Hi-Compression Column

鉄馬はかけ続ける
デブ輪

デブ輪

福島県いわき市生まれ。35歳。現在は岩手県久慈市在住。東北六県ローラー。好きな食べ物『豚バラ肉』体重101キロ。座右の銘・『骨は折れても心は折れない』新婚5ヶ月・被災地でがんばってます!

岩手県、冬ど真ん中ストライクの季節です。震災後初めての越冬。どうか皆様が健康で越冬出来る事を願ってやみません。
おいらは自宅が無事で、仮設住宅で暮らす沢山の被災者の方々を前に、「被災しました」なんて言えない罪悪感をこの寒さで痛烈に感じています。
来るな寒気! 大雪!! 無事に皆んなで越冬させてケロっ!!!!!!!

2011年12月15日更新しました。


「3.11で、すぐに役立ったものたち」

 おいらは自分勝手な人間です。自分が体験しなければ体得出来ない不器用で身勝手な人間です。

 3・11に被災して『地獄だ』とか、荒れ果てた町をミニトレで走りながら、『ゴジラに破壊されたようだ』とか思っていました。

 だけど1995年1月17日火曜日の阪神淡路大震災の日時も記憶の風化で忘れていました。

 恥ずかしく情けないです。自分が大変な時には大騒ぎするのに、過去に学び今を生きるための教訓として記憶し忘れてはいけない経験なのに。

 阪神淡路大震災の朝は鮮明に覚えています。実は、おいらの母の職場の同僚の息子さんも無念にも他界した震災でしたので。

 たかが10数年前の大震災をおいらは日時も忘れてしまっていました。逆に今年の東日本大震災もどんどん風化していくと言うことを肝に命じ、おれらの体験を良い方向に伝えていかないとと考えさせられました。

 3・11の大震災からおいらが家族と共に行動し、活躍した道具などを紹介します。

 おいらは港湾の中にある造船所で大地震を経験しました。ベン・ジョンソン並みにダッシュして息を切らして逃げました!まずは『避難!』これが一番大事です!

 自宅に戻り、母と小学生の甥っ子、保育園の姪を迎えに走りました。

 この時点で『停電』そして『断水』でした。サイレンは鳴り止まず異常事態だと心底思いました。西東京のナンディ小菅さんからメールで『津波が来るぞ!逃げろ!』と一報があった時には津波の第一波が到達していました。

 午後2時45分に大地震。『停電』『断水』。幸運にも自宅は被災を免れ、一家揃って夕食を。ここからが普段は格別有り難いと思わないアイテムに助けられる始まりでした!

 テレビは停電で見られません。携帯電話のテレビは電波が悪くて見辛く、ましてバッテリーの残量を考えあまり使いたくない。そこで『携帯ラジオ』が頼りになりました。草取りやガレージでの作業の時に使っていた携帯ラジオ。ラジオから聞こえる情報が唯一の被災状況でした。

 次に暗くなり活躍したのがマグライトなどの明かりです。これはキャンプ用品や釣り道具でした。明かりがないと何も行動出来なくなります。何度も繰り返す『余震』にベッドの脇に小さなライトを置いて避難の準備をしていました。

 水道は断水になっても、貯水槽からの水圧でチョロチョロ出ていました。そこでうちでは生活用水確保のため『浴槽』に水道水を満タンに貯めました。泥水を飲むより浴槽の水を飲んだ方が良いと考えました。

 ガスはプロパンガスなので不自由なく常時使用出来ましたが、カセットコンロも卓上に出し使いました。カセットコンロが『暖房』の役割も果たしました。これもキャンプ用品でした。

 ストーブは『停電』で電気式は使用出来ません。そこで『反射式石油ストーブ』が活躍しました!母が鍋を使う時用にと石油ストーブを一つ捨てずに台所にあったものでした。これは助かったアイテムでした。

