに追い打ちをかけるように「ここら辺はバイクが来るような所じゃないから!」ですと。

かなりカチンと来たが、このオヤジに文句いってもしかたない、ととりあえず近所でバイクを止められる駐車場はないか探しに走る。が、オヤジの言っていたとおり影も形も無い。絵画館前の駐車場にバイクを止められないことを知っていたならインターネットで事前に調べてきたものを。後の祭りというヤツだ。公共的な施設である国立競技場まで回ってみたが、クルマと自転車置き場しか見あたらない。

後で調べてみたが、国立競技場という公共の大施設なのに二輪駐車場どころか、自前の有料駐車場を1台分も備えていない。「国立競技場にはお客様用の駐車場はございません。近隣に有料駐車場がございますので、そちらをご利用ください」ですと。

話を元に戻す。…かといって、取材をやめて帰るわけにも行かないので、何とか迷惑にならなそうな所を探す。

ちなみにあそこら辺一帯は、かつて青山練兵場があったところ。戦後になって宗教法人の明治神宮の外苑として国の管理を離れ、独自の事業体の管理運営となっているから、公共の施設ではないのでとやかくは言えないが、これがあの“バイクで町おこし”などと華々しく三宅島で喧伝した某都知事のお膝元でのバイク駐車場事情だ。昔話ついでに言えば、あそこら辺一帯はかつてカミナリ族のメッカで、小学生の頃は運動公園への遠征のついでに“怖いもの見たさ”とともに、バイクを眺めに来ていたことを思い出した。某都知事の某有名な兄弟も走っていたのかも知れない。

とにかく、某都知事がいかに人気取りでしかバイクを利用していなかったかが良く分かる。マスコミに取り上げられるようなイベントでは、さもバイクに理解のあるような顔を見せておきながら、現実の市民のバイク生活上での不便さには一切関心がない。いや、よくよく考えると人気取りの表の顔とは反対に、心の中ではバイクを都内から排除する算段なのかもしれない。だとしたら、それは見事に成功しつつあるといえるだろう。

バイクライダーにとって日本一、いや世界一、最低のバイク環境都市が東京都だ。首都高速も都内部分は有無を言わせず二人乗り禁止で締め出しを図っている。

絵画館前駐車場のオヤジが言っていた「ここら辺はバイクの来るところじゃない」は、まさにそうやって都心からバイクライダーを排除しようという意図が見え見え。それが、彼らにも伝わっているのだろう。

まあ、お台場でもさんざん不便な思いをしているから今さら驚くにはあたらないのだが…。

小宮山幸雄
komiyama
“雪ヶ谷時代”からMr.BIKEにかかわってきた団塊ライダー。本人いわく「ただただ、だらだらとやって来ただけ…」。エンジンが付く乗り物なら、クルマ、バイクから軽飛行機、モーターボートとなんでも、の乗り物好き。「霞ヶ関」じゃない本物!?の「日本の埋蔵金」サイトを主宰する同姓同名人物は“閼伽の本人”。


右上へ

下町など物理的にスペースのない地域ならともかく、こういった余裕の空きスペースを持つ施設なら、ちょっと白線をひいてバイクの止められる枠を書いていただけるだけで、まったく利用環境は変わるというのに。とにかく何が何でもご立派な駐車施設を整備し、料金制にして、それを管理する人間を置いて、と金儲け前提でしか二輪駐車場を考えないから、いつまでたっても二輪の駐車場は整備されずじまい。

以前のように好き勝手に停めていた状況に戻せと言うのではなく、公共施設などでスペースに余裕があり、停められる場所があればすぐにでも白枠を書いていただくだけでいい。その中へライダーは自己責任で停める。金も手間もほとんどかからない。

停めるところをきちんと整備した上で、ヒトの迷惑も考えずにところかまわず好き勝手に停める阿呆をがんがん取締ればいい。

とまあ今さらの事を書いてしまったが、実は、バイク駐車場問題で一番不愉快なのは、バイクをきちんと停められる場所がほとんど無い、ってことなんかじゃない。二輪用の駐車場を見付けられなかったときに、たとえそこがまったく迷惑にならなそうなところであっても、停める際の後ろめたさ。ある日を境に、バイクに乗っているというだけで、否応なしに“無法者”とならざるを得なくなってしまったことに対してだ。

一部の阿呆が好き勝手をした迷惑駐車の問題を受けて、思いつきで取った二輪車締め出し対策が、善良に生きようとしてきている市民を、否応なく犯罪に追い込んでいることを認識しているのだろうか。一部の阿呆どもより、遙かに大多数の人がバイクで生活していたのだ。

「最近は本当に迷惑をかけているバイクだけを取り締まっています」「停めているだけで一律には取締をしないように通達を出しました」などというが、そのおかげか事の発端となった阿呆どもの迷惑駐車は元に戻ってきている。その一方で、遵法意識のある一般ライダーは、規制自体が残っている以上、昔のようにとは行かず、日々後ろめたい思いを続けている現状だ。

自転車が歩行者にとって危険だからと、ただただ歩道から追い出しさえすればいいで、取った自転車の通行規制問題も根はまったく同じ。締め出しさえすれば事足れり、の発想だ。で、その先の事態は考えない為政者達。今後当然起きうるであろうクルマやバイク対自転車の事故激増に誰が責任を持つのだろうか。いつの時代も変わらない“場当たり主義”が犯罪者や犠牲者を生み出す。

         ※

淡路島で、原付(1種、2種)が島の外に出られない“鎖国状態”にあることをご存じだろうか。

1998年の明石海峡大橋開通でクルマにとっては格段に便利な環境になったが、その影で原付ライダーが泣いている。

肝心の明石海峡大橋は125cc以下の原付(1種、2種)は通行禁止で、フェリーが無くなってしまった現在、島の外に出る手段は一切なくなってしまっている。

その淡路島で“たこフェリー”再開のニュースが10月に入ってきたと思ったら、金の流れの問題で暗礁に乗り上げてしまったという。

再開のニュースを聞いて、株主でもある明石市から「車を運べないなら“たこフェリー”ではない。“たこフェリー”でないのだから“たこフェリー”の資金を流用した再開は認められない」と横やりが入ったというのだ。どうやら運営企業が株主でもある明石市や淡路市などに事前の相談をせずに、勝手にフェリーの購入、運行再開を決めてしまったことから態度を硬化されてしまった、というのが実情のようだ。

ならばその運営企業が独自で運行すればいいのでは、と思うが、“たこフェリー”の資金がなければ購入もままならないという。

ということでフェリー再開は暗礁に乗り上げてしまった。1年が経った現在も淡路島の原付は島に閉じこめられた状態が続いたままで、これからも放置されるのだろうか。

これまた行政の二輪に対する無関心、負の作為が生んでいる“酷い話”のひとつだろう。ご自分達のクルマが1年間も島の外に出られないなんて事態になったらどれだけ大騒ぎすることか。

           (小宮山幸雄)



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