Hi-Compression Column

フツーのおとうさんのバイク生活・シーズン2

タカヤスチハル
タカヤスチハル
「もう30年以上バイクに乗ってます」と威張れるくらいず~っと乗り続けているのにちっともうまくならないへたれライダー。ふつーのお父さんは逆境にも負けず、ささやかなバイク生活を営んでいます、が……

「雨の日の土曜日は…」

(2011.7.5更新)


かつてカワサキにZX-10というバイクがあった。現行のSS(スーパースポーツ)であるZX-10Rではない。

名車900ニンジャから数えて3代目のフラッグシップとして1988年からわずか2年だけ生産され、90年にはこれまた名車となるZZR1100にあっさりとその座を明け渡した悲運の? バイクである。

まあはっきり言ってもっさりとしたデザインの不人気車だった訳で、当時でも街で見かけることはあんまり無かったと思う。

1988年と言えばハチハチNSRに代表されるようにレーサーレプリカ全盛期であり、一応はカワサキらしいワルっぽさやデカさもあるんだけれど、やっぱりちょっとはずしちゃったかなーという感はぬぐい切れない、そんなデザインのバイクだ。

ゆえあって僕はこのバイクを6年間所有したことがある。そしてこれは僕がこのバイクを大好きになっていった時のハナシだ。

そのZX-10を見かけたのは近所の私鉄の駅のロータリーで、雨宿りのキッサ店から出てきた時の事だった。梅雨が始まったばかりの頃だったと思う。

小雨の降る土曜日の午後、赤いZX-10が僕の目の前を横切って駅のロータリーに沿ってゆっくりとリーンして行った。

「あっZX-10だ」僕はすぐにこのデカいバイクが何者であるかを理解したのだが、同時にそのあまりのウスラデカい姿にある種の感銘を覚えてしまった。

今でもその時のシーンはよく覚えている。

僕の目の前を通り過ぎて「うわ、でっけー」と思っていると、そのデカい姿に似合わないしなやかな倒しこみで軽々と曲がっていった。

それにしてもデカいバイクだよなあ、とゆーか乗ってるヤツが小柄なのか? よくよく見ると、「ん? オンナ?」 驚いたことにライダーは女性としても多分小柄な方に属するような、華奢(きゃしゃ)な女のコだった。だからZX-10が余計にデカく見えた訳だが、それにしてもなんて上手なライディング! 駅のロータリーなのでもちろんゆっくりとした安全スピードだ。にもかかわらずうまい! きれい! かっこいい!

時間にしたら多分ほんの数秒だったと思うのだけど、僕の心にとても大きな印象を与えたまま、そのZX-10は霧雨の中すっと街に溶け込んで見えなくなってしまった。

不覚にも、僕は特にその後ろから見たオシリのデザインに「一目惚れ」してしまった。キリンで言うところの「デカ尻」は僕にとってはZX-10の後ろ姿だったらしい。

それからずっと、僕は毎日会社への行き帰りの駅までの道を、そのZX-10を探しながら歩くようになった。駅の周辺で待っていたこともある。

そうしなければならない位その赤いZX-10と、ひょっとしたらそれを軽々と乗りこなす女性にも、心を奪われてしまった。

自分でも全く理不尽な感情であると充分に自覚はしている。ほんの数秒、自分の目の前を走り去って行ったバイク(とそのライダー)がこんなにも気になるなんて、絶対におかしい。

それでも僕はZX-10を探しながら歩くのが日課となり、季節は梅雨が終わり真夏の季節がどっかりと居座った10月の初めまで過ぎていった。

そして10月のこれも土曜日の朝、地元で人気のベーカリーに朝食のパンを買いに行った時の事だ。

ベーカリーの隣の隣の託児所の駐車場に、果たしてそのZX-10は停まっていた。赤白の、ミドルカウルとアンダーカウルを取っ払ってエンジンを剥き出しにした、USヨシムラのマフラーを付けている、この特徴を間違える訳はない。

近くでマジマジと見てみると、相変わらずウスラデカいのはさて置き、ずいぶんときれいに整備されていることが良く分かる。きれいに磨かれ、チェーンにオイルが注され、小さな傷は補修されている。

このバイクは愛されてるなあ、というのが伝わってくる。思わず後ろから前から横からと、全く遠慮も無くジロジロと眺めまくっていた。

実に5ヶ月振りの再会? である。文字通り僕は狂喜したのだが、それからハタと「さてどうしたモノか?」と考え込んでしまった。

もう一度見たい、逢いたいとは思っていたが、さて再会してみるとその後どうするなどとは全く考えていなかった。

考えあぐねた僕は、この思いを手紙に託すという暴挙に出た。


右上へ

一旦ウチに帰り、「以前に見かけたことがあり、ずっとこのバイクが気になっていた。もしこのバイクを売るような時は声を掛けてもらえないだろうか?」というような趣旨のメモを作り、名前と電話番号を記載した。このメモをZX-10のカウルの内側に置いて帰った。