 携帯電話の充電は車の『シガー充電機』にて行いました。同時にシガーから電気を変換する『インバーター』にて部屋の明かりを確保しました。インバーターの容量不足でファンヒーターは稼働しなかったですが、明かりがあると不思議と安心感がありました。

携帯ラジオ
唯一の情報元となった携帯ラジオ。
ガスコンロ
炊事はもちろん、暖房用にも大活躍したガスコンロ。
携帯充電器
自動車のシガーソケットから接続する携帯用の充電器。
LEDライト
一人にひとつは持っていたいマグライト・LEDライト。
反射式石油ストーブ
唯一の暖房器具となった反射式石油ストーブ。

 震災翌朝からはチビ鉄馬が活躍しました。1100の馬力やスピードよりも、50ccや125ccの身軽さが最大の武器でした。

 まず路面は津波を受けた地域は尋常ではない状態で、ガレキや物が散乱し、道路自体が崩壊していたり。また、主要道路が通行止めになり、いわゆる『抜け道』に車が殺到し、両方から車同士が鉢合わせで動かない抜け道をおいらは何度もチビ鉄馬ですり抜けました。

 チビ鉄馬の走破性能なんてたかが知れています。ところが『軽量』であり『取り回しの良さ』が物凄い活躍をしてくれました。走れない場所は鉄馬を降りて押し歩き、狭い道を縦横斜めと走りました。それに燃費の良さも特筆出来るポイントです。

 震災から一週間もせずに『ガソリン』をはじめ『燃料不足』が勃発しました。うちのカブは満タンで140キロ走ります。大概の移動はカブでした。ミニトレとカブの走破性能が大差がなかったことも体験しました。マフラーとレッグガードは破損しましたが、目的地に行けて燃費の良いカブは大活躍をしました


 何が必要だ! とか、これが大切だ! とか、おいらは専門家ではないから些細な必要アイテムの詳細はわからないけど、ここに記載しましたアイテムは実際においらが3・11と、翌日に非常に役立ったアイテムでした。

 バイク乗りとしてミニトレやカブ、オフ車両が普段は考えられないような大活躍をしてくれたのは正直嬉しかったなぁ〜。趣味や道楽としての『鉄馬』ではなく、生活に密着した『鉄馬』をおいらは体感しました。

 だからと言ってみんなにチビ鉄馬を買えって事ではないです(笑)。おいらにはたまたま大活躍したという事例を報告し、もしもの時に『そうだ! チビ鉄馬で動けば!』なんて思って頂ければ嬉しいな〜と実体験からの報告でした。

 残念な事に岩手県内で仮設住宅での『孤独死』が二件あったそうです。行政としても色々な取り組みをしているのですが実際に亡くなられた方が不憫に思います。

 だけど暗いニュースばかりではありません!! 岩手県三陸リアス式海岸自慢の海の幸『カキ』の食べ放題が復活したとニュースで知りました!!

 岩手県山田町の『カキ小屋』です!! クソ津波に負けないで『カキ小屋』が復活したなんて聞いてそれだけでも復興へのパワーを感じますっ!!!

 各地では『仮設商店街』も次々と建築されて、一歩一歩前に進んでいるとおいらは思います。

 高速道路は東北方面無料ですし、冬の岩手県三陸リアス式海岸も素敵な景色を見せてくれます。バイクでは無理ですけど、津波の大きな爪跡を見るとともに、復興へ向かって動いている東北人・岩手県人のパワーを実際に訪れて感じてみて下さいっ!!! きっと『おれらも頑張らなければ!』って気持ちになりますっ!


 今年は震災に泣いて苦しんだ一年でした。『日常』を奪われた一年でした。

 来年からは今年の経験を踏み台に、強く強く立ち上がれるような一年にしたいです。自分の出来る事を全力でしながら『日常』を取り戻す日まで動き続けたいです。

 皆さんも良い年越しをっ!!!



目次
↑クリックするとMBHCC目次に戻ります
バックナンバー目次
↑クリックするとバックナンバー目次に戻ります