デブ輪
はじめまして。岩手県久慈市在住のデブ輪と申します。
何よりもこの東北関東大震災にて犠牲になられました方々が心底安らかなる地にて静かに鎮魂される事を御祈り申し上げます。
おれは三陸海岸の上の方にある岩手県久慈市という町にいます。ここ久慈も津波で道路が寸断されているところもあり、車は通行できない場所も多々あります。「こんな時はバイク」などと悠長なことは言えませんが、自身の体験から身軽なバイクの機動性を実感しました。
少しでも復興につながればと思い、被災地を回り被災者の生の声や親身になって活動していただいている方々の姿を伝えていこうと思います。
2011年4月1日更新しました。
『3月11日』
3月11日、おいらは震災時間には湾内にあります造船所にて働いていました。
そこに今までの人生では経験のない程の大地震が。
写真のとうり職場は浸水。復興の目処もまだ未定です。
帰宅してみると、電気ガス水道電話全てストップ!!
防災警報は鳴り続き、とっさにミニトレに乗り高台から浜を見て驚愕しました。
浜が叫び声を上げて見たこともない早さと高さで迫って来ました。
まさに津波が押し寄せていました。
言葉には表現出来ないゴワァ〜って恐ろしい轟音とともに。
自宅での夕食はバイクでのキャンプ用品をフル活用しての夕食でした。ランタンで明かりを、マグライトで視界を、ガスコンロで鍋を。
一家四人でガスコンロを囲んで食べた夕食をおいらは「生涯忘れないべなーっ」て感じました。
自宅の電話はまったく機能しません。携帯電話も通話不可能。かろうじてメールは出来たり出来なかったり。
メールしても返事がないと心配で心配で。色んな仲間との安否確認で一晩が過ぎました。
防災警報は鳴りやまず、情報は携帯ラジオからの放送のみでした。
まだこの夜は、震災の本当の恐ろしさを知りませんでした。
ラジオから被害の全容が語られることはなく、何度も何度も「余震に警戒して下さい」と繰り返す警告ばかりでした。
どの地域がどれほどの被害を受けたのか震災当夜はまったく解らず眠りにつきました。
震災翌朝
携帯電話を持たないばあちゃんの安否確認。嫁の実家の安否確認。
メールしても応答がない仲間の安否確認に早朝からYAMAHAミニトレGT80にて走りました。
時間は明るくなった6時前後でした。画像は震災の翌朝、自宅の周辺の路上を走りながら撮影したものです。
ばあちゃんの家に行くにも嫁の家に行くにも普段の三倍の時間がかかりました。
幸いばあちゃんも、嫁の実家のみんなも、二人のバイク仲間も幸運にもみんな無事でした。
しかし、道路は寸断され堤防は破壊され、車はグチャグチャに潰れてありえない場所に散乱、おいらは『ここは本当に久慈市なのか?ゴジラに踏み潰された町みたいだ』これが本音でした。
電気水道ガス電話、ライフラインと呼ばれる本当に本当にありがたいアイティムが復活したのは震災から4日目でした
あるのが当たり前だったライフライン。
実はものすごく有り難いもんだと痛感しました。
おれはバイク乗り。バイク乗りとしてこの震災の大きな爪痕を記憶に留めたい、そして、現状を少しでも知ってもらいたい。
そんな思いもあり写真を撮り続けました。
震災時のバイクの機動力は神戸や新潟の震災で知ってはいました。しかし自分が体験するとは夢にも……
人が歩けるスペースがあればミニトレは前進しました。
これは越えられない! と思ったら降りて押して歩き、そして乗り越えまた前進しました。
とにかくミニトレは、おれの鉄馬は被災地を駆けました。
ありがとうミニトレ!!ありがとうおれの鉄馬!!
現在、震災から2週間が経ちました。
沢山の方々の命が犠牲になりました。
こんなに広範囲に被害が及ぶなんて、おいらには想像出来ませんでした。
おれは東北六県ローラー魂!
おれは三陸ど根性!
おれはリアス式二輪狂!
このコラムでは今後、被災地の復興復旧をおいらが自分の鉄馬に跨がり、バイク乗りの視点を持って全国に被災地の今、被災者の今、東北人の魂を発信します!!!!!!!
頑張れ被災地! 頑張れ被災者! みんなクソ震災なんかに負けるなよ!!
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