残念ながら連絡は(もちろん)来なかった。そりゃあ怪しいメモ読んですぐに連絡してくるヤツなんていないよなあ、と自分を慰めたのだけれど、せっかく再会出来たのにその後の手立てが出来ないのはとても残念だった。

でもまあストーカーじゃあるまいし、何度も手紙送ったり帰りを待つ訳にも行かないよなあ。僕だってその程度には常識人なのである(当たり前だ!)。

翌週の土曜日、連絡は(もちろん)無かったけれど、気になってまたパンを買いに行くことを心の口実に、隣の隣の託児所を覗いて見ると、駐車場にそのZX-10は停まっていた。センタースタンドを掛け、直立したテンは秋の日差しを浴びて、普段よりも優しげに見える。

相変わらずきれいにしているなあ、と眺めていると、シートの上に封筒に入れた手紙が張ってあった。

「先週の土曜日に手紙をくれた方へ」と封筒に書いてある。

返事だ! いや本当に僕宛か? かなり悩んだものの、まあ僕以外にバイクに手紙を貼り付けるヤツもそうはいないだろう、と判断して、周りを見渡してから(何となく後ろめたい)手紙を持ち帰った。

ドキドキワクワクよりも不安の方が圧倒的に大きい。ま、ふつーに考えれば、二度とこんなマネは止めてくれ、だろう。

家に帰らず、キッサ店で手紙を読んでみると「残念ながらこのバイクを売ることは出来ないが、一度良かったら話をしてみたいがどうだろうか?」という趣旨が書いてあった。

このテンを譲ってもらえないのは残念だったけれど、返事が返ってきたことは本当に嬉しかった。

次の週の土曜日の夕方、僕達は待ち合わせをし、話をした。

毎日片道20kmバイクで通勤していること、ZX-10が初めてのビッグバイクであること、乗りこなすためにライディングスクールにも参加したこと、テンのセンタースタンドは掛けられてもコケたら絶対に起こせないこと、などなどバイクに関する話を本当に楽しそうにたくさんしてくれた。 


そして遠距離恋愛の末来年の3月に結婚する予定で、そうしたら北海道に引っ越すこと、バイクに乗らない彼なのでテンをどうしていいか悩んでいることなども話してくれた。

こうして僕達はバイク友達になった。一緒に走る訳でもない、月に1回モスバーガーでコーヒーを飲みながら話をするだけのバイク仲間だ。彼女は「月に一度のお茶会」と呼んでいた。

冬が来て年が明けると、彼女は「もしまだ気に入ってもらえるならばZX-10を譲り受けてもらえないか?」と聞いてきた。いろいろ考えた末の結論のようだ。僕にも、結婚して先方の家族と一緒に住むのには余り相応しくない相棒なのだろう、とは容易に想像はできた。

僕にはもちろん「キミにとってそれでいいのか?」などと尋ねることは出来ない。答えなんて出しようが無いことをよく知っているから。

「ZX-10は喜んで譲り受けるけど、またいつかキミはバイクに乗れるのかな?」という僕の問いに彼女は「きっと。必ず。バイクは私の一生の宝物だもの。」と言った。

こうしてこの赤いZX-10は僕の元にやってきて、その後6年間一緒に過ごした。残念ながら彼女が乗りこなした程には僕は上手に扱えなかったと思う。

2月のこれも雨の土曜日、彼女は20km掛けてモスバーガーまでZX-10を届けに来てくれた。

僕が「取りに行くよ」と言っても「最後にテンで走りたいから」と言っていた。そして「帰りは電車で帰りたい。もうバイクが無いことを実感したいから」とも言った。

多分、女のコがバイクに乗り始める事ってオトコの数段ハードルが高かったことだろう。それでも彼女はそのハードルを乗り越えてずっとバイクと一緒に暮らしてきた。バイクに対する思い入れはひょっとしたら僕等の何倍もある強いものだったのかも知れない。

その後彼女がバイクに再び乗り始めたかどうかは知らない。結婚し子供が生まれ、仕事も両立させていく、女性にとって結婚後の環境変化はオトコの何倍も激しいに違いない。そう簡単に復活できるとは限らないはずだ。

今でも雨の日の土曜日には、彼女のことを思い出す。いつかどこかでまたバイクの話をしたいな。キミの愛車の自慢話を聞かせて欲しいな

ZX10


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